新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
本年が、神の祝福に満ちた年となりますように。
◆エペ 2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
私たちが救われたのは、神の恵みのゆえ、神の賜物プレゼントだと語られています。
さらに神の恵みを求めて前進する一年となりますように。
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
本年が、神の祝福に満ちた年となりますように。
◆エペ 2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
私たちが救われたのは、神の恵みのゆえ、神の賜物プレゼントだと語られています。
さらに神の恵みを求めて前進する一年となりますように。
◆使 13:43 「会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。」
◆集会後、ついてきた人々に、パウロとバルナバが強調して説得したのは、
神の恵みにとどまることでした。
神の恵みに心を向け、感謝して恵みの中にとどまり続けましょう。
◆詩 34:8 「味わい見つめよ。【主】がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ主に身を避ける人は。」
◆主は、いつくしみ深く恵みにと愛に満ちた神です。
このお方に拠り頼む人、身をゆだねる人は幸いです。
主を親しく味わい見つめましょう。
◆エペ 1:7 「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」
◆私たちは、キリストの十字架の血の犠牲によって、罪の赦し、完全な贖い、素晴らしい救いを与えられました。
これは、私たちに何か資格があったからでも、私たちの行いによるのでもなく、ただ神の豊かな恵みによったのです。
神は愛なり
◆Ⅰコリ 15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
◆このみことばを語ったパウロは、リバイバルを起し、世界の宗教地図を塗り替えたパウロですが、その働きは自分とともにあった「神の恵み」によると言っています。
そうであるなら、私たちはたとえ無力でも大丈夫です。
すべてを神の恵みが助け、成し遂げてくださるからです。
今週のテーマは、「恵み」です。
◆Ⅱコリ 12:9 「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。」
◆神の恵みは、弱い時にこと完全に十分に現れます。
憐れみの神を、信じて見上げましょう。
あふれる恵みを、主は注いでくださるでしょう。
◆ルカ2:10,11「私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。…この方こそ主キリストです。」
◆クリスマス礼拝で、子どもたちが♪きよしこの夜の手話をしてくれました。
難しかったと思いますが、よく練習してくれました。
また、このようなコロナ感染状況なので、前もって賛美したものを録画して映像を流しました。
しっかり歌うようになってきて、嬉しく思いました。
イエスはこのクリスマス、大きな喜びを告げ知らせてくださいました。
この喜びが、皆さんの上に、愛する人々の上にありますように。
メリークリスマス!
クリスマスの祝福がありますように!
◆イザ 7:14 「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
◆「インマヌエル」とは、「神がわれわれとともにおられる」という意味です。
イエスは人間となってこの地上にお生まれになっただけではなく、死より復活して昇天し、今も生きておられます。
私たちの近くに、私たちとともに、いつもいてくださるのです。
ああ、神は愛なり!
