今週のテーマは、「道を選ぶ」です。
◆マタ 7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」
◆皆が選んでいる広い道は、とても危険な道であり、滅びに至る道かもしれません。
救いに至る門は狭いことを思い、日々誠実に歩んでいきましょう。
今週のテーマは、「道を選ぶ」です。
◆マタ 7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」
◆皆が選んでいる広い道は、とても危険な道であり、滅びに至る道かもしれません。
救いに至る門は狭いことを思い、日々誠実に歩んでいきましょう。
◆イザ 30:18 「それゆえ【主】は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。【主】が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。」
◆主は私たちに、恵みと憐みを与えようと待っていてくださいます。
主を待ち望む人は何と幸いでしょう。
その人は、愛と憐みを豊かに受けることができるからです。
◆ゼカ 10:1 【主】に雨を求めよ、後の雨の時に。【主】は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。
◆後の雨の時、すなわち終わりの時に主に聖霊の雨を求めるようにと語られています。
私たちが祈り求める時、聖霊の大雨、祝福の大雨をもって答えてくださいます。
◆ヨエ 2:23 シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。
◆このみことばは、自然界の恵みの雨を示すとともに、聖霊の雨について示しています。
先の雨はペンテコステであり、後の雨が終末の注がれる聖霊の注ぎの事です。
聖霊の大雨を求めて祈りましょう。
◆使 1:14 「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」
◆弟子たちはイエスの昇天後、ペンテコステの聖霊の注ぎを求めてひたすら心を一つにして祈り求めました。
ペンテコステを5月に迎えようとしていますが、私たちも心を合わせて聖霊の注ぎを祈り求めましょう。
◆Ⅱ列王 2:14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、【主】はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。
◆師であるエリヤが天へ帰るのを見たエリシャは、エリヤの外套を手に持ち信仰をもって祈りました。
その時、神はエリシャの手を通して素晴らしい御業を行ってくださいました。
私たちも「エリヤの神は、主はどこにおられますか」と主に祈りましょう。
◆Ⅰ列王 18:37 「私に答えてください。【主】よ、私に答えてください。そうすればこの民は、【主】よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」
◆預言者エリヤがバアルの預言者と対決した時の祈りです。
どちらの神が真の神であるのかと対決した時、エリヤは「私に答えてください」と熱烈に祈りました。
その時、神の火が激しく下ったのです。
今週のテーマは、「主を待ち望む」です。
◆イザ 40:31 「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」
◆主を待ち望む者は、神の偉大な力に満たされることができます。
そして、この悩み多き世を、疲れることなく歩んでいくことができます。
何と希望の満ちたみことばでしょうか。
◆イザ 58:9 「そのとき、あなたが呼ぶと【主】は答え、あなたが叫び求めると、『わたしはここにいる』と主は言う。」
◆主は今の生きておられる真の神様ですから、私たちの祈りと叫びに答えてくださいます。
信仰をもって主を呼び求めましょう。
主は言われます。「わたしはここにいる!」。
◆ヨハ 14:18 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。」
◆主は私たちを見捨てて、孤児に、一人きりにされません。
主は遠いところにおられると感じることもあるかもしれませんが、
必ず私たちのところに戻って来てくださいます。
私たちとともにいつもいてくださるのです。
◆詩 6:9 「【主】は私の切なる願いを聞き【主】は私の祈りを受け入れられる。」
◆主はひどく恐れおののいている魂の願いを聞き、祈りに応えてくださいます。
孤独と弱さを感じたなら、主に祈りをささげましょう。
◆エレ 15:20 この民に対して、わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたと戦っても勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出すからだ。──【主】のことば──
◆たとえあなたが一人でも、神が堅固な城壁となり、私たちを救い守ってくださいます。
全能の神がともにおられることを、心の支えとしましょう。
◆創 28:15 「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
◆神は、私たちがどこへ行っても、どんな状況でも、あなたを守り捨てないと言われます。
私たちは、愛する人々から、裏切られたり、見捨てられることもあるかもしれません。
しかし、神は決して見捨てられることはないのです。
◆詩 25:15 「私の目はいつも【主】に向かう。主が私の足を罠から引き出してくださるから。」
◆「ひとり苦しんで」(16節)いたダビデは、その目を、意識を、心の目を、いつも主に向かわせました。
