ロマ 14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。
会社に仕えている人、上司に仕えている人、そのほか様々なものに仕え、すべてをすり減らしている人から相談を受けることがあります。
しかし、私はキリストに仕える喜びを日々感じていることを、心から主に感謝いたします。
ロマ 14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。
会社に仕えている人、上司に仕えている人、そのほか様々なものに仕え、すべてをすり減らしている人から相談を受けることがあります。
しかし、私はキリストに仕える喜びを日々感じていることを、心から主に感謝いたします。
ようやく蔓延防止措置が解除となりました。
日曜日に、皆さんと顔を合わせて礼拝ができることを心から楽しみにしています。
聖書は言っています。
マタ 18:20 「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」
どうか集まってささげる日曜日の礼拝の真ん中に、神が現存し、あふれるばかりの祝福を注いでくださいますように。
ロマ 14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。
会社に仕えている人、上司に仕えている人、そのほか様々なものに仕え、すべてをすり減らしている人から相談を受けることがあります。
しかし、私はキリストに仕える喜びを日々感じていることを、心から主に感謝いたします。
ヨブ 36:11 もし彼らが聞き入れて神に仕えるなら、彼らは自分の日々を幸せのうちに、自分の年々を楽しみのうちに全うする。
神に仕える時、どんな中を通ったとしても、主は幸せ、平和、楽しみを約束していてくださいます。
士師記13章12節に、民の救い手として聖別された子サムソンを授かるとの約束を受けたマノアが、子供をどのように育てればよいか神に尋ねています。
自分に生まれた子供は、神から与えられたものである。
教会に連なっている子供、地域の子どもたちは、神より愛された子供たちである。
この認識のもとに、主の助けを受けながら、主に尋ね祈りながら、本当に大切に子供たちを育てていきたい、導びかせていただきたいと思わされました。
西日本は残暑が厳しいようですが、仙台は、少しずつ涼しくなってきましたね。
季節の変わり目、急な気温の変化で体調を崩さないように、どうぞご自愛ください。
皆さんがコロナから守られ、健康で過ごすことができますようにお祈りいたします。
今週のテーマは、「主に仕える」です。
ヨシ 24:22 ヨシュアは民に言った。「【主】を選んで主に仕えることの証人はあなたがた自身です。」彼らは「私たちが証人です」と言った。
民は、誰彼ではなく、主なる神を選び、主に仕えると告白しました。
私たちも、積極的に主を選び、仕える者となれますように。
同時多発テロでご主人をなくされたリサ・ビーマーさんから学びました。
彼女はには、二人に子供とお腹に新しい命が宿っていました。
「これからどうしていけばよいのだろうか…」
子供に聞かれないように、クローゼットの戸を閉め、涙が枯れるまで泣いたこともあったそうです。
しかし、飛行機の墜落現場に立った時、一つの賛美歌が心に迫ってきました。
♪静けき川の岸辺を、すぎゆくときにも、憂き悩みの荒海を渡りゆくおりにも、
心安し、神によりて安し
この讃美歌は、海難事故で4人の娘を一度に亡くしたスパフォードが作詞をした曲で、彼がその事故現場の波を眺めつつ、涙ながらに詩を書き留めたと言われています。
スパフォードを包んだ神の慰めが、リサさんを包みました。
リサさんはこう言っています。
「神様はわたしにこう語り掛けられました。、『わたしは…あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない』(ヨシュア1:5)。苦しみも悲しみも、すべてのことを益としてくださる神様にこそ、希望があると思わされました」。
リサさんを力づけた神の慰め、安らぎが私たちの上にもありますように。
明日紹介するリサ・ビーマーの言葉より
「私たちの前には、二つの道があります。一つは、失ったものだけを見つめていきること、もう一つは、今与えられているものを見つめて生きることです。私は希望をもって生きる道を選びました。」
Ⅰヨハ 4:7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
ヨハネが書いた福音書、書簡には、神の愛に満ちたみことばがあちらかちらにちりばめられています。
それはヨハネの内から出たものではなく、神から愛が、愛のみことばがあふれ出たのです。
今日はオープン礼拝の案内を、以前来てくださったことのある方々へ投函に行きました。
2人の方がポストにテープが貼られ、引っ越されたようでした。
今まで他にも引っ越された方があり、このコロナ禍で体調を崩された方、施設に入られた方もあるのかなと心配になりました。
どうか皆さんの健康が祝されますように、お祈りいたします。
ヨハ 21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ヨハネは、イエスから愛された弟子であり、イエスを誰よりも愛した弟子でした。
私たちも主から愛される者、主を愛する者とならせていただきましょう。
ヨハ 19:26 イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。
ヨハネは、自分も捕らえられることを恐れず、十字架のそばに最後までたち続けました。
そして、イエスの愛の御声を直接聞いたのです。
私たちも主の十字架のもとにおり続け、注がれる愛に満たされることができますように。
マルコの福音書5章25節以下に、長血をわずらっている婦人のいやしの物語が記されています。
この婦人は、 「あの方(イエス)の衣にでも触れれば、私は救われる」と信じて触れ、素晴らしいいやしの救いを体験しました。
