今週のテーマは、「復活」です。
◆マタ 28:6 「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」
◆イエスの体が納められていた墓は、今も空です。
それは、イエスが死を打ち破ってよみがえられたからです。
今週のテーマは、「復活」です。
◆マタ 28:6 「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」
◆イエスの体が納められていた墓は、今も空です。
それは、イエスが死を打ち破ってよみがえられたからです。
◆ヨハ 19:30 イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
◆イエスは十字架の上で、息を引き取る前に、「完了した」と言われました。
それは、救いのすべての御業が完了した、成し遂げられたという意味です。
ですから私たちは、どのような人も救われ、清められ、変えられることができるのです。
◆ルカ 23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
◆イエスが、共に十字架に付けられた盗賊に対して語られたことばです。
十字架に付けられるほどの大罪人でしたが、死の間際に悔い改めてイエスを信じた時、彼は天国を与えられました。
誰でも遅すぎることはありません。
◆ヨハ 19:17 「イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。」
◆以前ゴルゴタの丘に行かせていただきましたが、そこは本当に岩肌がどくろに見える丘でした。
そこで賛美し祈った時、神の愛が心一杯に満たされた感動がよみがえってきます。
神の愛が皆さんの上にも豊かに注がれますように。
◆ルカ 23:21 しかし彼らは、「十字架だ。十字架につけろ」と叫び続けた。
◆群衆は、人類の罪の身代わりとして愛に死のうとしておられるイエスに対して、「十字架につけろ」と叫びました。
私たちは、イエスではなく、自分自身の罪、自我を十字架につけ、神の命に生きる者となりましょう。
◆ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」
◆洗礼者ヨハネは、イエスについて「世の罪を取り除く神の子羊」と言いました。
イエスこそ、旧約の罪のいけにえが示す実体であることを宣言したのです。
イエスの十字架の目的がここに示されています。
◆エペ 2:16 「二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」
◆キリストの十字架は、ユダヤ人と異邦人を、さらに神と人間とを和解させ、一つのからだとしてくださいます。
キリストの十字架の力を信じる者となりましょう。
今週のテーマは、「十字架」です。
◆ガラ 3:13 「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。」
◆十字架は、大罪人が処せられる死刑の方法で、呪われたものとみなされていました。
しかし、イエスは自らこの呪われた者となり、私たちを救い出してくださいました。
ここに愛があります、
◆イザ 6:8 私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
◆預言者イザヤは、主の招きの声を聞いたとき、「私を遣わしてください」と応えました。
私たちも困難な状況の中に陥るときがあるかもしれませんが、神様のために「私を遣わしてください」と立ち上がる者となりましょう。
◆ルカ 5:11 「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」
◆弟子たちにイエスが召命の御声をかけられたとき、彼らはすべてを捨ててイエスに従いました。
舟は彼らの生活手段であり、それをささげることは大きな犠牲であったと思います。
しかし、弟子たちはそれらを惜しみなくすぐにささげてイエスに従いました。
これこそ全き献身の姿です。
◆マル 14:8 「彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。」
◆ベタニアのマリアは、イエスの足に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎました。
それは当時のお金で、250万円以上するほど高価なものでした。
彼女は、これから十字架にかかろうとしているイエスのみ思いを理解し、
埋葬の準備として香油を注いだのでした。
真の献身は、自分の一番大切なものをささげること、与えることです。
◆エレ 30:21「わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。いのちをかけてわたしに近づく者は、いったいだれか。──【主】のことば──」
◆エルサレムが崩壊し、民がバビロンに捕囚となっている時に語られたみことばです。
中途半端な思い、信仰ではなく、本当にいのちをかけるほどの情熱と信仰が求められました。
今、キリストに従うのに身の危険を感じることはありませんが、このような熱意をもって神に近づく者となりましょう。
◆エス 4:14 「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。…あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
◆エステルは、ペルシャの王妃となりましたが、ユダヤ人虐殺の危機が襲ってきました。
その時、エステルは、自分の命の危険も顧みず、民の救いのために王に執り成しました。
自分さえ良ければいいという考えではなく、エステルのうちに自己犠牲の思いを見ます。
今週のテーマは、「全き献身」です。
◆ルカ9:23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
◆真のイエスの弟子となるための条件が語られています。
私たちの日々には、必ず試練や問題が起こってきます。
けれどもその時、その十字架を背負って従い行く者となりましょう。
◆使7:9参照 「族長(兄弟)たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、あらゆる苦難から彼を救い出されました。」
