Ⅰヨハ 4:13 「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」
神は聖霊を私たちに与え、私たちの心のうちにとどまり、私たちと共に歩んでくださいます。
これこそ聖書が示す恵み深い完全な救いです。
Ⅰヨハ 4:13 「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」
神は聖霊を私たちに与え、私たちの心のうちにとどまり、私たちと共に歩んでくださいます。
これこそ聖書が示す恵み深い完全な救いです。
マタ 9:22 「イエスは振り向いて、彼女を見て言われた。『娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』すると、その時から彼女は癒やされた。」
神の救いと御力を引き出す力、それは信仰です。
どんな困難な状況の中にあっても、イエス様を信じて歩むことができますように。
コロ 1:13 「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」
神は私たちを、暗闇の中から救い出し、キリストの愛の力と支えの中で守って下さいます。
救い主キリストに信仰の目を向けましょう。
今週のテーマは、「救い」です。
大切なみことばばかりですので、大切に学びましょう。
Ⅰヨハ 5:12 「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」
御子を心のうちに持っているか、御子が心のうちに共にいてくださるかおられないか。
それは神のいのち、天国のいのちを持っているかという意味だと教えられています。
私たちの心に、キリストをお迎えしましょう。
そのとき、神とともに、神のいのちに生きることができます。
今日は、創立者大槻武二牧師の記念礼拝でした。
大槻牧師も、京都綾部の田舎出身で、キリスト教とは縁もゆかりもない中で育たれました
しかし、お母さんを9歳の時に亡くし、本当に変わらない真実なものを求め始められました。
同志社中学に入学した大槻青年は、同志社奈緒創立者新島襄先生の話を聞きました。
熊本からの転入生が問題を起し、授業が継続できないくらいの状況になった時、この問題は学校長である私の責任だと
全校生徒の前で、杖を手に自分の手を思い切り打ちました。
あまりに強さに杖が折れてしまうほどでしたが、皮が破れ血がにじむほどに思い切り自分を罰したのです。
最初は知らない顔をしていた生徒たちも、新島先生の本気の姿に心打たれ、飛び出して行って心を入れ替えました。
この新島先生のうちに、キリストの大きな愛を見ることができます。
キリストは私たちの身代わりとなって十字架の上で罰を受け、代わりに私たちにゆるしと愛といのちを注いでくださったのです。
大槻青年はこの話に感動し、心に大きな感動を与えられ、やがて真の救いを経験していきました。
このキリストの愛による救いの喜び、救いの祝福が、皆さんの上にありますように。
「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。…ここに愛があります。…神は愛です。神は愛なり」
(Ⅰヨハ3:16,4:10,16)
黙 1:9 「私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモスという島にいた。」
ヨハネは、「イエスの証しのゆえに」迫害を受け、パトモス島に流刑となりました。
しかし、この最悪の状況の中で、ヨハネは栄光の主を見、神の啓示を受け、黙示録を著しました。
苦難と忍耐の中で、神の恵みと重大メッセージが、ヨハネに臨んだのです。
マタ 17:1,2 「それから六日目に、イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。」
ヨハネは、イエスのみ体が栄光に輝くのを見ました。
永遠のいのちを持っている者は、このように神化、栄光化される希望を見ます。
今、どんな困難があっても、この希望をもって耐え忍ぶ人は幸いです。
ヨハ 13:23 「弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。」
ヨハネは、いつもイエスに近くにいてその胸に寄りかかり、そこを指定席としていたと言われています。
私たちも、いつもイエスの近くにいて、イエスのみ心の内を指定席とすることができますように。
Ⅰヨハ 1:1 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」
ヨハネは、いのちのことばであるキリストを、心の目で見、心の手でさわって親しく体験しました。
私たちも、深い観想と御名に祈りのうちに、このお方をもっと深く知ることができますように。
マル 3:17 「ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。」
ヨハネと兄のヤコブは、「雷の子」というニックネームをつけられるほど、すぐカッとなって怒る人だったようです。
しかし、ヨハネもやがて変えられて、「愛の聖人」と呼ばれるようになりました。
ここに大きな希望を与えられます。
今週のテーマは、「使徒ヨハネ」です。
マタ4:19-20 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。
イエスは、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネに出会い、人間を天国へ導くために獲得する使徒としようと御声をかけられました。
そのとき、ヨハネらは、生きていくために不可欠である網も舟もそこに置いて、すぐにイエスに従いました。
潔い献身の姿が胸に迫ります。
今日は、リモートで教区ペンテコステ聖会で、東京ソフィア教会の山根嗣牧師をお迎えしました。
山根牧師は神学院4年生の時、甲府に遣わされました。
日曜日に、教会学校でトマスとイエスとの出会いのみことばを語りましたが、
もう空中分解してしまって、「礼拝はどうしよう。どうしよう」と思っていたそうです。
すると信者さんが来られ、二人の新しい人を連れて来られました。
笑顔で挨拶をしましたが、内心は「どうしよう。どうしよう」と不安を感じておられました。
とにかく、みことばを心から語っていかれました。
「イエスはトマスに言われました。『信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』」ヨハ20:27
すると、神様がみことばを通して働いてくださり、一人の方が聖霊を受けりました。
そのお子さんは、不登校になっていたそうですが、神様がから力を与えられて、次の日から学校に行ったそうです。
神様が働かれる時、すばらしいことが起こります。
私たちも、信じない者ではなく、信じる者になりましょう。
神は愛なり!
