2022年4月30日土曜日

5月1日 日々のみことば「パトモス島で」

 黙 1:9 「私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモスという島にいた。」

 

ヨハネは晩年、捕らえられてパトモス島へ幽閉されました。

この大きな危機の中で、神はヨハネに霊感を与え、黙示録を書かせられました。

あの深淵で難解な黙示録は、幽閉され神との親しい交わりの中でしか、書けなかったかもしれません。

最悪を最善にされる神のご計画を見ることができます。


2022年4月29日金曜日

4月30日 日々のみことば「血と水が」

 ヨハ19:34 「しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出て来た。」

 

十字架のもとにいたヨハネが、十字架の上でイエスが語られたことば、その最期を詳しく記しています。

イエスが息を引き取られた後、兵士がイエスの生死を確かめるために槍を突き刺した時、イエスのみ傷から、血と水(聖霊と愛)が流れ出ました。

流れ出た命の水は、今日も全世界に、あなたのうちに注がれています。

 

(朝の祈り会アドレス)

https://youtu.be/WGI5Gu5lluY

2022年4月28日木曜日

4月29日 日々のみことば「変貌山で」

 マタ 17:2 「すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。」

 

ヨハネは、イエスのみ体が太陽のように変貌し、神性の栄光に輝く姿を見ました。

イエスこそ真の神であることを、肉眼をもって見たのです。

現代に生きる私たちは、心の目でイエスの栄光を見させていただきましょう。

2022年4月27日水曜日

4月28日 日々のみことば「イエスの胸に」

 ヨハ 13:23 「弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。」

 

最後の晩餐の時、当時寝椅子に寝そべった姿勢で食事をしていたと考えられています。

文字通りヨハネは、イエスに胸に寄りかかるほど、近く親しくイエスの近くにいた。

イエスの胸を指定席にするほど、いつも共にいたということです。

私たちもイエスの事をいつも思い、イエスの現存のうちに生きることができますように。

2022年4月26日火曜日

4月27日 日々のみことば「雷の子」

 マル 3:17 「ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。」

 

ヨハネは、イエスから「雷の子」とあだ名をつけられるほど、短気で怒りやすい性格であったようです。

しかし、やがてヨハネは神の愛に変えられて、「愛の人」と呼ばれるようになりました。

神の愛に、不可能はありません。

ああ、神は愛なり!

2022年4月25日月曜日

4月26日 日々のみことば「ついて来なさい」

 今週は、使徒ヨハネについて学びます。

マタ 4:19 「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』」

 

イエスが彼を弟子として招かれたみことばです。

漁師が魚を捕らえるように、イエスはヨハネを人間を神の救いに導き捕らえる弟子として呼ばれました。

神は私たちも、選び呼んでくださいます。

「わたしについて来なさい。」

 

(朝の祈り会)

https://youtu.be/oRVC0diCMdY

2022年4月24日日曜日

4月25日 礼拝のみことば「だれを捜しているのか」

 今日は、マグダラのマリアと復活のイエスとの出会いを学びました。

 

マグダラのマリアは、復活されたイエスに最初に出会った人物です。

しかし彼女は、輝く天使に出会っても、復活されたイエスに出会っても、それがイエスだと分からず、信じることができない不信仰の鈍い人でした。

イエスは彼女を見捨てず、彼女に呼び掛けてくださいました。

「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」ヨハ20:15

その時、彼女の心の目が開けて、その方が復活されたイエスだと分かりました。

そして、「わたしは主を見ました」と福音を伝える証人と変えられたのです。

イエスはあなたにも御声をかけてくださいます。

「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」

「わたしがあなたの近くにいる。」「わたしがあなたと共にいる」

神は愛なり!

2022年4月23日土曜日

4月24日 日々のみことば「生ける望み」

 Ⅰペテ 1:3 「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」

 

自分が死から復活していない人が、他者を、私たちを復活させることはできません。

しかし、キリストは、死を打ち破って復活してくださいました。

これこそは、私たちも天国のいのちに生きることができるとの確かな希望なのです。

2022年4月22日金曜日

4月23日 日々のみことば「キリストは生きておられます」

 Ⅱコリ 13:4 「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。」

 

復活されたキリストは、今も生きておられます。

聖書は、弱い私たちが、神の力によって強められて、キリストと共に生きることができると語っています。

2022年4月21日木曜日

4月22日 日々のみことば「死者からの復活」

ロマ 1:4 「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。」

 

イエスは、聖なる霊により死より復活し、力ある神であり、主(唯一の真の神)、キリスト(救い主)です。

このお方が共にいてくださるとは、何と心強いことではないでしょうか。

2022年4月20日水曜日

4月21日 日々のみことば「ともにいます」

 マタ 28:20 「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 

復活されたキリストが、弟子たちに告げられたみことばです。

死を打ち破って復活し、今も生きておられるキリストは、私たちといつもともにいてくださいます。

私たちのうちにいてくださいます。

2022年4月19日火曜日

4月20日 日々のみことば「平安があるように」

 ヨハ 20:19 「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。『平安があなたがたにあるように。』」

 

復活されたイエスは、鍵がかかっていた家に入って来られ、「平安があるように」と言われました。

神であるイエスは、どんな鍵がかかったかたくなな心にも来てくださって、私たちの心を平安で満たしてくださいます。

2022年4月18日月曜日

4月19日 日々のみことば「よみがえられた」

 今週のテーマは、「復活」です。

マタ 28:6 「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」

 

天使がイエスの復活について、婦人たちに語ったことばです。

イスラエルのイエスの墓を巡礼したことがありますが、たしかに中は空っぽでした。

それはイエスこそ死を打ち破った真の神様であること、今お生きておられて呼べば主は答えてくださる神様であることをあらわしています。

イエスはよみがえられた!