◆神はヨセフとともにいて、あらゆる苦難から守り救い出してくださいました。
私たちも、主とともに歩みましょう。
神が私たちを支え守ってくださるからです。
(オープンチャペル)
◆創 46:30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」
◆「もう今、私は死んでもよい」。待望していたヨセフとの再会の喜びが伝わってきます。
幼子イエスと出会った老シメオンのことばが示されます。
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ2:29,30)
もう死んでも良いと感じるほどの神との親しい出会いを求めていきましょう。
◆創 45:5 「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」
◆エジプトに自分を売り飛ばした兄弟たちと出会ったときに、ヨセフが語ったことばです。
自分が売られたことは神の救いのご計画であると、ヨセフはひどい兄弟たちを赦しました。
ヨセフの赦し、神の驚くべき御業が心を震わせます。
◆創 41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は一つです。神が、なさろうとしていることをファラオにお告げになったのです。」
◆ヨセフはファラオが見た夢の意味を、見事に解き明かしました。
神が彼に知恵を与えられたからです。
囚人であったヨセフは、エジプトの宰相になりました
神のなさるみわざは何と偉大なことでしょう。
◆創 39:3 「彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。」
◆ヨセフを奴隷として買った侍従長のポティファルは、主がヨセフとともにおられるのを見ました。
主が彼の行うすべてのことを祝福してくださったからです。
主とともに歩む幸いを見ることができます。
◆創 37:28「それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。」
◆父ヤコブに特別かわいがられていたヨセフは、兄弟から妬まれ、銀二十枚で奴隷として売られてしまいました。
私たちも人から、思いがけない言葉を浴びせられ、いわれのない反感を買い、理不尽な仕打ちを受けることがあるかもしれません。
しかし、ヨセフを助けられた主が、私たちを支え守ってくださいますように。
今週のテーマは、「ヨセフ物語」です。
◆創 37:7 「見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
◆ヨセフは、やがて兄弟たちがヨセフの前にひれ伏すのを夢で見せられました。
しかし、兄弟たちからは、それによって反感を買ってしまいました。
私たちの場合、余計なことを言って相手を怒らせてしまうこともあるかもしれません。
聖書は、「もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です」(ヤコブ3:2)と言っています。
◆コロ 3:11 「そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」
◆Ⅱコリ 4:7 「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」
◆Ⅰヨハ 4:4 「子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。」
◆私たちの心のうちにキリストを迎える時、私たちはすべてのことに勝利を取ることができます。
内におられるお方は、偉大な全能の力を持つ神様だからです。
◆Ⅱコリ 6:16私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
◆私たちは人間は、神が宿ってくださる生ける神の神殿だ、と神は言われます。
神は私たちの近くに住み、私たちの心に宿り、私たちとともに歩んでくださいます。
神を現わす真の神殿とならせていただきましょう。
◆ガラ 2:20 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
◆パウロは、「キリストが私のうちに生きておられる」と語りました。
彼が行った偉大な御業は、自分の力に依ったのではなく、神が自分の内から生き働かれたと言っているのです。
私たちも自我に生きるのではなく、キリストが私たちの内から生き働いてくださいますように。
◆エペ 3:17 「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」
◆信仰によってキリストを心に迎える時、キリストは私たちのうちに住んでくださいます。
いつもキリストを感じ、キリストと共に歩むことができるのです。
今週のテーマは、「内住のキリスト」です。
◆コロ 1:27 「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
◆聖書の最も奥深い大切な教えは、私たちの心の中に来てくださるキリストであると語られています。
内住のキリストこそ、私たちを導く希望の光です。
◆ピリ 2:16 「いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
◆世の光として輝くように求められています。
そのためには、多くの努力、労苦が必要ですが、天国でその報いを受けることができます。
周囲の人々に、いのちの光を輝かせましょう。
◆エペ 5:8 「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」
◆以前は真の救いを知らない闇の中を歩んでいた私たちが、救いと愛の光を受けて神の子どもとされました。
周囲の人々に光を放つ光の子どもとなることができますように。
◆黙 1:6 「また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。」
◆神は私たちを、天国のメンバーとし、神に祈る祭司としてくださいました。
それは自分が救われるだけでなく、愛する人々の救いのためにとりなし祈るためです。