◆ルカ 5:11 「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」
◆イエスは、シモン(ペテロ)、ヤコブ、ヨハネらに召命の御声をおかけになりました。
その時、彼らはすべてを捨ててイエスに従いました。
舟は、彼らの生活手段です。
弟子たちは、すべてを献げて、その人生をイエスにかけました。
イエスのうちに、それだけの価値を見出したからです。
◆ルカ 5:11 「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」
◆イエスは、シモン(ペテロ)、ヤコブ、ヨハネらに召命の御声をおかけになりました。
その時、彼らはすべてを捨ててイエスに従いました。
舟は、彼らの生活手段です。
弟子たちは、すべてを献げて、その人生をイエスにかけました。
イエスのうちに、それだけの価値を見出したからです。
◆Ⅰ列王 9:4 もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら・・・」
◆神はダビデに、全き心と正直さをもって従うなら、永遠に王国は堅く立つと約束されました。
私たちも全き心と正直さで精一杯神に従うなら、私たちの人生も、信仰生活も、揺らぐことなく堅くたつことができます。
今週のテーマは、「従う」です。
◆Ⅰサム 15:22 サムエルは言った。「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」
◆神が喜ばれるのは、どんな立派なささげ物よりも、主の御声に聞き従うことです。
今日も神の御声に、耳を傾けましょう。
「良くなりたいか」ヨハネ5:6
今日は、ベテスダの池の物語を学びました。
38年間も病気で苦しんでいる病人に、イエスは「良くなりたいか」と言われました。
この「良くなりたいか」ということばが心に迫ってきました。
イエスは私たちを、「良くしたい」「清めたい」「変えたい」と強く願って
「あなたも良くなりたいと願ってほしい。良くなりたいか」と
御声をかけてくださるのです。
イエスに、「良くなりたいです。変えられたいです」と心から祈り求めましょう。
イエスは言われる。「起きて床を取り上げ、歩きなさい」5:8。
◆ヨハ 20:31 「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
◆「救いの方程式」とも言われるみことばです。
永遠のいのち、天国のいのちを得るための方法が、はっきりと記されています。
イエスを神、救い主と信じて、御名によっていのちを得ることができます。
今日もイエスを主と信じて、御名を唱えていきましょう。
◆詩 124:8 「私たちの助けは天地を造られた【主】の御名にある。」
◆私たちを試練から助けるのは、天地を創造された主のみ名です。
「わたしは【主】」(イザヤ42:8)と宣言される、主の御名を日々唱え崇めていきましょう。
◆ゼパ 3:12 「彼らは【主】の名に身を避ける。」
◆口語訳聖書では、「主の名を避け所とする」と訳されています。
主のみ名こそ、私たちの避け所、助けです。
試練にあう時、主のみ名によってそれを避けることができますように。
乗り越えることができますように。
◆出 20:24【新共同訳】「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
◆主の御名を唱えるところでは、家でも家庭でも職場でも学校でも、調子のいいときも落ち込んでいる時も、どんなときにもどんな場所にも、主は祝福を注ぐと約束してくださっています。
思い出したなら、いつどこでも主の御名を唱えていきましょう。
◆ロマ 10:13 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
◆救いの方法がはっきりと記されています。
主の御名を呼び求めるだけで良いと教えらえています。
主の御名を心から崇めて唱えてきましょう。
今週のテーマは、「御名による救い」です。
◆Ⅱコリ 1:22 「神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。」
◆印には、名前が記されています。
神は、御名によって私たちの心に証印を押し、天国の保証として聖霊を与えてくださいます。
自分の心に御名の証印が与えられるように、心から求めていきましょう。
◆詩 26:2 【主】よ私を調べ試みてください。私の心の深みまで精錬してください。
◆「精錬」とは、「不純物の多い金属から純度の高い金属を取り出すこと」です。
私たちの心から、不純物をすべて取り除いていただいて、純金の心に清めていただきましょう。
◆ロマ 12:1 「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」
◆真の礼拝とは何かが示されています。
それは、私たちのからだを、私たちの思い、計画、心を、主におささげることです。
どんなに小さな礼拝、ささげものでも、神は喜んでそれを受け取ってくださいます。
◆ヨハ 17:17 「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。」
◆私たちは神のみことばによって、聖別されることができます。
