◆ヨハ 12:32 「わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」
◆キリストは、十字架に上げられ愛に死ぬとき、すべての人をこの愛の救いのもとに引き寄せると約束していてくださいます。
十字架を信仰をもって見上げましょう。
◆ヨハ 12:32 「わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」
◆キリストは、十字架に上げられ愛に死ぬとき、すべての人をこの愛の救いのもとに引き寄せると約束していてくださいます。
十字架を信仰をもって見上げましょう。
◆ロマ 6:7 死んだ者は、罪から解放されているのです。
◆キリストともに十字架につけられて自我が死んだ者は、罪から解放され、素晴らしい救いにあずかることができます。
そして、私たちの内からキリストが生きてくださるのです(ガラ2:20)。
今週のテーマは、「十字架」です。
◆ヨハ 12:24 「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」
◆イエスは私たちの罪の赦しのために、十字架の上でご自分の命を、一粒の麦のようにささげてくださいました。
それによって私たちは、豊かな実を結ぶことができるのです。
愛・喜び・平和という実を、恵みと祝福という実を、魂の救いという実を結ぶことができます。
◆申 34:5 こうしてその場所で、【主】のしもべモーセは【主】の命によりモアブの地で死んだ。
◆その人生の最後に、「主のしもべ」であったと言われる生涯はなんと幸いでしょうか。
主のみ心のままに、主と共に歩む生涯となりますように。
◆出 33:11 【主】は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。
◆モーセは、まるで顔と顔を合わせるように、親しく鮮やかに神の現存を見ていました。
モーセの従者ヨシュアは、神の天幕から離れずにいました。
神から離れず、いつも神の現存のうちを歩む大切さを教えられます。
◆出 14:21 「モーセが手を海に向けて伸ばすと、【主】は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。」
◆エジプトから逃れた民の前に紅海が立ちふさがり、後ろからエジプト兵に攻められたとき、
主は海を分かれさせて、民を助けられました。
あなたの前にどんな障害が立ちふさがっても、神がその障害を分けて乗り越えさせてくださいます。
◆民 12:3 「モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。」
◆モーセは、誰よりも柔和な性格の持ち主でした。
これが、神様に用いられた否決でした。
私たちも、小さなことでイライラすることなく、柔和な人に
なることができますように。
◆出 3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
◆ここに神は、「わたしはある」、これがご自分の名であると語っておられます。
この御名は、神がご自分で存在する自存者であることをあらわしています。
またそれは、私たちの近くに、私たちの内に、主がいつもいてくださることをあらわしています。
今週のテーマは、「モーセ」です。
◆ヘブル 11:27 信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなくエジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。
◆モーセは、エジプトに奴隷となっていた民を出エジプトさせた人物です。
彼は強大なエジプトを前にしても、目に見えない神を信仰によって見て、様々な試練と戦いを忍び通しました。
信仰は、神の力を引き出す秘訣です。
今日は礼拝で、小さきテレジヤについて学びました。
テレジヤは、24歳という若さで聖人になりましたが、
彼女は自分の力で聖人になったのではありません。
その秘訣を、「幼な子の道」「小さい道」だと言っています。
彼女はこう言っています。
「幼い赤ちゃんが2階にいるお母さんのところへ行こうと、階段に足を上げようとする。だが高すぎて転んでしまう。それを見たお母さんは、放っておけず、すぐ降りてきて子、供を抱きしめて階段を登ってくれる。そのようにG様は、わたしたちをAし、助け、共に登ってくださるのです。」
神もこう語っておられます。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」イザ 41:10
◆ピリ 1:27 「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っている。」
◆私たちは一人で信仰の戦いをするのではありません。
聖霊と一つとなって戦うことができます。
互いに心を一つにして戦うことができるのです。、
◆Ⅱコリ 10:4 「私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。」
◆神は私たちに、要塞をも打倒すような力を与えてくださいます。
神の全能力に対する圧倒的な信仰を持つことができますように。
◆ヘブル 12:4 「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。」
◆信仰の戦いで一番難敵なのは、罪です。
罪と戦うためには、血を流すほどの強力な抵抗が必要です。
主に助けられて、罪を打ち負かすことができますように。
◆エペ 6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
◆悪魔の攻撃に、信仰の盾、聖霊の剣、かみのことば、祈りによって勝利を取るように勧められています。(6:14-18)
