◆詩 30:4「主にある敬虔な者たちよ【主】をほめ歌え。主の聖なる御名に感謝せよ。」
◆主の御名に心から感謝しましょう。
御名が私たちを救い、私たちを清め強めてくださるからです。
◆詩 30:4「主にある敬虔な者たちよ【主】をほめ歌え。主の聖なる御名に感謝せよ。」
◆主の御名に心から感謝しましょう。
御名が私たちを救い、私たちを清め強めてくださるからです。
今週のテーマは、「御名を呼ぶ詩篇」です。
◆詩 20:7 「ある者は戦車をある者は馬を求める。しかし私たちは私たちの神【主】の御名を呼び求める。」
◆戦いにおいて、戦車や馬は絶対に必要であり、大きな力となります。
しかし、ダビデはそれらよりも主の御名を呼び求めることが最も大切だと語っています。
◆マタ 18:22 イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」
◆ペテロが「何回赦せばいいですか」と尋ねた時、イエスが言われた言葉です。
491回目は赦さなくてもよいということではなくて、無限に赦しなさいとイエスは言われたのです。
これは非常に難しいことですが、神の愛に満たされるとき、人を真実の意味で赦すことができます。
◆ミカ 7:19 「もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。」
◆神に罪の赦しとあわれみを求めている祈りです。
キリストは、すべての罪を海の深みに投げ込んで2度と思い出さず、赦してくださる愛の神です。
◆箴 10:12 「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう。」
◆憎しみがあるところには、争いが引き起こされる。
とても耳に痛く、身の覚えのある事だと思わされるかもしれません。
しかし、神の愛は、すべての背き、憎しみ、過ちをおおいます。
神の愛に満たされることができますように。
◆ルカ 7:47 「ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
◆死に値する罪を犯した女性が裁かれようとしていた時、イエスは彼女をお赦しになりました。
彼女はどれほどイエスに感謝し、イエスを愛するようになったことでしょう。
私たちも多く赦され、多く愛する者となることができますように。
◆マル 2:10 「しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。
◆「人の子」とは、キリストの事です。
キリストは愛の神であられるので、私たちの罪を赦す権威をもっておられます。
それは、十字架の上で、ご自分の命をささげて完全な救いを成し遂げられたからです。
神は愛なり!
今週のテーマは、「赦し」です。
◆詩 32:5 私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを【主】に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。
◆愛の神は、私たちが背きを告白して心悔い改める時、その罪ととがめを赦してくださいます。
絶えず神の前に自分の背きを告白し、赦された心で日々を歩んでいきましょう。
◆箴 23:26 「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。」
◆昨日のみ言葉と似ていますが、あなたの心を神に委ね、自分の歩む道を喜ぶようにと語られています。
楽しい道、険しい道、困難な道、いろいろな時もあるかもしれませんが、神にすべてを委ねて喜んで歩むことができますように。
◆箴 16:3 「あなたのわざを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」
◆私たちの計画、考え、行いのすべてを神様にお委ねしましょう。
その時、主が私たちを導き、最善の道を進んでいくことができるでしょう。
◆箴 8:35 「なぜなら、わたしを見出す者はいのちを見出し、【主】から恵みをいただくが、わたしに背を向ける者は自分自身を痛めつけ、わたしを憎む者はみな、死を愛するからだ。」
◆神の眼差しの前に誠実に歩み、神を見出す者は神から恵みを得ることができます。
しかし、神に背を向けて歩む者は、自分の心を痛めつけ、最後に永遠の死が待っていることを心に銘記しましょう。
◆箴 6:20 「わが子よ、あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨ててはならない。」
◆子に対し、親の教えに従うように命じられています。
教えを授ける親は、子の前に誠実に歩むこと、子をいらだたせないようにすることが求められます。
◆箴 4:23 「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」
◆私たちは日々、様々なことに気を配っています。
聖書は、「何よりもまず自分自身の心を見守りなさい、心を配りなさい。
心の奥底から、いのちの水が沸き上がるのだから」と教えています。
◆箴 3:6 「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」
◆あなたがどんな道を進んでいても、平らな道でも急な上り道でも、すべての道で主を知るように、意識を向けるようにと語られています。
その時、主が私たちが進んでいる道をまっすぐにしてくださいます。
今週のテーマは、「青年に贈る言葉」です。
これは、私たちすべての者に対する言葉でもあります
◆箴 1:7 「【主】を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」
◆新共同訳では、「主を畏れる」となっていました。