ハレルヤ!

2022年4月17日日曜日

4月18日 礼拝のみことば「あなたが呼べば主は答える」

 

今日は、イースター(キリスト復活祭)の礼拝でした。

 イエスは十字架の上で、私たちの罪の身代わりとなり死んでくださいました。

愛と救いが成し遂げられたのです。

しかもイエスは、死んで終わりではなく、3日目に復活し今も生きておられます。

ですから私たちの祈りに応えることがおできになるのです。

先月祈祷会前に、片頭痛になった時、御名を呼んで必死に祈りました。

ずると集会5分前からずーっと痛みが引いて、最後まで語ることができたのです。

イエスは、今も生きておられ、呼べば答えてくださる愛の神様です。


イザ 58:9 「そのとき、あなたが呼ぶと【主】は答え、あなたが叫び求めると、『わたしはここにいる』と主は言う。」

2022年4月16日土曜日

4月17日 日々のみことば「自ら十字架の上で」

 Ⅰペテ 2:24 「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」


このみことばのうちに、キリストの十字架の意味、十字架の恩恵が語られています。

キリストが受けられた打ち傷のゆえに、義に生きる者、心と体の癒しを受ける者とされることができます。

十字架のキリストに信仰の目を向けましょう。

そして、イースターの朝、キリストの復活の命に生かされることができますように。

2022年4月15日金曜日

4月16日 日々のみことば「わたしは渇く」

ヨハ 19:28 「それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、『わたしは渇く』と言われた。」

 

み傷から一滴一滴血が流れ落ちるに従い、激しい渇きがイエスを襲いました。

しかし、イエスの渇きは、単なる肉体的渇きだけではなく、それは霊の渇きでした。

人々の救い、私たちの心を求める愛の渇きでした。

この主の渇きをとどめる者となれますように。


2022年4月14日木曜日

4月15日 日々のみことば「わたしとともに天国に」

 ルカ 23:43 「イエスは彼に言われた。『まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。』」

 

イエスの左右に、大罪を犯した犯罪人が共に十字架につけられました。

一人はイエスをののしり、一人はイエスの愛と忍耐の姿に心打たれ悔い改めました。

その時、イエスは、この極悪人に対して天国を約束してくださったのです。

救われるのに、遅すぎることはありません。

イエスは、どのような者であっても、信じて悔い改め、ご自分に近づいてくる者に恵みの救いを与えてくださいます。

2022年4月13日水曜日

4月14日 日々のみことば「無理に背負わされた」

 マタ 27:32 「兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。」

 

そこを通りがかったクレネ人シモンは、イエスの十字架を無理に負わされました。

シモンは最初嫌々十字架を背負ったと思いますが、イエスの一挙手一投足を見て感動したのだと思います。

マルコ伝にはシモンの事を「アレクサンドロとルフォスの父」と記されており、シモンは後にクリスチャンになったのではと言われています。

十字架を負うことはつらいことですが、それを耐え忍ぶとき、神から与えられる恵みがあることを信じます。

2022年4月12日火曜日

「十字架の本当の意味」

 最近では、アクセサリーとして十字架のペンダントをしている人もいます。

しかし、もともと十字架は呪いの象徴でした。

最も罪深い罪人をじわじわ出血多量で殺す、最も残酷な死刑の方法でした。

では、なぜ四聖人とも言われるイエスが、十字架にかかられたのでしょうか。

それは、私たち全人類の罪の身代わりとなり、すべての人に愛と救いを与えるためだったのです。

イザ 53:5 「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」

イエスが十字架で受けられた愛のみ傷のゆえに、私たちに平和が与えられ、癒しが与えられています。

今日、十字架のイエスを仰いで、平和と愛を受け取りましょう。

神は愛なり!