これこそ、ダビデが罠や試練から守られた秘訣でした。
今週のテーマは、「孤独なとき」です。
◆詩 68:6 「神は孤独な者を家に住まわせ捕らわれ人を歓喜の歌声とともに導き出される。」
◆神は私たちが孤独を感じる時、その思いに寄り添い心をかけてくださいます。
孤独を感じる時、神様に心の目を向けましょう。
◆マタ 26:28 「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」
◆最後の晩餐の時に語られたイエスの新契約のことばです。
(聖餐式の時にも語られることばです。)
イエスが十字架で流された尊い血によって、すべての人の罪は赦され清められる契約が実現しました。
キリストの愛の血(いのち)を信仰をもって受け取りましょう。
◆エレ 31:33 「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
◆主が民の神となり、民は神の民とされるとの契約です。
この契約は、私たちにも与えられている契約です。
主が私たちの神となり、私たちは神の民、神の子とされるのです。
◆Ⅱサム 7:16 「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」
◆主がダビデと立てられた契約です。
神の前に正しく忠実に歩むダビデに、主は素晴らしい約束を与えられました。
主は同じ祝福を私たちにも与えてくださいます。
◆出 24:8 モーセはその血を取って、 民に振りかけ、 そして言った。
「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、【主】があなたがたと結ばれる契約の血である。 」
◆モーセとアロン、彼の子どもたち、長老たちは、いけにえの血にかけて神の戒めを守ると誓いました。
神は民を、祝福し、ご自分の栄光を彼らにお示しになりました。
◆出 20:3 「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」
◆神はシナイ山において、モーセに十戒(シナイ契約)を与えられました。
これは私たちが、神の前に清く歩むために守るべき戒めでした。
◆創 17:2 「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」
◆神がアブラハムに現れた時、多くの子孫が与えられるとの契約をお与えになりました。
アブラハムは、この時点で99歳、子どもが与えられることは絶望的でした。
今週のテーマは、「契約」です。
◆創 9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。」
◆神はノアに、もう2度と洪水によって裁きを与えないとの契約のしるしとして虹を示されました。
虹は、神が私たち人間に、平和と祝福を求めておられるしるしです。
◆Ⅰペテ 1:3 「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」
◆キリストの復活は、私たちに新生の希望、生ける希望、復活の希望を与えてくださいました。
キリストを信じて、神の命に生きる者となることができますように。
◆Ⅰコリ 15:8 「そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。」
◆使徒パウロのことばです。
迫害者であり、一番救われる資格のないこのような私にも、復活のイエスが現れてくださったと語っています。
私たちも復活の主とお出会いすることができますように。
◆黙 1:18 「生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。」
◆黙示録に記されているイエスの言葉です。
イエスは死より復活し、生きたまま天に帰って行かれました。
ですから今も永遠に生きて、私たちのために働いてくださるのです。
◆ロマ 4:25 「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」
◆イエスは、私たちの罪のために十字架で死んでくださいましたが、死を打ち破ってよみがえってくださいました。
それは、私たちが神の前に義と認められ、救われるためでした。
◆ヨハ 20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
◆トマスは12弟子の一人でありながら、他の弟子たちが「私たちは主を見た」と語った喜びの証しを信じることができず、不信仰で不敬虔な言葉をつぶやきました。
しかし、イエスは、このトマスと出会い、ご自身の栄光を現してくださいました。
◆ヨハ 20:20 「こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。」
◆復活されたイエスは、弟子たちに十字架の傷跡を見せて、本当によみがえったことを示されました。
絶望していた弟子たちは、復活された主を見て、飛び上がるばかりに喜びました。
今週のテーマは、「復活」です。
◆マタ 28:6 「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」
◆イエスの体が納められていた墓は、今も空です。
それは、イエスが死を打ち破ってよみがえられたからです。
◆ヨハ 19:30 イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
◆イエスは十字架の上で、息を引き取る前に、「完了した」と言われました。
それは、救いのすべての御業が完了した、成し遂げられたという意味です。
ですから私たちは、どのような人も救われ、清められ、変えられることができるのです。
