今週のテーマは、「新たにされる」です。
◆Ⅰサム 10:6 「【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」
◆聖霊が豊かに注がれる時、神の言葉を与えられ、新しい人に変えられると約束されています。
主の霊の注ぎを心から求めましょう。
今週のテーマは、「新たにされる」です。
◆Ⅰサム 10:6 「【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」
◆聖霊が豊かに注がれる時、神の言葉を与えられ、新しい人に変えられると約束されています。
主の霊の注ぎを心から求めましょう。
◆Ⅱペテ 1:2 「神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」
◆私たちの日常生活には、様々な不安や困難が襲って来ます。
それらを乗り越え、恵みと平安を得る力は、主を知ることです。
今日のオープンチャペルにおいて、主を知ることを求めましょう。
◆コロ 2:2 私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。
◆パウロは、キリストを知ることができるように苦闘していると語っています。
そのために神は、愛によって私たちと結びつき、心を励ましてくださり、理解力を与えて確信を与えてくださるのです。
◆ピリ 3:8 「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」
◆キリストの徳、本質、神性の富を知ることに比べれば、他の一切のものは私にとって損、ちり、あくたのようだと語っています。
もっと深く親しくキリストを知ることができますように。
◆エゼ 20:44 「わたしが、あなたがたの悪しき生き方や、腐敗した行いによってでなく、ただわたしの名のためにあなたがたに報いるとき、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしが【主】であることを知る──【神】である主のことば。』」
◆罪の報いではなく、主の御名のために、神はご自身の栄光を私たちに知らせてくださると語られています。
罪を悔い改め、主の御名を心から崇めましょう。
◆ホセ 6:3 「私たちは知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。」
◆1節にあるように、私たちは今こそ主に立ち返って切に主を追い求めましょう。
その時、主が光のうちに確かに現れ、恵みの大雨のように私たちに臨んでくださいます。
◆申 4:35 「あなたにこのことが示されたのは、【主】だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。」
◆民は、出エジプトにおいて、神の数々の素晴らしい御業を見ました。
それは、【主】だけがまことの神であり、他の神は人間が造った神にすぎないことを知るためでした。
今週のテーマは、「主を知る」です。
◆エレ 24:7 「わたしは、わたしが【主】であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。」
◆「わたしが主である」ことを、信じ体験的に知る心を、神が私たちに与えてくださると約束されています。
神に立ち返って、私たちの心の目を主に向けましょう。
◆Ⅱ列王 2:14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、【主】はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。
◆エリシャは師であるエリヤの外套を握りしめて、ヨルダン川を打つと水が両側に分かれる御業が起こりました。
外套はエリヤが持っていた神の力、神の使命の象徴です。
私たちもエリヤが持っていた神の力に満たされて、目の前にたちふさがる障害を乗り越えていきましょう。
◆Ⅰ列王 18:38 「すると、【主】の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。」
◆エリヤが祈ると、天からの神の火が降り、いけにえやすべてのものを焼き尽くしました。
神の愛の火、聖霊の火が私たちに注がれますように。
そして、私たちの心にある不純物、罪や苦しみ、自我や悩み、不信仰をすべて焼き尽くされますように。
◆Ⅰ列王 18:30 エリヤが民全体に「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄って来た。彼は、壊れていた【主】の祭壇を築き直した。
◆エリヤはバアルの預言者との対決を前に、まず祭壇を修復しました。
私たちも困難や問題に立ち向かう時、祈りの祭壇を築き直すことが
大事だということを教えられます。
まず祈りから始めましょう。
◆Ⅰ列王 18:24 「おまえたちは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぶ。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
◆カルメル山上で、バアルの預言者と対決した時、エリヤは主の御名を呼んで火を呼び下しました。
その時、主こそ真の神であることがすべての民の前に明らかになりました。
神の愛の火が私たちの心にも注がれますように。
◆Ⅰ列王 17:22 「【主】はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。」
◆エリヤが世話になっていたやもめの息子が死んでしまいました。
しかし、神はエリヤの祈りに応え、その子を生き返らせてくださいました。
霊的に死んでいるような愛する人々、愛する子どもたちをも、主が生き返らせてくださることを信じます。
◆Ⅰ列王 17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
◆しばらくして、ついに川も枯れてしまいました。
しかし、神様は、やもめの家のかめの粉と壺の油が尽きない奇跡をもって、エリヤとやもめを養われました。
エリヤは身をもって、神の力を体験したのです。
