◆黙22:4 「また、彼らの額には神の御名が記されている。」
◆神の国に入ることを許された人々の様子が記されています。
彼らの額には、神の御名が記されていました。
私たちの心に、神の御名が印されることができますように。
◆黙22:4 「また、彼らの額には神の御名が記されている。」
◆神の国に入ることを許された人々の様子が記されています。
彼らの額には、神の御名が記されていました。
私たちの心に、神の御名が印されることができますように。
◆黙 21:23 「都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。」
◆天国では、太陽も月も、もちろん蛍光灯も必要がなくなります
「わたしは世の光です」(ヨハネ8:12)と言われるキリストが、光となって都を、私たちを照らしてくださるからです。
◆黙 21:11 「都には神の栄光があった。その輝きは最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであった。」
◆黙示録に記されている天国の光景です。
神の国には、最高の宝石のように輝く神の栄光が輝いています。
この栄光の中で、永遠に憩うことができますように。
◆黙 21:11 「都には神の栄光があった。その輝きは最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであった。」
◆黙示録に記されている天国の光景です。
神の国には、最高の宝石のように輝く神の栄光が輝いていると記されています。
この栄光の中で、永遠に憩うことができますように。
今週のテーマは、「天国」です。
◆ヨハ 14:2 「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。」
◆人間となってこの地上に来られたイエスは、十字架の死から復活し、天へ帰って行かれました。
それは、父の家(天国)の私たちの入る場所を備えにいくためだと語っておられます。
天国に入ることができるように、神の命に求めていきましょう。
◆使 15:26 「私たちの主イエス・キリストの名のために、いのちを献げている、バルナバとパウロと一緒にです。」
◆パウロとバルナバに対して、「主イエス・キリストの名のために、いのちを献げている」人だと語られています。
バルナバは、キリストの名を告げ知らせるために、自分の命をかけて働きました。
私たちもそのために、すべてをかける人となれますように。
◆使 14:3 「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」
◆パウロとバルナバが、主によって大胆に福音を語った時、主が働いて恵みのことばが真実であることを証しされました。
私たちも主に信頼して、み言葉に生き、み言葉を語ることができますようjに。
◆使 13:47 主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』
◆主はバルナバを、異邦人の光としてお立てになりました。
神は私たちも、愛する人々の喜びの光、救いの光としたいと願っておられます。
存在をもって、神の光を現す人となれますように。
◆使徒13:4 「二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し…」
◆パウロとバルナバは、聖霊によって宣教のために遣わされました。
宣教の原動力、それは聖霊の力です。
聖霊によって愛する人々に、この素晴らしい喜びの訪れを伝えることができるのです。
◆使 13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
◆バルナバはサウロ(パウロ)と共に、主の御用のために選ばれ遣わされました。
◆使 11:24 「彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。」
◆彼の働きを通して、福音は広く宣べ伝えられ、大勢の人が主にひき付けられて導かれました。
それはバルナバが、聖霊と信仰に満ちていたからです。
今週は、「バルナバ」がテーマです。
◆使 4:36 「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも…」
◆バルナバは、パウロの同労者です。
今週は、どのようにバルナバが主のために働き、福音を伝えていったかを学びましょう。
◆ゼカ 10:1 「【主】に雨を求めよ、後の雨の時に。【主】は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。」
◆先の雨はペンテコステの聖霊の注ぎ、後の雨は終末の時、闇の時代に与えられる聖霊の注ぎのことです。
◆ヨエ 2:28 「その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。」
◆すべての人に、神の霊が注がれると約束されています。
その時、息子や娘は神のことばを預けられ、年配の方に夢が与えられ、将来に不安を持つ青年たちに希望のビジョンが与えられると語られています。
◆エゼ 36:26 「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
◆私たちの内に新しい霊が与えられることが約束されています。
その時には、新しい心となり、石のように冷たく頑固で無感動な心も
命の通ったやわらかい肉の心に変えられます。
◆エゼ 37:10 「私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立った。非常に大きな集団であった。」
◆「息」ということばは、「霊」とも訳されることばです。
聖霊の息が吹き込まれて、イスラエルが民族的によみがえるとの預言のみことばです。