◆ルカ 23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
◆イエスが、共に十字架に付けられた盗賊に対して語られたことばです。
十字架に付けられるほどの大罪人でしたが、死の間際に悔い改めてイエスを信じた時、彼は天国を与えられました。
誰でも遅すぎることはありません。
◆ヨハ 19:17 「イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。」
◆以前ゴルゴタの丘に行かせていただきましたが、そこは本当に岩肌がどくろに見える丘でした。
そこで賛美し祈った時、神の愛が心一杯に満たされた感動がよみがえってきます。
神の愛が皆さんの上にも豊かに注がれますように。
◆ルカ 23:21 しかし彼らは、「十字架だ。十字架につけろ」と叫び続けた。
◆群衆は、人類の罪の身代わりとして愛に死のうとしておられるイエスに対して、「十字架につけろ」と叫びました。
私たちは、イエスではなく、自分自身の罪、自我を十字架につけ、神の命に生きる者となりましょう。
◆ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」
◆洗礼者ヨハネは、イエスについて「世の罪を取り除く神の子羊」と言いました。
イエスこそ、旧約の罪のいけにえが示す実体であることを宣言したのです。
イエスの十字架の目的がここに示されています。
◆エペ 2:16 「二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」
◆キリストの十字架は、ユダヤ人と異邦人を、さらに神と人間とを和解させ、一つのからだとしてくださいます。
キリストの十字架の力を信じる者となりましょう。
今週のテーマは、「十字架」です。
◆ガラ 3:13 「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。」
◆十字架は、大罪人が処せられる死刑の方法で、呪われたものとみなされていました。
しかし、イエスは自らこの呪われた者となり、私たちを救い出してくださいました。
ここに愛があります、
◆イザ 6:8 私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
◆預言者イザヤは、主の招きの声を聞いたとき、「私を遣わしてください」と応えました。
私たちも困難な状況の中に陥るときがあるかもしれませんが、神様のために「私を遣わしてください」と立ち上がる者となりましょう。
◆ルカ 5:11 「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」
◆弟子たちにイエスが召命の御声をかけられたとき、彼らはすべてを捨ててイエスに従いました。
舟は彼らの生活手段であり、それをささげることは大きな犠牲であったと思います。
しかし、弟子たちはそれらを惜しみなくすぐにささげてイエスに従いました。
これこそ全き献身の姿です。
◆マル 14:8 「彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。」
◆ベタニアのマリアは、イエスの足に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎました。
それは当時のお金で、250万円以上するほど高価なものでした。
彼女は、これから十字架にかかろうとしているイエスのみ思いを理解し、
埋葬の準備として香油を注いだのでした。
真の献身は、自分の一番大切なものをささげること、与えることです。
◆エレ 30:21「わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。いのちをかけてわたしに近づく者は、いったいだれか。──【主】のことば──」
◆エルサレムが崩壊し、民がバビロンに捕囚となっている時に語られたみことばです。
中途半端な思い、信仰ではなく、本当にいのちをかけるほどの情熱と信仰が求められました。
今、キリストに従うのに身の危険を感じることはありませんが、このような熱意をもって神に近づく者となりましょう。
◆エス 4:14 「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。…あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
◆エステルは、ペルシャの王妃となりましたが、ユダヤ人虐殺の危機が襲ってきました。
その時、エステルは、自分の命の危険も顧みず、民の救いのために王に執り成しました。
自分さえ良ければいいという考えではなく、エステルのうちに自己犠牲の思いを見ます。
今週のテーマは、「全き献身」です。
◆ルカ9:23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
◆真のイエスの弟子となるための条件が語られています。
私たちの日々には、必ず試練や問題が起こってきます。
けれどもその時、その十字架を背負って従い行く者となりましょう。
◆使7:9参照 「族長(兄弟)たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、あらゆる苦難から彼を救い出されました。」
◆神はヨセフとともにいて、あらゆる苦難から守り救い出してくださいました。
私たちも、主とともに歩みましょう。
神が私たちを支え守ってくださるからです。
(オープンチャペル)
◆創 46:30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」
◆「もう今、私は死んでもよい」。待望していたヨセフとの再会の喜びが伝わってきます。
幼子イエスと出会った老シメオンのことばが示されます。
