◆ロマ 1:16 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」
日本ではクリスチャンでない人が多く、生きづらさを感じることもあるかもしれません。
しかし、この福音は、信じるすべての人に救いと神の力をもたらしてくれるのです。
◆ロマ 1:16 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」
日本ではクリスチャンでない人が多く、生きづらさを感じることもあるかもしれません。
しかし、この福音は、信じるすべての人に救いと神の力をもたらしてくれるのです。
◆Ⅱテモ 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
◆救いのみことばを、時が良くても悪くても、どんなときにも宣べ伝えるように語られています。
語るのが難しい時もあるかもしれませんが、忍耐の限りを尽くして語ることができますように。
◆ロマ 15:20 「このように、…キリストの名がまだ語られていない場所に福音を宣べ伝えることを、私は切に求めているのです。」
◆キリストの福音、喜びの訪れをまだ知らないで悩みの中にある人々に、この福音を伝える者となりましょう。
あなたの周囲に、試練の中でこの救いを待っている人がいるのです。
今週のテーマは、「福音宣教」です。
◆使 16:10 「彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」
◆パウロは、「私たちを助けてください」と懇願するマケドニア人の幻を見せられて、福音を伝えるために出ていきました。
私たちの周囲にも、神の助けを必要としている多くの魂がいるはずです。
◆マタ 7:7 「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
◆なんと希望に満ちたみ言葉でしょう。
すぐに祈りが聞かれない時もあるかもしれません。
しかし、求め続けましょう。探し続けましょう。門をたたき続けましょう。
◆マタ 6:33 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」
◆私たちには、必要な物、欲しい物がたくさんあるかもしれません。
しかし、聖書は、まず神様を第1にして求めなさい。
その時に、あなたの本当に必要な物が満たされると約束してくださっています。
◆マタ 6:20 「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。」
◆私たちは、絶対に朽ちることのない宝を天に積むことにしましょう。
それは、良い行い、神への信仰と祈りと奉仕です。
◆マタ 6:6 「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」
◆人に見せる祈りではなく、隠れたところで神の前に祈りをささげるように勧められています。
◆マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
◆自分と気が合わない人、やさしくしてくれない人に親切にすることはとても難しいことです。
しかし、キリストは、自分を嫌う人、憎む人、敵さえも愛しなさいと言われました。
キリストがそうされたように、神の愛に満たされて、私たちもすべての人を愛する者となれますように。
◆マタ 5:16 「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」
◆キリストは、私たちが生活、行い、存在を通して、光を輝かせるようにと教えておられます。
私たちはどのような印象を人々に与えているでしょうか。
今週のテーマは、「キリストの教え」です。
◆マタ 5:8 「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」
◆八福と呼ばれ、8つの「幸い」について記されています。
「心の貧しい者」「悲しむ者」「義のために迫害されている者」、一見苦しみの中にある者に対しても、幸いだと言われています。
神がその人の心のうちに働いて、幸いを与えてくださるからです。
◆Ⅱコリ 7:10 「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」
◆私たちを襲ってくる悲しみや試練も、それを受けて悔い改める時、その悲しみを通して真の救いが与えられることが語られています。
襲ってくる悲しみや試練を、信仰をもって受け止め、乗り越えていきましょう。
◆マタ 7:21 「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」
◆神のみこころを行う人が、天国に入ることができると記されています。
つい自分の欲を満たすために、自分の考えを優先して行動しがちかもしれませんが、神のみこころを行う人となりましょう。
◆Ⅰヨハ 3:23 「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」
◆神の命令、みこころは、私たちが主の御名を信じ、互いに愛し合うことです。
あなたのすぐ近くにいる人々を、まず愛することができますように。
◆Ⅰテモ 2:4 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」
◆神のみ心は、すべての人が救われて、神の眞理を、命を、愛を知るようになることです。
あなたが救われて、神の愛を知るようになることです。
◆ミカ 6:8 「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、【主】があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」
◆ここに神のみこころは何か、何を求めておられるかが示されています。
それは、誠実に、へりくだって、神とともに歩むことです。
◆Ⅰテサ 4:3 「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。」
◆神様が、私たちに一番望んでおられるのは、私たちが「清い者」「聖なる者」となることです。
神の聖になる者となりましょう。
今週のテーマは、「神のみこころ」です。
◆ヨハ 4:34 イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」
◆イエスのように、神のみこころを行い、神のわざを成し遂げるものとなることができますように。
◆黙 1:2 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。
◆ヨハネは、彼が聞いた神のことば、彼が見たキリストの福音を証ししました。
私たちも福音を伝える者となりましょう。
◆使 20:24 「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
◆パウロは自分が受けた恵みの福音を人々に伝えることができたなら、人生を投げ出しても良い、命さえ惜しくないと言っています。
彼にとって、キリストから受けた福音はそれほど価値があるものだったのです。
◆Ⅰペテ 2:21 「このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」
◆キリストが歩かれたように私たちも歩むこと、キリストが生きられたように私たちも生きること、それこそ最高の生き方です。
そのとき、生活と存在を通して、キリストを証しすることができるでしょう。
◆Ⅰコリ 1:23 「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。」
◆大宣教者パウロは、その宣教において、十字架のキリストを宣べ伝えました。
十字架の救いは、他のどの宗教にもないキリスト教の福音の核心です。
ここに愛があり、救いがあり、命があります。
十字架のキリストを喜びをもって宣べ伝えましょう。
(明日から京都へ行くので、「日々のみことば」メールは10日までお休みし、11日から送信します。)
今週のテーマは、「キリストの証人」です。
◆使 1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
◆このみことばは、ペンテコステの後、弟子たちの上に実現しました。
失敗だらけで弱かった弟子たちでしたが、聖霊を注がれてキリストの証人と変えられました。
聖霊の豊かな注ぎを求めましょう。
◆詩 116:13 「私は救いの杯を掲げ【主】の御名を呼び求めます。」
◆「救いの杯」について、教皇ベネディクト16世は、それは最後の晩餐の愛の杯であり、ゲツセマネでイエスが飲まれた苦しみの杯であると語っておられます。
私たちは御名を呼んで、このキリストの愛の救いの杯を飲ませていただきましょう。
◆詩 102:12 「しかし【主】よあなたはとこしえに御座に着いておられます。あなたの呼び名は代々に及びます。」
◆神の呼び名、御名は、永遠に及ぶと語られています。
この神の御名を、私たちもいつも永遠まで、つまり最後の一息まで呼んでいきましょう。
◆詩 99:6 「モーセとアロンは主の祭司たちの中に、サムエルは御名を呼ぶ者たちの中にいた。彼らは【主】を呼び主は彼らに答えられた。」
◆モーセとアロンは出エジプトを成し遂げた人々で、サムエルはイスラエル王国が誕生したときの預言者です。
彼らは主の御名を呼び求め、救いをもたらしました。
主が彼らの御名の祈りに応えられたからです。
◆詩 86:12 「わが神主よ私は心を尽くしてあなたに感謝しとこしえまでもあなたの御名をあがめます。」
◆この詩篇の作者であるダビデは、心を尽くして永遠に御名をあがめると言っています。
それがダビデの勝利と祝福の秘訣だったのです。
◆詩 63:4 「それゆえ私は生きるかぎりあなたをほめたたえあなたの御名により両手を上げて祈ります。」
◆出エジプト記17:11に、モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になったと記されています。
「手を上げる」とは、祈りの象徴であり、しかもここでは、両手を上げて祈るように語られています。
御名を唱えながら熱心に祈っていきましょう。