私たちは現代においてイエスに触れることはできませんが、祈りにおいて、イエスの神性、本質に触れさせていただきたいと願います。
「さわった人たちはみな癒やされた。」マルコ6:56
みことばのとおりになりますように。
マル 3:17 ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
12弟子の一人であったヨハネですが、「雷の子」というあだ名をつけられたほど、気性が激しかったようです。
この雷の子が、愛の使徒に変えられた現実を見る時、神の愛の素晴らしさを知らされ、希望が与えられます。
今日は祭日だったので、家族で大きな公園に行き、人のいない隅の空き地で、野球をしたりして遊びました。
その後、近くの河原で石積みをしました。
わたしが13個で一番多く石を積むことができました。
勝利の要因は、一番下に大きくて平らの石を土台にしたことでした。
ふと聖書のみことばを思い出しました。
エペ2:20 「キリスト・イエスご自身がその要の石です。」
キリストを土台として、日々の歩みの要としたいと思わされました。
今週のテーマは、使徒ヨハネです。
ヨハ1:36,37 そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。二人の弟子(ヨハネとアンデレ)は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
ヨハネは、始めてイエスに出会ったとき、イエスについて行って、やがて弟子となりました。
誰について行くか、どんな道を進むのかによって、私たちの人生は大きく変わります。
イエスの足跡に、従っていく者となりましょう。
今回は、リモートで秋期聖会でした。
詩篇27:1「主は私の光。私の救い。だれを私は恐れよう。」
コロナという暗闇の中にあって、主キリストこそ私たちの希望の光、救いの光です。
この光の内を歩むなら、私たちは恐れることがありません。
主が私たちの行くべき道を照らしてくださるからです。
ダビデが遺言として、残したことばはこうです。
Ⅰ列王 2:3 あなたの神、【主】への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。
最後の部分を、新共同訳では、「良い成果を上げることができる」と訳しています。
聖書のことば、神のことばを守るとき、主が助けて良い成果を、祝福を与えてくださいます。
今日は数日ぶりに、落ち着いて聖書を読むことができました。
忙しくてどうしても読めない日はこれまでもありましたが、高熱で体も心も弱ったからか、とても聖書を読めることが感謝で、力を与えられました。
みことばは、わたしの栄養源なのだと感じました。
Ⅱサム 12:13 ダビデはナタンに言った。「私は【主】の前に罪ある者です。」ナタンはダビデに言った。「【主】も、あなたの罪を取り去ってくださった。」
ダビデは大きな罪を犯したとき、神に心から悔い改めました。
神は、赦しを与えてくださる愛の神様です。
昨日2回目のワクチン接種を受け、熱が39度まで上がりました。
今ようやく微熱に下がってきました。
水分をとったり解熱剤を飲んだりしましたが、なかなか高熱が下がらず、ひたすら忍耐の時でした。
聖書の御言葉を思い出しました。
ロマ5:4 「忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」
Ⅱサム 5:2 「これまで、サウルが私たちの王であったときでさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。【主】はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」 ダビデが王に任命されたとき、国を動かしていたのは「主であるわたしだ」と神は言われました。
神のことばに従って歩みましょう。
Ⅰサム 17:45 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かう。
少年ダビデは、敵の勇者で大男ペリシテ人を打倒しました。
それは彼の力ではなく、御名によって祈りながら、敵に立ち向かったからです。
今週のテーマは、「ダビデ」です。
Ⅰサム 16:7 【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
私たちは人から外見や才能などで判断され比較される世の中に生きていますが、主は心を見てくださいます。
人の目を気にすることなく、神様のやさしいまなざしを感じながら歩みたいものです。
今日は教会の玄関の木を剪定しました。
15年前、新会堂が献堂されたときに植えられた木ですが、、2階のベランダほどの高さに成長しています。
教会のメンバーも、コロナ禍ですが、神様に守られ、キリストの身の丈にまで成長することができますようにと願います。
マタ 19:26 「イエスは彼らを見つめて、『それは人間にできることではないが、神は何でもできる』と言われた。」(新共同訳)
敵に包囲され、餓死寸前だったイスラエルを救ったのは、4人の重い皮膚病の人たちでした。
彼らがダメでもともと、命がけで立ち上がったとき、神様も立ち上がり、奇跡的勝利を与えてくださいました。
彼らは乞食で、病人で、汚れていると考えられていた人たちでしたが、神は彼らを用いて、素晴らしいみ業をおこされました。
彼は、私たちが神様に拠り頼む時、小さな者たちを通しても、素晴らしいみ業を行ってくださいます。
今日は、教会の中を20分ほど歩きました(花粉症のため、外が歩けないため)。
礼拝をして、集中し緊張していた体がほぐれて心地よい疲労感に包まれています。
リモートではありましたが、今日も1回の礼拝をおささげできたことを、主に感謝いたします。
ヨハ 10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。
イエスは、ご自分の囲いから離れている羊さえ見捨てず、その羊を捜し出して導いてくださいます。
ああ、神は愛なり!