ヨハ 13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
イエスは、新しい戒めを与えられました。
それは、互いに愛し合うことです。
しかも、イエスが大きな愛、無条件の愛で愛されたその愛で、愛し合うことです。
Ⅰヨハ 3:23 「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」
ニュースで、校則により髪の毛を黒く強制的に染めさせられて不登校になったことに対する裁判の記事が載っていました。
しかし、キリストは、私たちに無理難題を求められるのではありません。
キリストの御名を信じ、互いに愛し合うことを求められます。
真の祝福と幸いが、そこにあるからです。
マル12:29-30 「イエスは答えられた。『第一の戒めはこれです。「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」』」
最も大切ないましめは、あれをしなさい、これをしなさいではありません。
唯一の真の神を、心、思い、力、いのちを尽くして愛することです。
詩 119:71 「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」
苦しみにあうことは、とてもつらいことです。
しかしこの詩編の作者は、おきてを守る大切さと祝福を学び、真の幸せを知ることができたと言っています。
私たちも守られて、「苦しみにあったことは幸せでした」と言うことができますように。
詩 119:1 「幸いなことよ全き道を行く人々【主】のみおしえに歩む人々。」
主のみおしえのままに歩む人は幸いです。
その人は主の前に全き道、完全な道を歩むことができるからです。
(朝の祈り会)
今週のテーマは、「神の戒め」です。
申 5:12 「安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、【主】が命じたとおりに。」
安息日(日曜日、礼拝)を守って、これを聖別しましょう。
聖別とは、他のものと分けて聖とするという意味です。
心と体を休め、神様にのみ心を向けて、また1週間を歩む力に満たされましょう。
今回は、ペンテコステ礼拝でした。
使 1:14 「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」
新改訳聖書では、「祈りに専念していた」と記されています。
弟子たちは、ただ聖霊を求めて祈ることだけに専念していました。
神学院時代、当時の院長がこう語られました。
「コップに水を入れようとしても、フタがしてあったり、中に何かが入っていれば注ぐことはできません。
聖霊を求めながら、何かが入っている心を差し出している人はいないでしょうか。
いのちの水で満たしていただくために、心を空にして、聖霊だけを求めましょう。」
私たちの心にあるこの世の物、不安や煩い、罪や自我をすべて取り除いていただきましょう。
心を空にして求める時、神はいのちの水で私たちを満たしてくださいます。
「あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう。」詩編81:10
わたしが聖霊をもって、あなたの心を満たそう!
神は愛なり!
エペ 2:8 「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」
「賜物」とは、プレゼントという意味です。
私たちが救われたのは、ただ私たちに何か良いところがあったのではなく、ただ神の恵みのプレゼントだったのです。
ああ、神は愛なり!
使 13:43 会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。
パウロとバルナバは、キリストを信じるようになった人たちに、古い昔の考えや習慣に戻ることがないように、恵みのうちにとどまるように語りました。
私たちも神の恵みから離れないで、神の愛と恵みのうちに歩む者となりましょう。
詩 34:8 「味わい見つめよ。【主】がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ主に身を避ける人は。」
主が慈しみと恵みに満ちておられることに、心の目を向けもっと深く味わい知ることができますように。
恵み深い主に拠り頼む人は、幸いです。
その人は、助けと力を得るからです。
エペ 1:7 「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」
神の豊かな恵みによって、私たちの罪は赦され、豊かな贖いを与えられています。
信仰をもって、キリストを見上げましょう。
Ⅰコリ 15:10 「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。」
パウロが語ったみことばですが、パウロはエルサレムからローマまで福音を伝え、各地に教会を建てて行った素晴らしい使徒でした。
彼は自分の力で成し遂げたのではなく、それはただ神の恵みであったと語っています。
私たちにもこの大きな神の恵みが注がれていることを教えていただきましょう。
今週のテーマは、「恵み」です。
Ⅱコリ 12:9 「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。」
神の恵みと力は、私たちに十分現れます。しかも、私たちが最も弱い時こそ、最も十分に完全に現れるのです。
ああ、神は愛なり!
「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」ヨハ4:15
この御言葉は、サマリアの婦人がイエスに懇願したみことばです。
彼女は夫でない人と暮らして自堕落な生活を送り、人の目から隠れるように生活していました。
もう正午に水汲みに行かなくていいように、何より心の渇きを癒してほしいとイエスに永遠いのちへの水を求めたのです。
昨日は、ペンテコステ、聖霊が弟子たちに注がれ、教会が誕生した日でした。
私たちもペンテコステの聖霊の注ぎを求めて、祈り求めていきましょう。
「主よ。私が!渇くことのないように…そのいのちの水を私に!ください。誰彼ではなく、この私に!ください。」
聖霊来てください!
神は愛なり!
ゼカ 10:1 「【主】に雨を求めよ、後の雨の時に。【主】は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。」
雨季と乾季があって、初めの雨と後の雨があると記しましたが、今こそ後の雨、聖霊と祝福の雨を求める時です。
今日はペンテコステで、主はしとしと雨ではなくて、夕立のような大雨を与えてくださいます。
信じて祈り求めていきましょう。
ルカ 11:13 「ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
悪い者でも自分の子供には良い物を与えるのですから、まして愛の神は、求める者に、良い物を、祝福を、聖霊を注いでくださいます。
今こそ神に祈り求めましょう。
「求めなさい。そうすれば与えられます。」11:9
ホセ 10:12 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が【主】を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」
ペンテコステ集会を前にして、今こそ主を求めるときです。
コロナの暗闇の中で、今こそ主を求めるときです。
もしあなたが試練の中にあるなら、今こそ主を求めるときです。
聖霊の雨が、今こそ豊かに注がれますように。
ヨエ 2:23 「主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。」
聖書の国イスラエルでは、雨季と乾季があり、雨は民にとり喜ばしい恵みの雨です。
預言的には、初めの雨がペンテコステで、後の雨が終末に与えられる第2のペンテコステ、聖霊の大雨だと考えられています。
聖霊の祝福の大雨が、今こそ私たちに与えられますように。