◆ヘブル 1:3 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
◆御子イエスは、単なる預言者、神の使いではなく、神の栄光の輝きそのもの、神の本質、神性の完全な現れ、すなわち神ご自身だと言っています。
イエスの顔に輝く神の栄光を、鮮やかに見させていただきましょう。
◆ヘブル 1:3 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
◆御子イエスは、単なる預言者、神の使いではなく、神の栄光の輝きそのもの、神の本質、神性の完全な現れ、すなわち神ご自身だと言っています。
イエスの顔に輝く神の栄光を、鮮やかに見させていただきましょう。
今週のテーマは、「イエス・キリスト」です。
◆マタ 11:3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
◆ユダヤの民は、暗闇の世界から救ってくれる救い主を700年待ち続けていました。
バプテスマのヨハネはイエスに、「救い主はあなたですか」と尋ねました。
イエスは、救い主が行うと預言されていた救いと癒しの御業を行っていることを語り、ご自分こそ真の救い主であることを宣言されたのです。
パウロの救いを学びました。
彼をクリスチャンを捕らえていた迫害者でした。
リビングバイブルでは「せん滅しようと」と記されていますが、
パウロはクリスチャンを皆殺しにしようとしていたのです。
このようなパウロも神の愛によって救われ、福音の伝達者に
変えられたことに大きな感動を覚えます。
パウロは、世界の宗教地図を塗り替えました。
私たちも、神の愛によって仙台を、黒松を包んでいくことができますように。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」一コリ 15:10【新共同訳】
ああ、神は愛なり!
◆Ⅰペテ 4:11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。
◆神は私たちに、自分の力で無理をして、奉仕をすることを求めてはおられません。
神が備えてくださる力によって、奉仕をすることを願っておられます。
神が力を与えてくださるとき、私たちは自分が持っている力以上の奉仕をすることができます。
◆Ⅰテモ 4:6 「これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰のことばと、自分が従ってきた良い教えのことばで養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。」
◆良い奉仕者となるためには、信仰と教えのことば、すなわち聖書のみことばによって養われることが必要であると語られています。
みことばをもっと読み、味わい、神に喜ばれる良き奉仕者とならせていただきましょう。
◆ロマ12:7,8 「奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。」
◆神は様々な賜物(贈り物、才能)を、私たちに与えてくださいました。
神は奉仕の賜物を、私たちに与えてくださいます。
神と人とに、愛をもって奉仕する人となることができますように。
◆エペ 4:12 「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」
◆私たちが神のため、人のために奉仕をし、キリストを頭として一つとなることを神は望んでおられます。
神が私たちを整えて、奉仕をする力を与えてくださいます。
◆マル 10:45 「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」
◆神であるイエスが、人間となられた目的は、被造物である人間に仕えるためであり、十字架の上で私たち人間の罪の贖いのために、ご自分のいのちを与えるたまでした。
ここに愛があります。
神は愛なり!
今週のテーマは、「奉仕」です。
◆ルカ 2:51 「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」
◆神であられるイエスも、両親に従順に仕えられました。
私たちも自分を低くして、両親に、人に仕える者となりましょう。
◆ヨハ 20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
◆標語のみことばを学びました。
永遠のいのち、天国の命を得るためにはどうすればよいのか、ここにはっきりと記されています。
それはイエスを神、救い主と信じ、御名を呼ぶことです。
神は十戒の中で、「主の名をみだりに口にしてはいけない」と言っておられます。
本当に心の底から、敬虔な思いで、真心をもって主の御名を唱えていきましょう。
その時、神のいのち、神の祝福を受けることができます。
◆ヤコブ 5:11 「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」
◆子どもたち、財産、大切なものを失ったヨブでしたが、忍耐して耐え忍んだとき、神は再びヨブを祝福されました。
彼は、それまでの2倍の祝福を受けたのです。
主の憐れみを信じて、今ある苦難を忍耐をもって耐え忍ぶことができますように。
◆ヨブ42:5 「私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。」
◆長い苦しみの果てに、ヨブはついにその目で神の栄光を見ました。
耳で聞いただけではなく、その心の目で鮮やかに見たと言っています。
私たちも心の目を開いていただいて、神の栄光を見させていただきましょう。
◆ヨブ 22:25 「そうすれば全能者はあなたの黄金となり、あなたにとっての尊い銀となる。」
◆みことばを心に留め、不正から遠ざかって全能者に立ち返るなら、主が助けて力と祝福を与え、全能者はあなたにとって金や銀のような宝となるでしょう。
◆ヨブ 19:26 「私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。」
◆ヨブの体は、病や疫病でぼろぼろでした。
しかし、その肉と皮が剥ぎ取られた後に、彼は神を見ることができると確信していました。
試練によって、心からすべてのものが剥ぎ取られて、神を見ることができる幸いがあることを教えられます。