すべての攻撃に、勝利を取ることができますように。
◆Ⅱテモ4:7-8「 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」
◆試練を戦い抜き、最後まで走りぬき、信仰を守り通す幸いについて語られています。
義の栄冠が、天国で私たちを待っているのです。
今週のテーマは、「信仰の戦い」です。
◆Ⅰテモ 1:18 「私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言にしたがって、私はあなたにこの命令を委ねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです。」
◆日常生活、信仰生活の中では、多くの試練と戦いがあります。
信仰によって強められ、立派に戦い抜くことができますように。
使徒行伝のリバイバルの突破口となった物語を学びました。
神殿の美しの門で、生まれつき歩けない人から施しを乞われた時、ペテロは言いました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」使 3:6
イエスの名によってペテロが命じると、その人は歩けるようになりました。
その秘訣を、ペテロはこう言っています。
「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」使 3:16
イエスの御名に力があります。
イエスを信じ、御名によって祈り求めましょう。
神の偉大な御力を引き出すことができますように。
◆エペ 3:17 「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」
◆キリストが心に宿りいつも歩んでくださるために、必要なことは信仰です。
キリストこそ、今も生きておられる真の神であることを信じるとき、
神は私たちのうちに宿って下さるでしょう。
◆ロマ 10:8 「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。
◆この箇所で記されている「みことば」とは、キリストのことです。
キリストは、私たちの近くにいつもおられ、私たちの口に、そして心に宿ってくださいます。
◆Ⅱコリ 4:7 「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」
◆私たちの心に、キリストという宝をお迎えすることのうちに、幸いの秘訣があります。
うちにおられるキリストから、偉大な神の力を引き出すことができるからです。
◆Ⅱコリ 6:16 私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
◆私たちは、心のうちに神が宿って下さる宮です。
神は私たちの生活の中に、心の中に住み、私たちとともに歩んでくださいます。
◆ロマ 8:11 「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」
◆聖霊が心のうちに宿っているなら、天国のいのちに生きる者となることができると語られています。
自分のうちに聖霊があるとの強い自覚を与えていただくことができるように、「聖霊、来て下さい」と
いつも祈り求めましょう。
今週のテーマは、「内住のキリスト」です。
◆ガラ 2:20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
◆私たちの信じるキリストは、頭だけで理解する方ではなく、私たちの生活において、私たちとともに、私たちの心のうちに生きてくださる神です。
◆ヨハ2:11 「イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」
◆カナの結婚式の物語を学びました。
結婚式のさ中、ぶどう酒がなくなってしまいました。
当時これは、末代にも残る恥とされる大問題であったと言われています。
しかし、イエスは水をぶどう酒に変えて救いの手を差し伸べられました。
この奇跡によって、イエスは神の栄光を現されました。
これこそ、イエスが真の神であることの「しるし」です。
今日私たちも、弟子たちのように、信じる者になりましょう。
◆Ⅰヨハ 4:10 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
◆イエス・キリストは、愛の救い主、愛の神であることが語られています。
私たちが愛したから、神は私たちを愛してくださったのではないのです。
私たちが神を愛していない、信じていない、心を向けていない時から、
私たちを愛してくださった。
ここに愛があります。
神は愛なり!
◆ロマ 1:4 「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。」
◆ここにも、イエスがどんなお方であるか記されています。
聖霊が証ししているのは、イエスは死より復活した神の子(真の神)であり、力に満ちておられる方であるということです。
この方こそ、「主」まことの唯一の神、「キリスト」まことの救い主です。
このお方を心から信じ礼拝しましょう。
◆Ⅰヨハ 5:20 また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
◆イエスはどなたでさるか、鮮やかに記されています。
イエス・キリストこそ、まことの神様であり、永遠のいのちです。
神は、このお方を知り信じる理解力を与えてくださいます。
その時、私たちはキリストのうちを歩む者となるのです。
ヨハ 10:30 「わたしと父とは一つです。」
◆これは、イエスの神性宣言です。
ご自分が父なる神と一つであること、神であることを啓示されました。
私たちはイエスの姿を通して、神に出会うのです。