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ2:29,30)
もう死んでも良いと感じるほどの神との親しい出会いを求めていきましょう。
◆創 45:5 「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」
◆エジプトに自分を売り飛ばした兄弟たちと出会ったときに、ヨセフが語ったことばです。
自分が売られたことは神の救いのご計画であると、ヨセフはひどい兄弟たちを赦しました。
ヨセフの赦し、神の驚くべき御業が心を震わせます。
◆創 41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は一つです。神が、なさろうとしていることをファラオにお告げになったのです。」
◆ヨセフはファラオが見た夢の意味を、見事に解き明かしました。
神が彼に知恵を与えられたからです。
囚人であったヨセフは、エジプトの宰相になりました
神のなさるみわざは何と偉大なことでしょう。
◆創 39:3 「彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。」
◆ヨセフを奴隷として買った侍従長のポティファルは、主がヨセフとともにおられるのを見ました。
主が彼の行うすべてのことを祝福してくださったからです。
主とともに歩む幸いを見ることができます。
◆創 37:28「それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。」
◆父ヤコブに特別かわいがられていたヨセフは、兄弟から妬まれ、銀二十枚で奴隷として売られてしまいました。
私たちも人から、思いがけない言葉を浴びせられ、いわれのない反感を買い、理不尽な仕打ちを受けることがあるかもしれません。
しかし、ヨセフを助けられた主が、私たちを支え守ってくださいますように。
今週のテーマは、「ヨセフ物語」です。
◆創 37:7 「見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
◆ヨセフは、やがて兄弟たちがヨセフの前にひれ伏すのを夢で見せられました。
しかし、兄弟たちからは、それによって反感を買ってしまいました。
私たちの場合、余計なことを言って相手を怒らせてしまうこともあるかもしれません。
聖書は、「もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です」(ヤコブ3:2)と言っています。
◆コロ 3:11 「そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」
◆Ⅱコリ 4:7 「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」
◆Ⅰヨハ 4:4 「子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。」
◆私たちの心のうちにキリストを迎える時、私たちはすべてのことに勝利を取ることができます。
内におられるお方は、偉大な全能の力を持つ神様だからです。
◆Ⅱコリ 6:16私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
◆私たちは人間は、神が宿ってくださる生ける神の神殿だ、と神は言われます。
神は私たちの近くに住み、私たちの心に宿り、私たちとともに歩んでくださいます。
神を現わす真の神殿とならせていただきましょう。
◆ガラ 2:20 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
◆パウロは、「キリストが私のうちに生きておられる」と語りました。
彼が行った偉大な御業は、自分の力に依ったのではなく、神が自分の内から生き働かれたと言っているのです。
私たちも自我に生きるのではなく、キリストが私たちの内から生き働いてくださいますように。
◆エペ 3:17 「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」
◆信仰によってキリストを心に迎える時、キリストは私たちのうちに住んでくださいます。
いつもキリストを感じ、キリストと共に歩むことができるのです。
今週のテーマは、「内住のキリスト」です。
◆コロ 1:27 「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
◆聖書の最も奥深い大切な教えは、私たちの心の中に来てくださるキリストであると語られています。
内住のキリストこそ、私たちを導く希望の光です。
◆ピリ 2:16 「いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
◆世の光として輝くように求められています。
そのためには、多くの努力、労苦が必要ですが、天国でその報いを受けることができます。
周囲の人々に、いのちの光を輝かせましょう。
◆エペ 5:8 「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」
◆以前は真の救いを知らない闇の中を歩んでいた私たちが、救いと愛の光を受けて神の子どもとされました。
周囲の人々に光を放つ光の子どもとなることができますように。
◆黙 1:6 「また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。」
◆神は私たちを、天国のメンバーとし、神に祈る祭司としてくださいました。
それは自分が救われるだけでなく、愛する人々の救いのためにとりなし祈るためです。