◆マラ 3:1 「あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る。──万軍の【主】は言われる。」
◆このみことばどおり、イエスは突然人間となってこの地上にお生まれくださいました。
「history」(歴史)とは、「His story」(彼:救い主の物語)という意味もあると語っている人があります。
あなたの物語(人生)の中にも、神が来てくださいますように。
共に歩んでくださいますように。
◆詩 130:6 「私のたましいは夜回りが夜明けをまことに夜回りが夜明けを待つのにまさって主を待ちます。」
◆夜回りは、夜明けを今か今かと待ち望みますが、彼らはその熱心さで救い主を待ち望みました。
私たちも、同じ熱心さで、キリストの救いを、キリストの再臨を待ち望みましょう。
今週のテーマは、「クリスマス(救い主待望)」です(補足)。
◆イザ 11:1 「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」
エッサイとは、イスラエル第2代の王ダビデの父です。
「若枝」とは、ダビデのことで、預言者イザヤも救い主はダビデ王の子孫から生まれることを、ここに預言しています。
実際イエスは、ダビデの子孫であるヨセフからお生まれになりました。
◆ミカ 5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
◆イエスがベツレヘムに生まれられたことには、大切な意味がありました。
第1に、預言者ミカが救い主はベツレヘムに生まれると預言しましたが、イエスは間違いなく救い主だということをあらわしています。
第2に、「ベツレヘム」と「パンの家」という意味です。
イエスは、私たちの心のいのちの糧となるために、人間となってこの地上にお生まれくださったことを示しています。
今週のテーマは、「クリスマス」です。
◆イザ 9:6 「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
◆700年前にイザヤが預言した、救い主誕生の預言のみことばです。
救い主が赤ちゃんとなってお生まれになる。
この方は、悩める私たちの助言者となり、全能の力を持った神であり、永遠の変わらないお方で、平和を実現してくださる救い主です。
◆シメオンと幼子イエスとの出会いを学びました。
シメオンは聖霊に導かれ、神殿で幼子イエスと出会いました。
彼は幼子を信仰をもって腕にいだき、叫びました。
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ2:29-30)
言い換えれば、シメオンは「もう死んでもよい」と言ったのです。
それほど鮮やかな神の子との出会いを与えられ、喜びと感謝にあふれてこう叫びました。
神との出会い、神とともに歩むこと、そこに真の喜び、人生の価値があります。
◆マタ12:40,41 イエス「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。…しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」
◆律法学者たちがイエスにしるしを求めた時に、イエスが言われたことばです。
人の子は、三日後に地の底から復活されるお方、預言者ヨナにまさる神ご自身であると、イエスは宣言されました。
◆ヨナ 3:5 「すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。」
◆神に背いたヨナでしたが、再び神は彼を用いて、ニネベに遣わされました。
ヨナが神のことばを語ると、ニネベの人々は神を信じて悔い改めました。
その時、神は、ニネベの人々を赦してくださいました。
失敗し罪を犯しても、神に立ち返るとき、神は私たちを赦し救ってくださいます。
ヨナ 2:7 「私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は【主】を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。」
ヨナが弱り果てた時、あれこれに頼ったのではなく、主を思い出して、主に祈りました。
その祈りは、聖なる宮に座しておられる主のもとにまで届きました。
絶望の淵に沈む時、私たちはただ主に拠り頼み、主に祈りましょう。
主がその祈りに応えてくださいます。
◆ヨナ 2:2 「苦しみの中から、私は【主】に叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。よみの腹から私が叫び求めると、あなたは私の声を聞いてくださいました。」
◆人々は、ヨナのことばどおりに彼を海に投げ込みました。
すると神は、大きな魚を遣わしてヨナを飲み込ませ、助けてくださいました。
ヨナが魚の腹の中で祈ったのがこの祈りです。
神は、絶望の底から祈る私たちの祈りも聞いてくださいます。
◆ヨナ 1:12 ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」
◆「この問題が起きたのは、私のせいです」とは、なかなか言えないこともあるかもしれません。
ヨナは、「自分を海に投げ込んでください」というほどに、自分の過ちの責任を痛感し、
悔い改めたのだと思われます。
神の前にも人の前にも、自分の過ちを認め、悔い改めて誠実に歩む人となれますように。
今週のテーマは、「預言者ヨナ」です。
◆ヨナ 1:3 「しかし、ヨナは立って、【主】の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。」
◆ヨナは、神のみことばに背いて、反対のタルシシュ行きの船に乗りました。
その結果は、大嵐となって船が沈みそうになりました。
神から背を向けて歩む時、人生に嵐が襲ってきます。
主の御顔の前を歩むことができますように。
今日は、羊飼いの礼拝を学びました。
羊飼いは、幼子イエスを最初に礼拝する恵みを与えられました。
けれども羊飼いは、家を持たず、当時行われた人口調査の数に数えられなかったような最下層の身分の人たちでした。
しかも、羊の世話があるので、ユダヤ教の宗教的掟を魔なることができない。
救いから遠い人とみなされていました。
しかし、この羊飼いたちが最初に救い主を拝む恵みを受けた。
ここに福音が、神の愛の選びがあります。
天使が告げた喜びの訪れは、今日あなたにも投げかけられています。
「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体(すべての人)に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、あなたがた(あなた)のために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリスト(神、救い主)です。」ルカ2:10.11
神は愛なり!
