2021年1月27日水曜日

礼拝の御言葉「天を仰ごう」


 創世記15章には、信仰の父と言われるアブラムが、失望した姿が描かれています。


アブラムは、現実を見、自分の姿を見て落ち込み、不信仰のテントの中に閉じこもっていました。
しかし主は、 彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる。」創 15:5
街灯などが全くない当時、彼が見た星空はどれほど美しかったでしょう。
彼は天を仰いで、この大宇宙をお造りなった神を崇めました。
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。

彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」ロマ 4:17-18【口語訳】
私たちも、現実ではなく、全能の主を見上げましょう。
主が私たちのうちに、全能の光を照らしてくださいます。
我は全能の神なり!


2021年1月17日日曜日

今日の御言葉「嵐よ、静まれ!」

舟の旅は、人生や信仰生活にたとえられます。

舟の旅と車の旅の大きな違いは何でしょうか?

舟の旅は、標識がなく、星や太陽の光だけが頼りだということです(方位磁石もありますが)。

私たちの歩みも、まっすぐ進んでいるつもりでも、大きく曲がっていたり、目的地からそれていることもあるかもしれません。

また、大きな波が襲ってくることもあるかもしれません。

弟子たちはイエスと共に、夕方、ガリラヤ湖を出港しました。

ところが大嵐となり、「山のような大波」(8:24リビングバイブル)のため、舟は沈みそうになってしまいました。

その時、弟子たちは、イエスに助けを求めました。「主よ、助けてください。おぼれそうです」(マタイ 8:25)。

すると、イエスは、波をしかって「黙れ。静まれ」(マルコ4:39)と言われました。すると、すぐ風はやんで、すっかり凪になったのです。

イエスこそ、私たちの人生の嵐を静めてくださる愛の救い主です。

キリストによるなら、「山のような大波」さえ静めることがおできになります。

どうか今年、すべての試練を嵐が静まって、平和の中を進むことができますように。




2021年1月11日月曜日

礼拝の御言葉「雲のかなたに光が」

「今、光は見えないが、それは雲のかなたで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと北から黄金の光が射し、恐るべき輝きが神を包むだろう。」(ヨブ37:21~22)

 
昨日は、新年聖会がもたれました。リモートでしたが、全国の皆さんと心を合わせて祈るひと時は、とても感謝な時間となりました。
ヨブは、一夜にして、子供たち、財産を失い、自分自身もひどい病となるという試練にあいました。
かけつてくれた友人たちは、慰めるどころか、ヨブを批判して苦しめました。
しかし、ヨブが自分の弱さを認め、神様の前にへりくだったとき、以前の2倍の祝福が与えられました。
今コロナという雲が、試練という風が、私たちを覆っています。
しかし、神様がすべての雲を吹き払って、太陽の光を輝かせてくださいます。
今年、雲の上に輝いている、太陽であるキリストを見上げて歩みましょう。
神は愛なり!


2021年1月2日土曜日

明けましておめでとうございます!

 明けましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします。
 
今年教会に与えられている御名は、「わたしは世の光である」「我は世の光なり」(ヨハネ8:12」)です。
私が卒業した神学院は、京都の田舎にあり、最寄りの駅へ行くのにあまり街灯がなく、ヘッドライトの明かりだけが頼りでした。
暗闇の中を進むことは、何かにぶつかるかもしれない、道に迷うかもしれない、とても危険なことです。

今私たちを暗闇が覆っていますが、今年神様は、希望の光、命の光を与えると約束してくださっています。
「世の」とは、「世界中のすべての人」、つまり「わたし」「あなた」という意味です。
この希望の光が今年、あなたの上に、あなたの周囲にいるすべての人に輝いてくださいますように。
我は世の光なり!