聖イエス会の創立者、大槻筆子先生はこう言われました。
「信仰生涯は海上歩行です。
イエス様をしっかり見つめている時だけ、海上を歩くことができるのです。
ちょっとでもイエス様から目を離したら、必ずあなたはおぼれて沈んでしまいますよ。」
私たちはいつもイエス様に心の目を向けて、イエス様と共に歩みましょう。
主は救いのみ手で、私たちをいつも助けてくださいます。
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」ヘブル
12:2
神は愛なり
聖イエス会の創立者、大槻筆子先生はこう言われました。
「信仰生涯は海上歩行です。
イエス様をしっかり見つめている時だけ、海上を歩くことができるのです。
ちょっとでもイエス様から目を離したら、必ずあなたはおぼれて沈んでしまいますよ。」
私たちはいつもイエス様に心の目を向けて、イエス様と共に歩みましょう。
主は救いのみ手で、私たちをいつも助けてくださいます。
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」ヘブル
12:2
神は愛なり
日曜は、ペンテコステ礼拝でした。
120人の弟子たちに聖霊が注がれた日ですが、その時、弟子たちに何が起こったのでしょうか。
ペトロは、説教の中で、ヨエルの預言が実現したと言っています。
「神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。」(使徒2:17-)
闇の時、終わりの時ほど、神の働き、聖霊の注ぎが与えられると言っています。
「息子と娘(子供たち)は預言し(神の言葉を与えられ)、若者は幻(希望のビジョン)を見、(これからに不安を抱える)老人は(救いの)夢を見る。
「わたしの僕やはしためにも(無きに等しい者)、そのときには、わたしの霊を注ぐ。」
その秘訣、聖霊の注ぎが与えられる秘訣は何か。
「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」
主の御名を呼んで、ペンテコステの祝福を、聖霊を、受け取りましょう。
神は愛なり!
ペンテコステが近づいてきました。
私たちは、命の水に渇きたいのです。
イエスは十字架の上で、「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)と言われました。
血が一滴一滴落ちるに従い、焼けるような渇きが起こりました。
しかし、それは単なる肉体的渇きだけでなく、霊的渇きでした。
私たちの愛を求められる、愛の渇きでした。
私たちが願う以上に、イエスが愛を注ぎたい、命の水を注ぎたいと
願っておられます。
ペンテコステ礼拝に向かって、この1週間心から聖霊の注ぎを祈り求めていきましょう。
聖霊来てください。
神は愛なり!
トマスと復活されたイエスの出会いを学びました。
トマスは、「ディディモ」と呼ばれていました。
「ディディモ」とは、「双子」という意味ですが、ある牧師は、
「トマスが、二重人格のように二面性を持っていたトマスのあだ名であったのでは」
と記しておられます。
聖書は、はっきり記していませんが、トマスはラザロの復活の場面で、
「わたしたちも主と一緒に死のうではないか」と、命を懸けてイエスを信じ、
愛していたことを見ます。
しかし、イースターの日、「この手をそのわき腹(十字架の傷)に入れてみなければ、
わたしは決して信じない。」(ヨハネ20:25)と、不敬虔な言葉を語りました。
私たちも、イエスを信じたいとお願いながら、すぐに迷い不信仰になってしまう
自分の姿を見せられます。
イエスは、この疑い深いトマスの前に、トマス一人のためにもう一度現れてくださいました。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」20:27
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言いました。
私たちも、復活し今も生きておられるイエスを、心から信じ礼拝する者となりましょう。
「わたしの主、わたしの神よ」
神は愛なり!