◆Ⅰコリ 1:2 「コリントにある神の教会へ。すなわち、いたるところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。」
◆コリントの教会の信徒たちは、いたるところで主の名を呼び求めていたと記されています。
集会の時だけでなく、いつもいたるところで主の名を唱えながら信仰生活を歩みましょう。
◆エペ 1:4 「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」
◆神は私たちを救い、聖なる者としようと天地が造られる前から選んだ、と記されています。
神様の選び、ご計画の通りに歩む者となりましょう。
◆ロマ 8:16,17 「御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。子どもであるなら、相続人でもあります。」
◆私たちは聖霊によって、神の子ども、天国の相続人とされました。
やがて天国の恵みが私たちを待っているのですから、クリスチャンとして精一杯歩んでいきましょう。
今週のテーマは、「クリスチャン」です。
◆マタ 5:13 「あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。」
◆「塩」とは料理に欠かせず、美味しくするものですが、周りをよくする人となるようにとの意味です。
また、「塩」は腐敗防止に用いられますが、周りを堕落させない清さを保つ人になるようにとの意味もあります。
◆黙 3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
◆ラオディキアにある教会に対する主の言葉です。
今日も心の戸を開いて、キリストを私たちの心にお迎えしましょう。
◆黙 3:5 「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。」
◆サルディスの教会に告げられた言葉です。
信仰の戦いに勝利する者は、聖化の衣、キリストの衣を着せられ、いのちの書に永遠にその名を刻まれることができます。
◆黙 2:28 「また、勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。」
◆ティアティラの教会に語られたことばです。
イエスは、黙22:16で「わたしは…明けの明星である」と語られました。
ご自分こそは、神の現存の光、再臨の希望の光であることをはっきり宣言されたのです。
この光を受ける者となれますように。
◆黙 2:17 「勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。』
◆ペルガモンの教会に対する主の言葉です。
「マナ」とは、出エジプトの時に天から与えられたバンであり、命のパンであるキリストを表します。
◆黙 2:10 「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。」
◆スミルナの教会に語られたことばです。
聖書を見ると、神様に忠実に従って祝福を受けながら、途中で神様から離れてしまった人を多く見ます。
死に至るまで、最後の一呼吸まで、忠実に神様に従う者となりましょう。
そのとき、天国でいのちの冠が私たちを待っているからです。
今週のテーマは、黙示録に記されている「七つの教会」です。
この「七つの教会」とは、①当時の教会、②教会史における7つの時代の教会、③教会の信仰の姿、タイプ について記されていると言われています。
◆黙2:4,5 「あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。」
◆キリストの救いを受け、感動の涙を流したあの初めの愛に帰りましょう。
神は、悔い改めて帰ってくる人を愛の手で受け入れ愛してくださいます。
◆ヨシ 24:15 「【主】に仕えることが不満なら、…あなたがたの先祖が仕えた神々でも…あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は【主】に仕える。」
◆私たちは、信じ切れなかったり、他のものに頼ることがあるかもしれません。
ヨシュアのように、生涯真の神のみに仕え、信じ、頼る者となりましょう。
◆ヨシ 21:45 「【主】がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」
◆ヨシュアが晩年に語ったことばです。
神の約束は、必ず実現することを知ることができます。
生涯の終わりに、このように語ることができますように願います。
◆ヨシ 13:6 「わたしがあなたに命じたとおり、あなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。」
◆神の祝福(の地)を獲得するには、多くの戦いがあるかもしれません。
神が与えてくださる祝福を目指して、信仰の戦いを立派に戦い抜きましょう。
◆ヨシ 6:4 「七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を手にして、箱の前を進め。七日目には、あなたがたは七回、町の周りを回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らせ。」
◆ヨシュアは主の言葉に従い、エリコの城壁の周りをぐるぐる回りました。
無意味に思えたかもしれませんが、神の言葉通り行動したとき、エリコの城壁は崩れ、勝利を取ることができました。
秘訣は、神の言葉に従うことです。
◆申 3:25 「どうか私が渡って行って、ヨルダン川の向こう側にある良い地、あの良い山地、またレバノンを見られるようにしてください。」
◆モーセの言葉です。
彼は神の言葉に従いとおすことができず、約束の地に入ることはできませんでした。