◆ルカ 18:1 「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。」
◆2節以下に、「やもめと裁判官」のたとえが記されています。
不正な裁判官も、やもめがしつこく願ったとき、正しい裁判を
行ってくれました。
もし祈りがなかなか聞かれなくても、まして愛の神は、私たちが
祈り続ける時、応えてくださいます。
希望をもって祈り続けましょう。
◆ヤコブ 1:6 「ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。」
◆祈るときには、少しも疑うことなく、「神にはおできになる」と信じて祈りましょう。
神がその祈りを叶えてくださいます。
◆使 12:5 「こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」
◆迫害を受けて牢に捕らえられていたペテロのために、教会では熱心な祈りがささげられました。
神はその祈りに応えて、ペテロを奇跡的に救い出されました。
祈りこそは、すべて束縛、困難から解放する力です。
熱心な祈りをささげる者となりましょう。
◆マタ 18:19 「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」
◆二人以上の人が集まって、心を一つに合わせて祈るとき、神はその祈りに耳を傾けてくださいます。
主はどんなに小さな集まりの祈りでも、喜んで応えてくださいます。
◆マタ 6:6 「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」
◆祈る時には、見せびらかす祈りではなく、静まった場所で、神様と一対一になって祈りましょう。
神は、どのような小さな祈りをも、必ず聞いて報いてくださるからです。
今週のテーマは、「祈り」です。
◆ルカ 11:2 「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。』」
◆弟子たちが「祈りを教えてください」と願ったときに、イエスが教えられた祈りです。
「主の祈り」と呼ばれ、全世界の教会で毎礼拝ごとにささげられています。
(現在はコロナで自粛しています。)
父なる神、御名、天の御国のためにまず祈っています。
そして3節以下に、私たちの日常の信仰生活のために祈っています。
主のみ前に、日々祈りをささげる人となりましょう。
礼拝で、Y先生の体験談を話しました。
Y先生は神学生時代、病院の先生として週1回外来の勤務をしておられました。
そこで問題に巻き込まれ、「誰もわかってくれない」「何であの人はこんななのか」と
悩みもがいておられました。
そんな時、礼拝でヨハネ1章からロゴスの受肉についてメッセージを聞きました。
「ああ神様は、天から地の底まで下ってくださった。
私は無力な存在で、あの人も無力な無完全な存在である。
神は私もあの人も愛しておられる!
私は無。でも神は愛である!」
そのことを強く教えられて、神の愛とゆるしと喜びにあふれて、
歩めるようになったそうです。
キリストは私たちのために人間となり、低くなってくださいました。
それはただ、愛のためでした。
「ここに愛があるのです。神は愛です。」(Ⅰヨハ4:10,16)
神は愛なり!
Ⅱペテ 3:9 「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
神は、だれも滅びることなく、すべての人が神の愛と救いに導かれることを強く願い、私たちのために忍耐してくださっています。
神の愛のもとに帰って行きましょう。
詩 51:17 神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。
神が喜ばれるいけにえ(献げ物)は、物や金銭よりも、砕かれ謙った心です。
神はその心のうちに、あふれるばかりにゆるしと愛と救いを注いでくださるのです。
黙 2:5 「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。」
私たち人間は、どうしても失敗し、罪を犯し、誤った道を歩んでしまう時があるかもしれません。
大事なことは、どこから落ちてしまったのか、どこから道を間違えたのかを思い起こし、軌道修正することだと教えられています。
初めの純粋なあの行いを、あの感動を、あの愛を思い出しましょう。