12日までの緊急事態宣言が解除となり、蔓延防止措置へ移行するようです。
しかし、日中の不要不急の外出は自粛ということなので、19日以降の今月の集会は、リモートとなってしまいました。
皆さんと顔を会わせて集会ができないのが残念ですが、忍耐してリモートで1回1回の集会をおささげしたいと思います。
ロマ 5:4 「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。」
今日は、暑い一日でした。
こう寒暖差があると、体にこたえますね。
「寒暖差アレルギー」「寒暖差疲労」というものがあるらしく、確かに疲れを感じた一日でした。
何とか今日支えられたことを、神様に感謝します。
ヨハ 10:11 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
キリストはより羊飼いで、いのちを捨てるほどに、私たちを愛し、強め、支えてください。
詩23:6 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも【主】の家に住まいます。
私たちがどこにいても、どんな状態でも、いつくしみと恵みが、わたしたちを追いかけてくると約束されています。
神の恵みが大きいので、あなたがたとえ逃げても、追いつくまでいつくみが追って来るのです。
お言葉通りなりますように。
詩23:4 たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。
死を目の前にするような大きな試練が襲ってきても、この詩篇の作者は「私はわざわいを恐れない」ときっぱり語っています。
なぜでしょうか?
よい羊飼いである全能の主、愛の主がともにおられるからです。
ピリピ2:16「同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。」
ピリピ書は、著者パウロが獄中で書いた書簡ですが、わずか4章の中に「喜び」「喜べ」と16回も記されており、「喜びの書簡」と呼ばれています。
今日も、朝を迎え1日過ごすことができることを、心から喜びたいと思います。
「今日一日を与えてくださり、主よ感謝いたします。」
神は愛なり!
詩23:3 主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
良い羊飼いであるキリストは、死んでいるように弱っている魂があっても生き返らせ、迷いの道、試練の道ではなく、正しい道、祝福の道へ導いてくださいます。
ああ、神は愛なり!
詩23:2 主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
イスラエルは雨季と乾季があり、乾季は雨が降らず、茶色の風景になります。
しかし良い羊飼いであるキリストは、私たちを憩いの水際に導き、命の水、命の糧を与えてくださいます。
詩 23:1 【主】は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
聖書は、「羊飼い」をキリスト、「羊」を私たち人間に例えています。
神が私たちの羊飼いであるなら、乏しいことはありません。足りないものは何もありません。
(オープン礼拝の動画)
https://www.youtube.com/watch?v=0VPLh8Wy2tI
ヨエ 2:28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。
聖霊が注がれる時、子供たちは神のことばを与えられ、年配の人は希望の夢を見、青年たちは未来のビジョンを見ると約束されています。
御言葉の通り、なりますように。
ヨハ 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
聖霊は、私たちを教え、助け、導いてくださいます。
聖霊の御声に、心の耳を傾けましょう。
エゼ 36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
神は石のような冷たく固い心も、聖霊によって新しい心と変えてくださいます。
ヨブ 33:4 神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを下さる。
「息」と「聖霊」は、「ルアッハ」という同じ言葉です。
全能の神は、聖霊の息を私たちの心に吹き入れてくださいます。
申 30:6 あなたの神、【主】は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、【主】を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。
旧約時代、割礼は救いのしるしでしたが、神は私たちの心にその救いのしるしを刻んでくださいます。
主を心を尽くして愛する者となりましょう。