主を畏敬の念をもって、畏れ敬うことこそ第1にするべき知識、考え方だと教えられています。
◆Ⅰペテ 4:13 「むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。」
◆この地上では、多くの苦難、問題にぶつかるかもしれません。
しかし、「喜びなさい」と勧められています。
天の国で、大きな報酬が、恵みが与えられて、大きな喜びに満たされることができるからです。
◆ピリ 1:29 「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」
◆私たちの信仰生活において、苦しみ、試練が襲ってくることがあります。
キリストを信じているが故の苦しみもあるかもしれません。
しかし、それを「キリストのために受ける恵み」と捉える人は幸いです。
苦しみの中にあって、忍耐の光、喜びの光を見出すことができるでしょう。
◆Ⅱコリ 4:10 「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。」
◆「イエスの死を身に帯びている」とは難しい表現ですが、自我に死ぬ、苦しみの中にあってもそれを耐え忍び、キリストのように生きるということです。
その時、私たちの存在を通して、キリストの命が現れるようになるのです。
◆Ⅱコリ 1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
◆私たちがどんな試練、苦しみ、問題の中にあっても、神が慰めを与えてくださいます。
それだけではなく、私たちは慰めに満たされて、愛する人々に慰めを与える人となることができます。
み言葉通りになりますように。
◆哀 3:25 「【主】はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。」
◆3章19節に、「私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ」と語っています。
それほどの苦しみを経験した人が、主のいつくしみを賛美し、主の望みを置く幸いを賛美しています。
主の望みを置きましょう。
◆Ⅱテサ 1:5 「それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。」
◆この世の生活では、試練、苦しみが襲ってくることもあります。
しかし、この苦しみを耐え忍ぶなら、天国が私たちを待っています。
苦しみを乗り越える力を与えていただきましょう。
今週のテーマは、「苦しみの中で」です。
◆Ⅱコリ 12:9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
◆大使徒パウロは、神の恵みが弱く苦しい時にこそ現れたと証ししています。
愛の神は、苦しんでいる人を放っておくことがおできにならないからです。
◆Ⅰコリ 6:19 「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮なのです。」
◆私たちの心は、神が与えてくださる聖霊の宮、神の教会です。
今日の礼拝において、聖霊を心の宮にお迎えしましょう。
◆エペ 5:27 「ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」
◆私たちはやがて、心にしみやしわがない栄光の体と変えられて神の前に立つとの約束のみ言葉です。
この希望を胸に、日々信仰をもって歩んでいきましょう。
◆エペ 3:6 「それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」
◆天の教会には、異邦人である私たちもキリストにあって救われて、そのメンバーとなり、救いの約束にあずかることができます。
確実な救いを体験することができますように。
◆エペ 2:22 「あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
◆教会は、神が住まわれる場所、神が現存される場所です。
私たちも聖霊によって、神の御住まいとなることができると語られています。
◆エペ 1:23 「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
」
◆キリストが頭であり、教会のメンバーはその体であると教えてられています。
体にいろいろは部分があるように、メンバーもいろいろな人がいますが、キリストという頭のもとに、私たちは一つです。
私たちはそれぞれ支え合いながら一つの体として歩むとき、素晴らしい祝福を見ることができます。
◆使 15:16 『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。』
◆アモス9章からヤコブが引用して語ったみ言葉です。
ダビデの仮庵とは神殿のことで、崩された神殿が再建されると語られています。
17節を見ると、異邦人もその救い、神の神殿のメンバーに加えられると預言されています。
今週のテーマは、エクレシア(教会)です。
◆マタ 16:18 「そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」
◆12使徒のリーダーであるペテロに語られた言葉です。
ペテロはイエスに、「あなたは生ける神の子キリストです」(16:16)と信仰告白しました。
イエスを真の神、救い主と信じる信仰の岩の上に、わたしの教会を建てるとイエスは言われたのです。
◆イザ 58:14 そのとき、あなたは【主】をあなたの喜びとする。──【主】の御口がそう語られる。」
◆聖日に、自分勝手に歩むのをやめ、聖別して心からの礼拝をささげるなら、聖日を「喜びの日」と呼ぶようになる、と語られています。
主を私たちの喜びとすることができますように。