私たちは恵みの時代に生きているので、誰でも信じて求める者は神の約束の地、祝福の中に入れられることできます。
◆民 13:27 彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。」
◆約束の地は、乳と蜜が流れているかのような素晴らしい豊かな地であると語られています。
神は私たちを、霊的にこのような豊かな愛と祝福へと導いてくださいます。
今週のテーマは、「約束の地」です。
◆ヨシ 1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。」
◆モーセに率いられて出エジプトした民の前に、ヨルダン川が立ちふさがりました。
しかし神は、モーセの後継者であるヨシュアに信仰をもってヨルダン川を渡るように命じられました。
◆ヨハ 1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」と言った。
◆アンデレは、兄弟シモン(ペテロ)をイエスのもとに連れて来ました。
それは「キリスト(救い主)に出会った」との短い証しを通してでした。
彼の内から、救い主に出会った喜びと輝きが溢れていたのだと思います。
◆Ⅰテモ 4:12 「あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい。」
◆パウロが弟子であるテモテに語ったことばです。
パウロは若いテモテに、ことば、態度、愛、信仰、純潔を、存在を通して示すように教えています。
口先だけではなく、言葉と存在を通して信仰を示していくことができますように。
◆ダニ 3:25 すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
◆偶像(王)の像を拝まなかった3人の者は、火の炉の中に投げ込まれました。
しかし、神の子が彼らとともにあり、彼らは火傷をせず、何の害も受けませんでした。
神は降りかかってくる災いから、あなたを守ってくださいます。
◆エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
◆私たちは、偶然生まれて来たのではなく、神は私たちが生まれる前から知り、命を与えてくださったのです。
誰も「生まれてこなかった方が良かった」という人はおらず、神は私たちに生きる目的と使命を与えてくださっているということです。
神様の御計画と期待に、応える者となりましょう。
◆Ⅱ列王 2:9するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。
◆預言者エリシャは、師であるエリヤの霊の二倍の分を主に願い、それを受け取りました。
私たちもこのように大胆に、神の霊が豊かに注がれるように求めましょう。
◆士 6:14 すると、【主】は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
◆自分の無力さを感じてしりごみしていたギデオンを、主が励まし力付けてお遣わしになりました。
主は私たちの今持っている小さな力を必要としてくださいます。
今週のテーマは、「聖書の青年たち」です。
◆創 39:23 「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。」
◆兄弟に裏切られ、エジプトに奴隷に売られたヨセフでしたが、神がともにおられたので監獄においても彼は祝福を受けることができました。
私たちも主と共に歩む人になりましょう。
◆詩 32:1 「幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。」
◆罪を赦されることの幸いが語られています。
その人は、神の国に入れられ、永遠のいのちと恵みに生きることができるからです。
罪の赦しの恵みが与えられますように。
◆詩 51:7 「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」
◆ヒソプはシソ科の植物で、旧約時代、過越の血を入り口の鴨居に塗るために使用され、罪の赦しの象徴でした。
イエスの十字架の身代わりの血によるなら、雪よりも白い心に清められることを示しています。
◆ヨエ 2:13 「衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、【主】に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。」
◆聖書に、悔い改めた人がその衣服を裂いたことが記されていますが、主は外的なパフォーマンスではなく、その心を引き裂き砕かれて神に立ち返るようにと語っておられます。
神は、情け深くあわれみに満ち、赦して恵みを注いでくださるお方だからです。
◆Ⅰヨハ 1:9 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」
◆神の前に罪を告白して悔い改める時、神は喜んで私たちの罪を赦し、私たちの心を清めて真っ白にしてくださいます。
日々、何か心を責めることが思い浮かんだなら、真心をもって悔い改めの祈りを捧げましょう。
◆エペ4:22,24 「その教えとは、…古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」
◆神は私たちが、今の古い自分を脱ぎ捨て、キリストに肖った新しい人を着ることを願っておられます。
どうか無力な自分、迷いやすい自分を捨て去ることができますように。
◆ルカ 15:18 「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。」
◆イエス様の「放蕩息子」のたとえ話のみことばです。
彼は父の財産を散在して浪費しましたが、心を入れ替えて父のもとに帰っていきました。
