Ⅰヨハ 1:9 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」
私たちは弱い者ですから、過ちを犯したり、人を傷つけ、神の前に罪を犯すこともあるかもしれません。
そんなときは、神の前に自分を罪を告白しましょう。
主は私たちを、赦し愛してくださいます。
Ⅰヨハ 1:9 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」
私たちは弱い者ですから、過ちを犯したり、人を傷つけ、神の前に罪を犯すこともあるかもしれません。
そんなときは、神の前に自分を罪を告白しましょう。
主は私たちを、赦し愛してくださいます。
ルカ 15:18 「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。』」
この放蕩息子は、父が死んでからもらうはずの財産を生前に受け、放蕩三昧をして一文無しになってしまいます。
その時は、彼は自分の過ちを悔いて父の元へ帰りました。
その時、父は彼を赦し、再び彼を豊かな愛と祝福で満たしてくれました。
神の愛は、これよりもさらに大きい愛です。
ああ、神は愛なり
今週のテーマは、「悔い改め」です。
ホセ 6:1 「さあ、【主】に立ち返ろう。主は私たちを…癒やし、私たちを…包んでくださるからだ。」
私たちは、主の方へ方向転換しましょう。
主は私たちの心と体を癒し、傷を愛で包んでくださるからです。
今週は、健康感謝礼拝でした。
K牧師は、脳梗塞から退院をされましたが、「難しい会話はできない、一人で出歩くことは危険」、と言われていました。
ところが、教会に戻ると、会計の仕事をし、近くの郵便局に行けるようになり、先週説教も語られたそうです。
広範囲の脳梗塞であったので、奇跡的な回復を与えてくださった主に感謝します。
イエスは言われました。
「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカ18:27)
「神にはどんなことでもできるのです。」(マルコ10:27)
心と体が弱っている方がおられたなら、神のいやしの力が注がれますように願います。
神は愛なり!
詩篇 103:3 「主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やす」
主は、すべての罪を赦し、すべての病気を癒すと約束してくださっています。
今日は、健康感謝礼拝です。
主があなたの心と体を癒し強めてくださいますように。
ヨハ 5:8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
イエスは38年間病気で苦しんでいる人を癒されました。
歩けなかった彼が、歩けるようになりました。
主は、一歩も進めず倒れ込んでいる私たちを、起き上がらせてくださいます。
Ⅱ列王 5:14「 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」
難病に冒されていたナアマンは、ヨルダン川の水に7回身を浸すといやされました。
私たちも聖霊の水に、何度も浸透されて、身も心も清めいやしていただきましょう。
イザ 53:5 「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」
イエスは、私たちへの愛のために、釘で刺され懲らしめを受けてくださいました。
その打ち傷、愛のみ傷のゆえに、私たちは癒されることができます。
主の十字架を仰ぎ見ましょう。
ヨブ37:21,22 「今、光は見ることができない。それは雨雲の中に輝いている。しかし、風が吹いて雲を払いのけると、北から黄金の輝きが現れる。」
三浦綾子さんは、大変な試練と病を通りましたが、「『太陽はいつも雲の上に輝いている』ということばが好きです」と言っておられます。
光が少しも見えない中で、雲の上に必ず輝いている神の愛の光を、綾子さんは信じていました。
そして、神の愛の光を見出されたのです。
神の希望の光、愛の光が照らしてくださいますように。
礼拝では、三浦綾子さんについて学びました。
小説「氷点」が入選し、現在の価値で1億円を獲得した綾子さん。
しかし、その人生は波乱万丈でした。
肺浸潤、脊椎カリエス、愛する人の死、帯状疱疹、がん、パーキンソン病。
これでもかというほどに試練と病が襲ってきました。
そのような中で、綾子さんはみことばを引用してこういっておられます。
「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。」詩 119:71
なかなか言えることばではないと思いますが、神様の愛の力で一つひとつの試練を乗り越えた時、「苦しみは幸せでした」と言うことができたのだと思います。
私たちにも多くの試練、困難、病が襲ってきますが、主が私たちを守り救い出してくださいますように。
マタ5:9 「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
平和をつくる人の幸いについて語られています。
その人は、「神の子ども」と呼ばれるほどに神に喜ばれる人、天国で光り輝く人となります。
それは何と幸いなことでしょう。
ロマ12:18 「自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。」
自分の周囲に、平和を保つ者となりたいと願います。
しかも「すべての人」と命じられています。
これはとても難しいことですが、気が合う人だけでなく、
合わない人、好意的でない人、マイナスを与えてくる人とも、平和を保つ人となれますように。
ルカ 10:5 「どの家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。」
聖書の国イスラエラルでは、「シャローム」(平和)と言って挨拶をかわします。
とても素敵な挨拶だと思います。
すべての人の家に、心に、「平安がありますように」と心から願います。
今週のテーマは、「平和」です。
ゼカ 9:10 「わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。」
今、ウクライナとロシアの間で、大きな争いが起こっています。
日本も決して他人事ではありません。
イスラエルの上にも、大きな危機が襲っています。
しかし主が、やがて平和を実現してくださることが預言されています。
この預言の通り、速やかになりますように。
神様は子どもたちの内にも働かれました。
高浜は小さな町ですが、「教会に行けばいのちのパンがもらえる」と子どもが子どもに声をかけ、100名以上の子どもが集まるようになりました。
小さい部屋に100名が集まったので、あまりの熱気に天井から結露でしずくが落ちて来た。