今週のテーマは、「預言者エリヤ」です。
◆Ⅰ列王 17:4 「あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
◆数年雨が降らず、干ばつが起こった時、神は鳥に食べ物を運ばせてエリヤを養われました。
神は私たちがピンチに陥る時、考えられない方法をもって救うことがおできになるのです。
◆詩 86:4 「このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。」
◆「仰ぐ」とは、①上を見る、②尊敬する という意味があります。
現実でも小さな自分でも他人でもなく、神を見上げて求めましょう。
神を尊敬して崇め求めて生きましょう。
◆詩 63:1 神よあなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない衰え果てた乾いた地で私のたましいはあなたに渇き私の身もあなたをあえぎ求めます。
◆ダビデは、まるで砂漠において渇くように、神に渇くと語っています。
しかも、彼は心が渇くではなく、「私のたましい」が渇くと言っています。
もっと深い所から、あえぐように、ダビデは神と求めたのです。
◆詩 27:8 「あなたに代わって私の心は言います。「わたしの顔を慕い求めよ」と。【主】よあなたの御顔を私は慕い求めます。」
◆「神の御顔」とは、神の現存のことです。
ダビデは、敵、試練が襲い掛かって来た時、神の御顔を尋ね求めました。
「御顔こそ、わたしの救い」です(42:6 新共同訳)。
◆詩42:1,2 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは神を、生ける神を求めて渇いています。」
◆この詩の作者の神を渇き求める切実な願いが伝わってきます。
野生の鹿が谷川の水を求めるように、彼は神を慕いあえぎ求めています。
しかも、彼は今も生きておられる生ける神に渇いているのです。
◆詩 20:1 「苦難の日に【主】があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の御名があなたを高く上げますように。」
◆苦難の時こそ、私たちは落ち込むのではなく、何か他のものに頼るのでもなく、主に依り頼みましょう。
神の御名があなたを強め、守り、勝利を与えてくださるからです。
今日は3月11日、大震災で召されられた方々の方に、いまだに悲しみと寂しさを感じている方のために、心からお祈りいたします。
◆詩 13:1 「【主】よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」
◆主の御顔、主の現存を切実に求める渇きのみことばです。
多くの場合、神がその御顔を隠すよりも、私たちが神との間に様々な障害を置いてしまう場合が多いかもしれません。
すべての生涯を手放し、この詩の作者ダビデのように、切実な思いで、神を渇き求めましょう。
今週のテーマは、「主を求める」です。
◆詩 5:3 「【主】よ朝明けに私の声を聞いてください。朝明けに私はあなたの御前に備えをし仰ぎ望みます。」
◆この詩の作者ダビデは、朝明けに主を求め、仰ぎ望みました。
まず飽きたら、朝の時間に、主を求める祈りの時間を大切にしましょう。
それこそは、祝福を受ける秘訣です。
<9日(日)はお休みです。>
◆ヨハ 2:5 母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
◆カナの結婚式で語られたみことばです。
マリアの言葉通り、給仕の者たちがイエスのみことばに従った時、水はぶどう酒に変えられました。
神のために何でもするしもべとなりましょう。
◆エペ 6:7 「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」
◆神に仕えるように、すべての人に喜んで仕える人になりましょう。
イエスは神であられたのに、人間に仕える生涯を送ってくださったからです。
師にならう者となりましょう。
◆ロマ6:17,18 「神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となりました。」
◆私たちはかつて、神から離れ、怒り嘘をつき人を妬み、自分が願わない罪を犯してしまう罪の奴隷でした。
しかし、神の愛の教えは、私たちを義の奴隷としたのです。
「義」とは、単に一般的な正しさという意味ではなく、神の前に認められる正しさのことです。
◆イザ 53:11 「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。」
◆キリストは、十字架で激しい苦しみを受けて満足し、喜ばれます。
それは、私たちの咎を償い、義とする贖いのわざを成し遂げることができたからです。
◆詩 13:1 「【主】よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」
◆ダビデの賛歌です。
1,2節に、「いつまでですか」と4回記されています。
ダビデは、切実に神に求めました。
すぐに答えがありませんでしたが、それでもダビデは祈り続けたのです。
今週のテーマは、「しもべのかたち」です。
◆Ⅱコリ 6:3 「私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、むしろ、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しています。」
◆この個所は、大使徒パウロが語ったみことばです。
パウロは使徒職を力あるものとするために、「神のしもべ」として他人に自分を推薦できるほどに謙虚なしもべの生活を送っていました。
それこそ、パウロの宣教の力でした。
◆Ⅰコリ 13:2 「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。」
◆すごい才能や知識を持ち、素晴らしい信仰を持っていたとしても、愛がなければ無に等しいと語られています。
どんなにすごいことを成し遂げても、それが自分のためであるなら、無に等しい。
反対にどんな小さいことでも、神への愛をもって行うなら、神をそれを喜んで受けてくださるのです。