黙 22:14 自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。
神の国に、入ることができるように、心を洗い清め、神の命を心に受け取りましょう。
黙 22:14 自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。
神の国に、入ることができるように、心を洗い清め、神の命を心に受け取りましょう。
使 22:16 「さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」
アナニアがパウロに語った言葉です。
私たちもパウロのように、主の御名を呼んで、罪を洗い、新しい人に変えられましょう。
ヨハ 13:5 それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。
神であるイエスが、弟子たちの土埃で汚れた足を、彼らの心を洗われました。
ここにイエスの謙遜、愛を見ます。
詩 51:7 ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。
私たちの心が、どんなに黒く赤く染まってしまっても、神は雪よりも真っ白くしてくださいます。
ゼカ 13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。
十字架の上に一つの泉が開かれ、命の水が私たちに流れています。
今週のテーマは、「洗い清め」です。
Ⅱ列王 5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
命の水で、私たちの身も心も洗い清められることができますように。
聖職者会で下谷牧師が語ってくださったお勧めから学びました。
旧約の最大の奇跡は、出エジプトです。
前は紅海、後ろは敵という行き詰まりの中で、神は奇跡をおこなわれました。
新約においても、カナの結婚式でぶどう酒がなくなったとき、イエスは水をぶどう酒に変えてくださいました。
「神の業は、ピンチの中でこそ行われるのです。」
暗闇になればなるほど、神の光が輝きます。
主は言われます。「光は暗闇の中で輝いている」。
「わたしは世の光である!」
イザ 30:18 それゆえ【主】は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。【主】が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。
主を待ち望む人は、幸いです。
主が、恵みと憐れみを与えてくださるからです。
ヨエ 2:23 シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。
聖書で「雨」は聖霊の象徴です。
主は求める者に、聖霊の大雨を降らせてくださいます。
使 1:14 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。
いよいよ夏の素晴らしいプログラムが始まっていきます。
心を一つにして、主を、聖霊を待ち望みましょう。
Ⅱ列王 2:14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、【主】はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。 「主はどこにおられますか」。
主は私たちの近くに、私たちのうちにおられて、助けてくださる主です。
Ⅰ列王 18:37 「私に答えてください。【主】よ、私に答えてください。そうすればこの民は、【主】よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」
主こそ真の神ですから、私たちの祈りに答えてくださいます。
今日も信じて祈り求めましょう。
今週のテーマは、「主を待ち望む」です。
イザ 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。
主を待ち望む人には、鷲のように空高く上り、歩いていても疲れない力が与えられます。
「天国の鍵」というテーマで学びました。
イエスは弟子たちに、こう尋ねられました。
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」マタイ16:15
これは「永遠の質問」と呼ばれ、天国の入国テストのような質問です。
ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」16:16
彼は百点満点の答えを出しました。
イエスを今も生きておられる真の神、救い主と信じたのです。
イエスは彼に答えられました。「わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。」16:19
今日、イエスを今も生きて私たちの祈りに答えてくださる真の神、どんなときにも助けてくださる愛の救い主と信じましょう。
主は私たちに、天国の鍵、天国の命を与えてくださいます。
詩 99:6 モーセとアロンは主の祭司たちの中にサムエルは御名を呼ぶ者たちの中にいた。彼らは【主】を呼び主は彼らに答えられた。
サムエルが、主の御名を呼んだとき、主は答えてくださいました。
私たちも聖日の朝、御名を呼んで、主に祈り求めましょう。
Ⅰサム 15:22 サムエルは言った。「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
主の言葉に、耳を傾け、聞き従う者となりましょう。
Ⅰサム 3:19 サムエルは成長した。【主】は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。 主がサムエルとともにおられ、彼が語る言葉はすべて実現しました。
主とともに歩むこと、そこ祝福の秘訣があります。
Ⅰサム 3:10 【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
少年サムエルの姿に倣い、神の御声に耳を傾ける者となりましょう。
Ⅰサム 2:35 わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよう。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。 サムエルは、主の前をいつまでも忠実に歩んだ祭司でした。
私たちも、いつもどんなときにも、主の前に忠実に歩むことができますように。
今週のテーマは、預言者「サムエル」です。
Ⅰサム 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、【主】に祈った。
ハンナはサムエルの母です。
母の涙の祈りの大切さ、素晴らしさを感じます。
ヨシ1:5-6【新共同訳】
わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
強く、雄々しくあれ。
主はモーセの後継者であったヨシュアに、「強く雄々しくあれ」と3度語り掛けられました(1章)。
大勇士というイメージがあるヨシュアですが、彼も弱り、恐れおののいたことを知り、誰でも同じなのだと思わされました。
主が私たちとともにいて、強めてくださいます。
主とともに歩んでいきましょう。
Ⅰ列王 8:11 祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである。
雲とは、主の現存、臨在のことです。
主の栄光に満ちた賛美、礼拝をささげることができますように。
ヘブル 7:25 したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。
イエスは十字架の上でとりなしてくださったので、どんな人も完全に救うことができます。
十字架を信仰をもって見上げましょう。
詩 106:23 もし神に選ばれた人モーセが滅ぼそうとする激しい憤りを収めていただくために御前の破れに立たなかったならどうなっていたことか。
罪のために滅びようとしていた民のために、モーセは袋の破れをふさぐように、神の前に祈り、執り成しました。
私たちも、愛する人々のために、祈る者となりましょう。
黙 1:6 また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。
神は私たちを、愛する人々・子供たちの救い、イスラエルの平和のために、私たちを祭司として選んでくださいました。
心から祈りを、今日もおささげしましょう。
今週のテーマは、「祭司」です。
レビ 21:8 彼はあなたにとって聖でなければならない。あなたがたを聖別する【主】であるわたしが聖だからである。
聖なるお方にならって、私たちも聖なる者へと導いていただきましょう。
礼拝では、「新しくなる」とのテーマで、ペテロの生涯から学びました。
イエスとペテロの最初の出会いを、聖書はこう記しています。
「イエスはシモンを見つめて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。』」ヨハ 1:42
イエスは全知の眼差しで、シモンの血筋、性格、罪深い過去まですべてをご存知でした。
しかし、神の力によって、岩のように強い信仰を持つ大使徒となるペテロの姿を見ておられたのです。
イエスは、私たちにも語りかけてくださいます。
「あなたは、無力なシモンです。しかし、あなたを新しい人、、ペテロにします。」
お言葉通りになりますように。
神は愛なり!
マタ 18:22 イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」
イエスは、「すべてを赦しなさい」と言われました。
非常に難しいことですが、イエスの模範に倣い、赦す人となれますように。
コロ 2:13-14 私たちのすべての背きを赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。
キリストは十字架の犠牲によって、私たちのすべての罪を赦してくださいました。
ここに、愛があります。
詩 25:11 【主】よあなたの御名のゆえに私の咎をお赦しください。それは大きいのです。
御名によって祈るとき、私たちの罪、咎は赦されます。
この祈りをおささげしましょう。
ルカ 7:47 ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。
多くの罪を赦してくださるキリストに、今日も心を向けていきましょう。
イザ 55:7 悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。【主】に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
私たちをあわれみ、赦してくださる愛の神のもとに、立ち帰りましょう。