私たちも神様の愛のふところに、いつも帰っていきましょう。
今週のテーマは、「悔い改め」です。
「悔い改め」という言葉には、「方向転換」という意味があります。
◆ルカ 5:32 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」
◆イエスが人間となってこの地上に来られた目的は、罪の中でもがいている人を招いて救いの道に導くためです。
ここに神の愛があります。
◆Ⅰヨハ 3:23 「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」
◆主は、イエス・キリストの名を心から信じるようにお命じになりました。
イエスを信じて主の御名を呼び求める人のうちに、神の救いが、神の命が与えられるからです。
◆ヨハ 15:12 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」
◆イエスの戒めは、あれをしてならない、これをしてはならないではなく、「互いに愛し合うこと」、この一事にすべてがかかっています。
イエスが私たち人類を、この大きな愛で愛してくださいました。
私たちも互いに愛し合う者となることができますように。
◆マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
◆イエスは、苦手な人、無視する人、理不尽な人でもなく、「敵を愛しなさい」と言われました。
イエスはご自分を十字架につける人をも愛し、このみことばを実践されました。
ここに大きなあたたかい神の愛を見ることができます。
◆マタ 5:34 「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。」
◆神様にかけて誓ってはならない、と教えられています。
私たち人間は気持ちがあっても、どうしても実行できないことがあるためです。
誓わずして、誠実にその思いと行動をやり遂げることが大切です。
◆マタ 5:25 「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。」
◆イエスは、「和解する」ことの大切さを教えられました。
誰かと揉めた時、和解すること、ゆるすことは非常に難しいかもしれません。
しかし、神の愛によってすべての人と和解することができますように。
◆マタ 20:26 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」
◆人はどうしても、「偉くなりたい」「上に立つ者になりたい」と思いがちですが、
イエスは、「使える者になりなさい」と語られました。
人に謙遜に従い仕える人こそ、天国の基準では評価され、イエスはお喜びになるのです。
今週のテーマは、「イエスのいましめ」です。
◆マル 8:34 それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
◆ここに真の弟子の条件が語られています。
信仰生活の歩みの中で、つらく険しい道を歩むこと、十字架を背負うこともあるかもしれません。
しかし、自分勝手に生きるのではなく、この道からそれるのでもなく、最後まで主に従う者となれますように。
◆ヘブル 11:20 「信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。」
◆イサクは、神を信じて、日々信仰生活を歩みました。
私たちも信仰によって歩み、何事も信仰によって乗り越えていきましょう。
◆創 26:28 「私たちは、【主】があなたとともにおられることを確かに見ました。」
◆いさかいがあったアビメレクがイサクに言ったことばです。
イサクは、その行動と存在において、神がともにおられるとの印象を
人々に与えていました。
私たちを通しても、「主がともにおられる」との印象を人々に与える者となれますように。
◆創 26:25 「イサクはそこに祭壇を築き、【主】の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。」
◆当時水道はなく、井戸は非常に大切なものでした。
イサクは、祭壇を築いて主の御名を呼び求めてから、天幕を張り、井戸を掘りました。
これこそ、神より祝福を受ける秘訣です。
◆創 26:12 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】は彼を祝福された。」
◆主がイサクを祝福されたので、彼が蒔いた種は100倍の収穫をもたらしました。
神に信頼され、神の祝福を受ける者となることができますように。
◆創 24:58 彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。
◆イサクの妻になることを決意したリベカは、すぐに「はい、行きます」と答えました。
神様の選びに応えられた創立者夫人、大槻筆子先生のことを思い出します。
私たちも、神の選び、聖書の呼びかけに、「はい、行きます」と答えましょう。
◆創 22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
◆アブラハムは神に、その子を捧げるように命じられたとき、イサクをささげようとしました。
アブラハムは、「死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ」てローマ4:17)、イサクを生き返らせてくださると確信していたからです。
アブラハムの信仰に倣う者となりましょう。
今週のテーマは、「イサク」です。
◆創 21:3 「アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。」
