◆エペ4:22,24 「その教えとは、…古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」
◆神は私たちが、今の古い自分を脱ぎ捨て、キリストに肖った新しい人を着ることを願っておられます。
どうか無力な自分、迷いやすい自分を捨て去ることができますように。
◆エペ4:22,24 「その教えとは、…古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」
◆神は私たちが、今の古い自分を脱ぎ捨て、キリストに肖った新しい人を着ることを願っておられます。
どうか無力な自分、迷いやすい自分を捨て去ることができますように。
◆ルカ 15:18 「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。」
◆イエス様の「放蕩息子」のたとえ話のみことばです。
彼は父の財産を散在して浪費しましたが、心を入れ替えて父のもとに帰っていきました。
私たちも神様の愛のふところに、いつも帰っていきましょう。
今週のテーマは、「悔い改め」です。
「悔い改め」という言葉には、「方向転換」という意味があります。
◆ルカ 5:32 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」
◆イエスが人間となってこの地上に来られた目的は、罪の中でもがいている人を招いて救いの道に導くためです。
ここに神の愛があります。
◆Ⅰヨハ 3:23 「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」
◆主は、イエス・キリストの名を心から信じるようにお命じになりました。
イエスを信じて主の御名を呼び求める人のうちに、神の救いが、神の命が与えられるからです。
◆ヨハ 15:12 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」
◆イエスの戒めは、あれをしてならない、これをしてはならないではなく、「互いに愛し合うこと」、この一事にすべてがかかっています。
イエスが私たち人類を、この大きな愛で愛してくださいました。
私たちも互いに愛し合う者となることができますように。
◆マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
◆イエスは、苦手な人、無視する人、理不尽な人でもなく、「敵を愛しなさい」と言われました。
イエスはご自分を十字架につける人をも愛し、このみことばを実践されました。
ここに大きなあたたかい神の愛を見ることができます。
◆マタ 5:34 「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。」
◆神様にかけて誓ってはならない、と教えられています。
私たち人間は気持ちがあっても、どうしても実行できないことがあるためです。
誓わずして、誠実にその思いと行動をやり遂げることが大切です。
◆マタ 5:25 「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。」
◆イエスは、「和解する」ことの大切さを教えられました。
誰かと揉めた時、和解すること、ゆるすことは非常に難しいかもしれません。
しかし、神の愛によってすべての人と和解することができますように。
◆マタ 20:26 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」
◆人はどうしても、「偉くなりたい」「上に立つ者になりたい」と思いがちですが、
イエスは、「使える者になりなさい」と語られました。
人に謙遜に従い仕える人こそ、天国の基準では評価され、イエスはお喜びになるのです。
今週のテーマは、「イエスのいましめ」です。
◆マル 8:34 それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
◆ここに真の弟子の条件が語られています。
信仰生活の歩みの中で、つらく険しい道を歩むこと、十字架を背負うこともあるかもしれません。
しかし、自分勝手に生きるのではなく、この道からそれるのでもなく、最後まで主に従う者となれますように。
◆ヘブル 11:20 「信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。」
◆イサクは、神を信じて、日々信仰生活を歩みました。
私たちも信仰によって歩み、何事も信仰によって乗り越えていきましょう。
◆創 26:28 「私たちは、【主】があなたとともにおられることを確かに見ました。」
◆いさかいがあったアビメレクがイサクに言ったことばです。
イサクは、その行動と存在において、神がともにおられるとの印象を
人々に与えていました。
私たちを通しても、「主がともにおられる」との印象を人々に与える者となれますように。
◆創 26:25 「イサクはそこに祭壇を築き、【主】の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。」
◆当時水道はなく、井戸は非常に大切なものでした。
イサクは、祭壇を築いて主の御名を呼び求めてから、天幕を張り、井戸を掘りました。
これこそ、神より祝福を受ける秘訣です。
◆創 26:12 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】は彼を祝福された。」
◆主がイサクを祝福されたので、彼が蒔いた種は100倍の収穫をもたらしました。
神に信頼され、神の祝福を受ける者となることができますように。
◆創 24:58 彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。
◆イサクの妻になることを決意したリベカは、すぐに「はい、行きます」と答えました。
神様の選びに応えられた創立者夫人、大槻筆子先生のことを思い出します。
私たちも、神の選び、聖書の呼びかけに、「はい、行きます」と答えましょう。
◆創 22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
◆アブラハムは神に、その子を捧げるように命じられたとき、イサクをささげようとしました。