◆ヨブ 5:17 「ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。だから、全能者の訓戒を拒んではならない。」
◆この言葉を、試練を受けたヨブが語っていることに大きな意味があると思います。
私たちの日常には、大なり小なり必ず試練が起こっておきます。
その時に、神の訓練として受け取るられる人は幸いです。
神がそれを乗り越える力を与えてくださるでしょう。
◆ヨブ1:21「【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」
◆非常に祝されたヨブに、突然次々とサタンが災難と試練を与えたことが1章に記されています。
敵によって、息子・娘が殺され、家畜を殺され、大風によって子どもたちが下敷きになってしまいました。
しかし、ヨブは、この災難の中でも、つぶやかず、神を呪わず、それを受け入れて主の御名をあがめました。
何という信仰でしょうか。
◆使 4:30 「また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」
使徒行伝のリバイバルを起した弟子たちの祈りです。
癒しとしるしが行われるように祈っていますが、その原動力は、神の御手、イエスのみ名です
イエスのみ名によって祈り命じる時、素晴らしい御業が行ることを信じます。
神の御手を動かす祈りをおささげしましょう。
◆コロ 1:27 「この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
◆神の奥義、最も素晴らしい救いの神髄は、私たちの心の中にキリストが宿って下さることです。
これこそが、栄光の望みだと聖書は語っています。
内住のキリストを求めていきましょう。
◆ロマ 8:28 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
◆今年、私たちに、愛する人々に、様々なことが起こってくるでしょう。
良いことも悪いことも、恵みも試練も。
しかし、神とともに歩む時、すべてがプラスに変えられることを信じます。
この主に依りすがって歩んでいきましょう。
◆ピリ 1:21 「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」
◆使徒パウロの言葉です。
パウロにとって生きることは、キリストを生きることであり、キリストがパウロの内から生きてくださっていました。
そして、パウロにとっては、もはや死ぬことは神の国へ、愛する神のもとへ行くことであり、益、プラス以外のなにものでもなかったのです。
私たちの内からキリストが生きて働いてくださいますように。
◆詩 37:5 「あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
◆私たちが歩んでいく道は、山あり谷ありです。
自分のその道を歩むのではなく、また自分の考えだけでその道を選ぶのではなく、
主に信頼しましょう。
主が力を与え、正しい道へ導き、その目的を成し遂げさせてくださいます。
◆マタ 1:21 「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
◆神様は、このみことばを創立者である大槻牧師に与え、この小さき群を起されました。
それは私たちが、イエスのように歩むためです。
(昨日は、京都へ行っていたためお休みでした。)
◆イザ 66:2 「──【主】のことば──わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。」
◆神が目を留めてくださる人はどんな人か記されています。
貧しさの中で苦しんでいる人、心に様々が詰まっていない人、心と霊が砕かれた謙遜な無の人、神のことばを信じて従う人です。
◆エレ 29:11 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
◆神は今年私たちに、平安と将来を与える希望の満ちた計画を与えてくださいます。
このみことばを信じて、希望をもって前進していきましょう。
祝福の道が開かれることを信じます。
◆ロマ 8:28 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
◆今年、感謝なことも難しいことも起こってくるかもしれません。
しかし、そのすべてが、私たちにとって益となると語られています。
それらが、時に私たちを励まし、時に私たちを無とし、時に私たちを訓練し、最後には
私たちの益と必ずなります(天国へ行ってからの場合もあるかもしれませんが)。
◆ヨシ 1:9 「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」
◆今年さまざまな試練や困難があるかもしれませんが、神は「恐れるな、強くあれ」と言われます。
それは、どこへ行っても、どんな状況になっても、主がともにいて助けてくださるからです。
今週のテーマは、「新年にあたり」です。
◆申 11:12 そこは、あなたの神、【主】が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、【主】が絶えずその上に目をとどめておられる地である。
◆神は、年始から年末まで、365日8760時間、1日も一瞬も絶えることなく
私たちを見守っていてくださいます。
私たちも、神に毎瞬間心の目を注ぎましょう。
◆ヨハ 14:6 「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』
◆イエスこそ、神に至る道であり、同時に真理、いのちそのものであられます。
イエスという意味を通るなら、だれでも神のもとへ導かれることができます。
心の目をイエスに向けましょう。
今年の御名、「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)について学びました。
皆さんは今、どんな道を歩んでいるでしょうか。
平坦な希望の道、それとも試練の山道でしょうか。
聖書は、人間が罪を犯したため、苦しみや死が入り、神との間に溝が生じたことを教えています。
しかし、イエスは、神であられたのに人間となり、神への道となってくださいました。
十字架によって、救いへの架け橋となってくださいました。
イエスは言われます。「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです」
「我は道なり真理なり命なり」