4月13日 日々のみことば「自分は救えない神」

 マル 15:31 「同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。『他人は救ったが、自分は救えない。』」

 

この嘲りの言葉が、イエスの愛のみ姿を示しています。

イエスが十字架にかかっているのは、全人類を救うためでした。

イエスはこれまで人々の迫害を逃れておられましたが、十字架の上で罪の贖いを成し遂げるために、自分を救うのではなく、犠牲となって死なれました。

まさに「他人は救ったが、自分は救えない」愛の神様なのです。

2022年4月11日月曜日

4月12日 日々のみことば「お赦しください」

 今週は受難週で、テーマは、「十字架」です。

ルカ 23:34 「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』」

 

イエスは十字架の上で、ご自分を十字架につけた者に「父よ、彼らをお赦しください」と祈られました。

このみことばは、全人類に対して、私たちに対しても語ってくださっているみことばです。

私たちは、自分が今何をしているのか、何をすればよいか、分からない者かもしれませんが、失敗だらけの私たちを主を赦し愛してくださいます。


2022年4月10日日曜日

4月11日 礼拝のみことば「ろばに乗って」

 マタ21:6-7 「そこで弟子たちは行って…ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。」

 

昨日は、しゅろの聖日で、イエスが十字架にかかるために、エルサレムに入城された日です。

これはイエスの生涯で最も華々しい瞬間でしたが、イエスは馬ではなく、ろばに乗って入城されました。

ろばは、馬のように早く走れず、ライオンのように強くない、のろまで愚鈍な動物です。

しかしろばは、決して早くはありませんが、ただ黙々と荷を負い、忠実に歩むことができるのです。

イエスは私たちを、招いてくださいます。

才能がなくても力がなくても良い。

ただ忠実に一足一足歩み続ける人を求めておられます。

この主の招きに、選びに、精一杯お応えしましょう。

2022年4月9日土曜日

4月10日 日々のみことば「天に宝を」

マタ 6:20 「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。」

 

この世でいくら宝を積んでも、それらはこの地上だけのもので、死んだ後は他人のものになるだけです。

けれども天国に積んだ宝は、決して盗まれたり色あせることはありません。

私たちの正しい行い、愛とやさしさ、信仰、祈りを、天に積んでいきましょう。


4月9日 日々のみことば「隠れたところで」

 マタ 6:3-4 「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」


良い行いをするときに、人に見られるようにするのではなく、誰も見ていないところでこそ行うように勧められています。

地上では、誰からも称賛されないかもしれませんが、天国で神様がそれに報いをくださるからです。


2022年4月7日木曜日

4月8日 日々のみことば「敵を愛しなさい」

 マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

 

昨日のみことばからさらに進んで、敵を愛し、その人のために祈りなさいとイエスは命じられました。

有名なみことばであり、最もイエスの愛がどんな愛かをあらわしているみことばだと思います。

イエスはこのみことばを、十字架の上で実践されました。

4月7日 日々のみことば「左の頬を向けなさい」

マタ 5:39 「しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」


衝撃を受けるイエスのみことばです。

もし右の頬を打たれるようなことがあっても、怒らず、黙って左の頬を向けなさいと語られています。

確かにイエスは、このみことばを実行されました。

これは、とても人間の力でできることではありません。

主の愛の力によって強められながら、これを実践する人となれますように。


2022年4月5日火曜日

4月6日 日々のみことば「和解しなさい」

 マタ 5:25 「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。」


イエスは、憎み合うのではなく、できるだけ早く和解するように命じておられます。

どうしてもゆるせないような理不尽に出会うこともあります。

どうか神の愛によって心溶かされ、和解できる力が与えられますように。

 

(今月は、リモート全国大会の準備のため、「日々のみことば」以外の書き込みができておらず、失礼いたしました。)

2022年4月4日月曜日

4月5日 日々のみことば「以前はそのような者でしたが」

 今週のテーマは、「神の国の教え」です。

Ⅰコリ 6:11 「あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」

 

6:9には、「正しくない者は神の国を相続できません」と記されています。

11節では、以前はそうだったかもしれないが、神の御霊(聖霊)によって心が洗われ、神の国にふさわしい者とされたことが記されています。

今の私たちがどのようであっても、後の私がこの御言葉通りになりますように。

2022年4月3日日曜日

4月4日 礼拝のみことば「愛と憐れみによって」

 41日は、ベタニヤ教会の創立記念日だったので、今日は創立記念礼拝でした。

教会の今までの歩みを振り返りましたが、改めてこの場所にベタニヤ教会が建っていること、一人ひとりがこの恵みの救いに導かれたことが、ただ主の愛の憐れみと救いであったことを再確認しました。

 

神は約束してくださいました。

Ⅱコリ 12:9 「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

 

弱い時にこそ助けてくださる神の愛に拠りすがりながら、これからも忠実に歩んでいけますように。

2022年4月2日土曜日

4月3日 日々のみことば「喜んで与える人」

 Ⅱコリ 9:7 「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」

 

マルコ12:41以下に、イエスが金持ちの多額のささげ物よりも、貧しいやもめのレプタ銅貨2枚を喜ばれたことが記されています。

神は、どれだけ与えたかではなくて、どんな心で与えたかをご覧になります。

喜んでささげる心を、神は喜んで受け取って下さるのです。

2022年4月1日金曜日

4月2日 日々のみことば「あふれるばかりの祝福を」

 マラ 3:10 「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の【主】は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。」

 

神は、ささげ物に関しては「試してみよ」と語っておられます。

必ず天の窓を開いて、少しではなく、あふれるばかりに祝福を注いでくださるからです。

本当に素晴らしい約束です。