アブラハムは、「死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ」てローマ4:17)、イサクを生き返らせてくださると確信していたからです。
アブラハムの信仰に倣う者となりましょう。
今週のテーマは、「イサク」です。
◆創 21:3 「アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。」
◆「イサク」は、信仰の父アブラハムの息子で、彼が100歳の時の子どもです。
妻サラも高齢でしたが、神は不可能を可能にして彼に子をお与えになりました。
「イサク」とは、「彼は笑う」という意味です。
◆Ⅰヨハ 4:10 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
◆私たちが神を愛する前から、神は私たちを決して変わらない無限の愛で愛してくださいました。
私たちへの愛のゆえに、キリストは十字架の上で身代わりとなって死に、愛といのちを注いでくださいました。
ここに愛があるのです。
神は愛なり
◆ヨハ 3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
◆「ミニバイブル」と呼ばれ、キリストの教えの大切な内容がこのみことばに凝縮されています。
神は私たちをこのような大きな愛し、永遠のいのちを与えたいと願っておられます。
キリストの愛のみ姿に、心の目を向けましょう。
◆使 2:21 「しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。」
◆このみことばは、旧約聖書ヨエル書2章32節からの引用で、聖書中全部で3回も記されている大切なみことばです。
主の御名を呼び求める時、私たちは神のいのちを受けて救われることができると約束されています。
主の御名を敬虔な思いで、唱え崇めましょう。
◆エレ29:12,13 「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」
◆神は私たちに祈りを聴き、求める者に出会ってくださるお方です。
心を尽くして主を求めましょう。
いのちをかけるほどに求めるなら、あなたは神を心の目で見つけることができるのです。
◆ヨハ 20:31 「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
◆天国のいのち、永遠のいのちを得る秘訣が記されています。
イエスを神、救い主と信じて、イエスの名によっていのちを得ることができると約束されています。
このいのちに満たされて、日々の生活を歩んでいくことができますように。
◆マタ 1:21「その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
◆イエスの父、ヨセフに天使が告げたことばであり、私たちのグループに「聖イエス会」と名付けるよう示されたみことばです。
私たちは、同胞の救いのために、家族、知人友人の救いのために神から召されているのです。
私たちの周囲の人々に、福音を伝えましょう。
また、地震で苦しんでいる方々のために、祈りをささげましょう。
今週のテーマは、私たちに教えられた「大切な教え」です。
◆使 9:15 「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。」
◆「あの人」とは、使徒パウロの事で、これは私たちに対するみことばでもあります。
私たちは主の御名を、あらゆる人に伝えるために選ばれた器だ、と語られています。
与えられている素晴らしい福音を伝える人となりましょう。
◆ヨシ 1:5「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
◆このみことばは、モーセの弟子ヨシュアに主が語られたみことばです。
主は聖書の使徒や預言者とともにおられて働かれたように、弟子である私たちとともにいてくださいます。
どんな最悪の状態になったとしても、絶対に見放さず、見捨てられない愛の神様です。
◆マタ 28:20 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
◆イエスが天へお帰りになる前に、弟子たちに語られたみことばです。
「世の終わりまで」とありますが、それはいつもどこでもどんなときにも、
「我は有りて在る者なり」と言われる主がともにいると約束してくださっています。
この主の現存の中を歩ませていただきましょう。
◆マタ 1:23 「その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
◆生まれてくる救い主イエスは、インマヌエルと呼ばれると預言されています。
イエスは、私たちといつもどんな時にもともにいてくださる神様です。
このお方に、いつも心の目を向けましょう。
◆ヨハ 8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」
◆アブラハムは、イエスの約2000年前の人です。
イエスは、ご自分がアブラハムの前から、永遠の初めから存在している先在者、真の神であることを宣言されたのです。
◆ヨハ 8:28 「あなたがたが人の子を上げたとき、そのとき、わたしが『わたしはある』であること、また、わたしが自分からは何もせず、父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していたことを、あなたがたは知るようになります。
◆「人の子」とはイエス、「上げた時」とは、十字架のことです。
イエスが十字架に上げられた時、「わたしはある」との主の現存、イエスが話された「神のことば」について、体験的に知るようになると語られています。
私たちの信仰の目を、イエスに向けてましょう。
◆ヨハ 8:24 わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」
◆イエスこそ、「わたしはある」というお方であることを信じる大切さが語られています。
信じないならば、罪の中に滅びるとの強いことばで語られています。
イエスは、ただ一人「わたしはある」ということのできる自存者である神様です。