あるクラスでは、全員教会に来て救われているクラスもあった。
それほど多くの子どもたちが、永遠のいのち、聖霊をうけ救われて行きました。
ヨハ 6:68 「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」
私たちも、主のもとにきて祈り、いのちのパンである聖霊をいただくことができますように。
萩野牧師は、ついに神との出会いに導かれました。
その日、メッセージを聞いているうちに、「この歩くことができない乞食とは、私のことだ」と示され、「主よお救いください」と熱心に祈られました。
その時、萩野牧師の心の奥底から、「我、我、我は全能の神なり」と神の御名があふれ流れ出たのです。
このみことばが実現したのでした。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」使 2:21
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。」ヨハ 7:38,39
私たちの心から、この生ける水の川、御名の川が流れ出ますように。
神は愛なり
礼拝では、今年70周年を迎える「高浜のリバイバル」について学びました。
その発火点となられた萩野牧師の証しから紹介しました。
萩野牧師は父の死後、長女として7人の兄弟の世話にあけくれられました。
そのため、つい家族にあたったりしてしまい、自分の心の中に罪の塊があることを感じられました。
ある日、義理で参加した教会の特別集会で、その力強くみことばに感動し、続けて教会に通うようになられました。
当時は10名くらいの信徒しかおられたそうですが、大雪の日も毎日教会に通って祈り、停電の時には、懐中電灯をもって集まって、「聖霊来てください」と祈られたそうです。
「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」ルカ 10:42【口語訳】
私たちもこのような渇きをもって、無くてならない救い、永遠のいのち、聖霊を求めて祈っていきましょう。
「聖霊来てください。」
ヨブ 42:5 「私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。」
ヨブは突然の不幸、試練に見舞われ、つぶやいていました。
そのヨブが、ただ神について聞いているだけではなくて、その目で神を見たとはっきり語っています。
私たちも、聖書に出てくる神について読むだけでも聞くだけでもなく、心の目で鮮やかに神を見ることができますように。
創 32:30 「そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。『私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた』という意味である。」
ヤコブは、顔と顔を合わせて見るように神と出会いました。
そこにいのちの救いがありました。
私たちも顔を合わせて見るように、鮮やかな神との出会いを与えていただきましょう。
創 26:24 「【主】はその夜、彼に現れて言われた。『わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。』」
主はイサクに現れて、「わたしがともにいるから恐れるな」と告げられました。
主がともにおられることこそ、祝福を受ける秘訣です。
今週のテーマは、「神との出会い」です。
創 17:1 「さて、アブラムが九十九歳のとき、【主】はアブラムに現れ、こう言われた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。』」
主は「全能の神である」との名を示して、アブラムと出会われました。
彼はその時、新しい人「アブラハム」に変えられました。
神との出会いは、人を新たに変えることができるのです。
マタ19:19 「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
一人の人がイエスに、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか」と尋ねた時、イエスが答えられたみことばの一つです。
映画「塩狩峠」のヒロインであるふじ子さんは、肺病を患ってしまいました。
しかし、一人の友が、気にすることなくふじ子さんに接し、親切に訪問してくれました。
彼女はクリスチャンであって、やがてふじ子さんも彼女を通してキリストの愛を知り、クリスチャンとなりました。
私たちの周囲に、孤独の中にある人、悩み苦しんでいる人はいないでしょうか。
私たちも存在とことばと行動をもって、愛を示す人になりましょう。
オープン礼拝で、三浦綾子さんの小説が原作である映画「塩狩峠」を見ました。
実話をもとにした映画です。
主人公の永野さんは、給与泥棒をした同僚のために、上司に土下座し、旭川への転勤を受け入れたシーンが描かれていました。
そして、塩狩峠で列車が逆走したとき、永野さんは線路に飛び込み、自分の体で列車を止めました。
自分を犠牲にして、乗客のいのちを助けたのです。
「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハ 15:13)
永野さんは、いつもこのみことばに生きていたのです。
このキリストの大きな愛に、私たちの生きる者となりましょう。
神は愛なり!
ルカ1:46,47 「マリアは言った。『私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。』」
頭ではなく、心の奥底から、魂の奥底から私たちの救い主、主キリストを賛美し礼拝しましょう。
申 10:21 「この方こそあなたの賛美、この方こそあなたの神であって、あなたが自分の目で見たこれらの大いなる恐るべきことを、あなたのために行われた方である。」
主こそ真の神であって、私たちのために大いなる御業を行ってくださる真の神です。
このお方を心から賛美しましょう。
詩 84:4 「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。」
あなたの家とは、神の宮のことですが、神の愛のうちに、神の現存のうちにある状態であるとも解釈できます。
神の愛のうちにいる人はなんと幸いでしょう。
その人は喜びの賛美をいつも歌うことができるからです。
今週のテーマは、「神への賛美」です。
詩篇150:6 「息のあるものはみな【主】をほめたたえよ。ハレルヤ。」
この詩編には、「ハレルヤ」「主をほめたたえよ」ということばが13回も出てきます。
全能の力、比類のない偉大なみわざのゆえに、神を賛美しましょう。
息のある限り、いのちのある限り主を賛美しましょう。