それはまた、私たちに対する預言であり、愛する人々の救いの預言でもあります。
◆イザ 59:21 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である──【主】は言われる──。あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、…今よりとこしえに離れない──【主】は言われる。」
◆神の霊、神のことばが、いつも私たちと共にあると語られています。
決して離れることはないと約束されています。
私たちも神のことば、神ご自身から離れないようにしましょう。
◆ゼカ 12:10 「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。」
◆終末の危機の中で、恵みと嘆願の聖霊の注ぎが与えられることが約束されています。
今はまさに危機の時、その約束が実現するときです。
恵みの霊の注ぎを、祈り求めていきましょう。
今週のテーマは、「聖霊傾注(旧約)」です。
◆Ⅰサム 10:6 「【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」
◆イスラエルの初代の王サムエルに、聖霊が激しく注がれました。
その時、彼は別人のように全く新しい人に変えられました。
聖霊が豊かに注がれるとき、人は新しく造られることができます。
◆黙 2:10「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。」
◆天国へ導かれるまで、最後の一息まで、忠実に主に従うものとなりましょう。
地上では、様々な困難、信仰の戦いがあると思いますが、天国でいのちの冠が私たちを待っています。
◆マタ 16:24 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
◆私たちが歩む道には、自分の考え通りにいかないこと、十字架や試練が襲ってくることもあると思います。
けれども、私たちは自分を捨て、十字架を背負って、従いぬく者となりたいのです。
◆マル 14:8 「彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。」
◆ベタニヤのマリアは、非常に高価なナルドの壺を打ち壊し、十字架の葬りの準備として、その香油をイエスに注ぎました。
彼女は自分にとって、最も大切なものをイエスに捧げたのです。
口語訳聖書では、「できる限りの事をしたのだ」となっています。
自分にできる限りの事を、イエスに捧げる者となりたいと願います。
◆マタ 4:20 「彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」
◆船乗りであった弟子たちは、イエスに召命の御声をかけられたとき、
すぐそこに網を捨ててイエスに従いました。
網は、彼らの生活手段でしたが、それらを捨ててイエスに従いました。
◆エス 4:16 「私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
◆悪い大臣ハマンの策略で、ユダヤ人が絶滅の危機に直面した時、王妃エステルは法令に背いて、いのちをかけて同法の救いのために立ち上がりました。
その時、絶滅の危機を逃れることができました。
私たちも大切な時に、すべてをかけて立ち上がる者となれますように。
◆創 12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。
◆アブラムは75歳の時、故郷ハランから主が告げられた場所へ旅立ちました。
大きな不安や葛藤があったと思いますが、彼は神の言葉に従いました。
その時、素晴らしい祝福を受けたのです。
今週のテーマは、「全き献身」です。
◆エレ 30:21 「わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。いのちをかけてわたしに近づく者は、いったいだれか。──【主】のことば──」
◆神はすべてをかけて、ご自分に近づく人を求めておられます。
その人はあふれるほどの祝福を受け、神に用いられる人となるでしょう。
◆ダニ 3:25 すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
◆王を拝まなかった3人の者たちは、燃え盛る火の中に投げ込まれましたが、主が彼らを守られたので、何の害も受けませんでした。
(京都へ行くため、月曜まで「日々のみことば」はお休みです。)
◆エレ 1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
◆神はエレミヤが、母の胎に宿る前から、彼を知り、預言者として立てようとしておられました。
私たちは、誰一人として、偶然生まれた人はなく、神の愛の御計画のうちに、命を与えられたのです。
必要とされていない人もなく、一人ひとりに生きる意味があるのです。
◆Ⅱ列王 2:9 エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。
◆預言者エリヤが天に帰ろうとしているとき、後継者であるエリシャは師の2倍の分の聖霊の注ぎを求めました。
エリシャは聖霊の注ぎを受けて、師の2倍の分のみわざを行いました。
私たちも愛の御霊を注がれて、この信仰と使命の継承者とならせていただきましょう。
◆士 6:14 すると、【主】は彼(ギデオン)の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
◆今日は、ギデオンに対するみことばです。
彼は敵を恐れ、酒ぶねに隠れて小麦を打つような小心者でした。
しかし、神はギデオンを選び、イスラエルに救いを実現されました。
神は、私たちの小さなこの力を必要としてくださるのです。