神のみことばは、誤りがなく、真理であり、力があるからです。
◆Ⅱテモ 2:21 「ですから、だれでもこれらのことから離れて自分自身をきよめるなら、その人は尊いことに用いられる器となります。すなわち、聖なるものとされ、主人にとって役に立つもの、あらゆる良い働きに備えられたものとなるのです。」
◆心から不要なものを取り除いて清められた器となるなら、神様に用いられる者となることができます。
神様のお役に立ち、良い働きをすることができるようになるのです。
◆ヘブル 12:14 「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。」
◆キリストは、私たちに聖さを求めるように命じておられます。
心がきよい人は、神を見ることができるからです(マタイ5:8)。
◆マタ 23:26 「目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。」
◆イエスは、まず何よりも内側、つまり心の中をきよめるようにと言われました。
そのとき、外側にも主のきよさが輝くようになります。
今週のテーマは、「清い生活」
◆伝 12:1 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」
◆若い時に、この天地をお造りになった創造者を知り、創造者を覚えて共に歩む幸いについて語られています。
できるだけ早く、このお方の素晴らしさを多くの方が知ることができますようにと願います。
◆ヨハ 1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
◆私たちは、キリストの内に満ち満ちている恵みを、豊かに何度も何度も注がれました。
今日も信仰の目をイエスに向けて、あふれる恵みに満たされましょう。
(今日は震災の日ですね。神の慰めが、無くなられた方、そのご遺族の上に、今も苦しみの中にある人の上にありますように。)
◆テトス 3:6 「神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」
◆神は弟子たちに、聖霊を豊かに注がれました。
主は私たちにも、聖霊を豊かに注ぎたいと願っていてくださいます。
◆コロ2:9-10「 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。」
◆キリストのうちに、神の聖、義、愛、いのち、神性の全充満が宿っています。
私たちは、キリストのうちを歩むことによって、キリストをうちに迎えることによって、それに豊かにみたされることができます。
◆エペ 5:18 「むしろ、御霊に満たされなさい。」
◆聖霊に満たされる時、ペンテコステ後の弟子たちのように、全く別人のように変えられることができます。
聖霊の満たしを祈り求めていきましょう。
今週のテーマは、「神の充満」です。
◆エペ 3:19 「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」
◆キリストの愛は、人間の考え、常識をはるかに超えた愛です。
この神の満ちあふれる愛と恵みに、豊かに満たされることができますように。
マリア会員(婦人会)が語ってくださった体験談から、「祈り」について学びました。
Fさんが、いわきの教会の友人と出会ったとき、5月ごろ「聖書を読み終えた」と言われ、チャレンジを受けられました。
「自分は遅れているが、まだ7か月ある!」。
それから毎年聖書を通読し、みことばに力を与えられておられます。
「心がとても沈み、心の目を上げることもできない時、みことばを何度も何度も繰り返すと、みことばに励まされ、力づけられます。時には聖書を抱き締めて、おんおん泣きじゃくることもあります。」
「神のことばは生きていて、力がある」ヘブル4:12
みことばを繰り返し唱えて祈り、力を与えられることができますように。
◆ガラ 5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
◆キリストに結び合わされた者は、自分の弱い情欲、欲望を十字架に釘付けにしました。
ですから、それらから解放されて、自由な者と変えられたのです。
◆エペ 2:16 「二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」
◆キリストは十字架の死によって、神と人間との間にあった罪という断絶に橋を架け、和解を与え、救いを与えてくださいました。
十字架、ここに愛があります。
◆コロ2:13,14 「私たちのすべての背きを赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」
◆人間には罪という借金があって、サタンが私たちに滅びの判決が下されるように責めたててきます。
しかし、キリストは十字架の上で、全ての背きと罪を赦し取り除いてくださいました。
ここに神の大きな愛があります。
◆コロ 1:20 「その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。」
◆キリストが私たちの罪のために、十字架の上で死んでくださったことにより、私たちに平和がもたらされ、すべてのものに和解がもたらされました。
特に、罪によって隔てができていた神との和解が実現したのです。