◆「イサク」は、信仰の父アブラハムの息子で、彼が100歳の時の子どもです。
妻サラも高齢でしたが、神は不可能を可能にして彼に子をお与えになりました。
「イサク」とは、「彼は笑う」という意味です。
◆Ⅰヨハ 4:10 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
◆私たちが神を愛する前から、神は私たちを決して変わらない無限の愛で愛してくださいました。
私たちへの愛のゆえに、キリストは十字架の上で身代わりとなって死に、愛といのちを注いでくださいました。
ここに愛があるのです。
神は愛なり
◆ヨハ 3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
◆「ミニバイブル」と呼ばれ、キリストの教えの大切な内容がこのみことばに凝縮されています。
神は私たちをこのような大きな愛し、永遠のいのちを与えたいと願っておられます。
キリストの愛のみ姿に、心の目を向けましょう。
◆使 2:21 「しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。」
◆このみことばは、旧約聖書ヨエル書2章32節からの引用で、聖書中全部で3回も記されている大切なみことばです。
主の御名を呼び求める時、私たちは神のいのちを受けて救われることができると約束されています。
主の御名を敬虔な思いで、唱え崇めましょう。
◆エレ29:12,13 「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」
◆神は私たちに祈りを聴き、求める者に出会ってくださるお方です。
心を尽くして主を求めましょう。
いのちをかけるほどに求めるなら、あなたは神を心の目で見つけることができるのです。
◆ヨハ 20:31 「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
◆天国のいのち、永遠のいのちを得る秘訣が記されています。
イエスを神、救い主と信じて、イエスの名によっていのちを得ることができると約束されています。
このいのちに満たされて、日々の生活を歩んでいくことができますように。
◆マタ 1:21「その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
◆イエスの父、ヨセフに天使が告げたことばであり、私たちのグループに「聖イエス会」と名付けるよう示されたみことばです。
私たちは、同胞の救いのために、家族、知人友人の救いのために神から召されているのです。
私たちの周囲の人々に、福音を伝えましょう。
また、地震で苦しんでいる方々のために、祈りをささげましょう。
今週のテーマは、私たちに教えられた「大切な教え」です。
◆使 9:15 「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。」
◆「あの人」とは、使徒パウロの事で、これは私たちに対するみことばでもあります。
私たちは主の御名を、あらゆる人に伝えるために選ばれた器だ、と語られています。
与えられている素晴らしい福音を伝える人となりましょう。
◆ヨシ 1:5「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
◆このみことばは、モーセの弟子ヨシュアに主が語られたみことばです。
主は聖書の使徒や預言者とともにおられて働かれたように、弟子である私たちとともにいてくださいます。
どんな最悪の状態になったとしても、絶対に見放さず、見捨てられない愛の神様です。
◆マタ 28:20 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
◆イエスが天へお帰りになる前に、弟子たちに語られたみことばです。
「世の終わりまで」とありますが、それはいつもどこでもどんなときにも、
「我は有りて在る者なり」と言われる主がともにいると約束してくださっています。
この主の現存の中を歩ませていただきましょう。
◆マタ 1:23 「その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
◆生まれてくる救い主イエスは、インマヌエルと呼ばれると預言されています。
イエスは、私たちといつもどんな時にもともにいてくださる神様です。
このお方に、いつも心の目を向けましょう。
◆ヨハ 8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」
◆アブラハムは、イエスの約2000年前の人です。
イエスは、ご自分がアブラハムの前から、永遠の初めから存在している先在者、真の神であることを宣言されたのです。
◆ヨハ 8:28 「あなたがたが人の子を上げたとき、そのとき、わたしが『わたしはある』であること、また、わたしが自分からは何もせず、父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していたことを、あなたがたは知るようになります。
◆「人の子」とはイエス、「上げた時」とは、十字架のことです。
イエスが十字架に上げられた時、「わたしはある」との主の現存、イエスが話された「神のことば」について、体験的に知るようになると語られています。
私たちの信仰の目を、イエスに向けてましょう。
◆ヨハ 8:24 わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」
◆イエスこそ、「わたしはある」というお方であることを信じる大切さが語られています。
信じないならば、罪の中に滅びるとの強いことばで語られています。
イエスは、ただ一人「わたしはある」ということのできる自存者である神様です。