◆ヨハ 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
◆すぐにイエスの復活を信じることができず、不敬虔なことを口にしたトマスでしたが、イエスはこのトマスのために、もう一度来て彼に御声をかけてくださいました。
私たちも「私の主、私の神よ」と真の信仰告白をおささげし、見ないで信じる者となりましょう。
◆ヨハ 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
◆すぐにイエスの復活を信じることができず、不敬虔なことを口にしたトマスでしたが、イエスはこのトマスのために、もう一度来て彼に御声をかけてくださいました。
私たちも「私の主、私の神よ」と真の信仰告白をおささげし、見ないで信じる者となりましょう。
◆ヨハ 20:22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
◆復活されたイエスは、恐れのために部屋に閉じこもっていた弟子たちの前に現れ、聖霊の息吹を吹きかけられました。
イエスは、どんな障害があっても私たちに近づき、「聖霊を受けなさい」と御声をかけてくださいます。
◆ルカ 24:31 「すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
◆信仰を失いエマオ村に向かっていた弟子たちと共に、イエスが歩き始めてくださいました。
先を行こうとしておられるイエスを、彼らが「一緒にお泊り下さい」と言って引き留めた時、イエスは彼らと共に食事をし、彼らの心の目を開いてくださいました。
私たちの心の目も開かれることができますように。
今週のテーマは、「キリストの復活」です。
◆ルカ 24:6 「ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。」
◆婦人たちが、イエスの墓でみ使いから告げられた言葉です。
イエスの墓は、今も空です。
イエスが死を打ち破って復活されたからです。
(イースターオープンチャペル)
◆ルカ 23:45 「太陽は光を失っていた。すると神殿の幕が真ん中から裂けた。」
◆イエスが十字架にかけられている時、神殿の中の至聖所の幕が真ん中から2つに裂けました。
それは年に1度だけしか罪の贖いのために至聖所に入れなかったのが、十字架の贖いによっていつでも罪の赦しと愛の救いを得ることができることを表しています。
今日は、イエスが十字架にかかられた聖金曜日です。
◆ルカ 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
◆イエスは自分を十字架に付けた人々に、「彼らをお赦し下さい」と言われました。
それはまた、全世界のすべての人々、私たち一人ひとりにお語りになっておられます。
ここに主の大きな愛と赦しを見ます。
今日は、聖木曜日。
イエスが弟子たちと最後の晩餐をとり、ゲツセマネで祈られた日です。
◆マタ 26:39 それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」
◆イエスは人類の罪の杯を飲み干し、父なる神のみこころに一致してくださいました。
私たちも自分の願いではなく、神のお望みのままに歩む者となれますように。
◆ルカ 22:19 それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
◆十字架にかかる前夜、最後の晩餐でイエスが語られたことばです。
イエスは弟子たちにパンを与えられましたが、このパンはキリストご自身を表しています。
これは聖餐式のことで、キリストを心に迎えることを意味しています。
◆マタ 21:13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
◆イエスが宮清めをされたときに語られたことばです。
悪徳商人たちが両替やいけにえで法外な利益を得ることによって、神殿を「強盗の巣」にしていました。
私たちは、私たちの心の神殿から神に喜ばれないすべてのものを追い出すことができますように。
今週のテーマは、「十字架」です。
◆ヨハ12:12,13 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
◆礼拝で学んだみことばです。
この群衆たちのように、王であり主であるイエスを、喜びをもって賛美しましょう。
ホサナ、どうかお救い下さい と祈りつつ、信仰をもって心にイエスをお迎えしましょう。
◆ピリ 1:27 「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」
◆パウロは、自分が福音にふさわしい生活をしてこう語りました。
実生活において、福音を証しする生活を送る事、これが非常に難しいことだと感じます。
しかし、できるかぎり誠実に歩む者となれますように。
◆Ⅱコリ 4:10 「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。」
◆私たちの自我が十字架に付けられて死ぬとき、キリストの命に生きる者となることができます。
その時、私たちの存在を通して、キリストの命が現れるようになるのです。
受難週、イースターが近づいてきました。
キリストの十字架と復活にあずかることができますように。
◆ガラ 5:16 「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」
◆自分の考え、能力に頼り、自我で歩むとき、私たちは失敗してしまうかもしれません。
神は、聖霊に依り頼み、聖霊に助けられながら歩むようにと命じておられます
◆ガラ2:19,20 「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
◆私たちの古き人がキリストとともに十字架に付けられて死ぬとき、キリストが私たちの内から生き働いてくださいます。
いつもキリストのいのちの内を歩むことができますように。
◆ピリ 1:20 「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」
◆パウロの願いは、様々な成功を収めるよりも、自分の存在を通してキリストがあがめられることでした。
これこそ、パウロの宣教の秘訣だったのです。
私たちのことば、行為、存在を通して、少しでもキリストの愛の香りが放たれますように。
今日はチャペルティータイムです。
◆マタ 11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
◆神であったイエスが、この地上でへりくだった生活を送られました。
どんなくびきや試練があっても、柔和でへりくだった信仰生活を送りましょう。
今週のテーマは、「霊的生活」です。
◆ヨハ 15:5 「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」
◆実を結ぶ霊的生活とは、いつもキリストを思い、キリストから離れないことです。
その時、多くの実を結ぶことができます。
キリストにいつもつながっていましょう。
◆Ⅰペテ 1:23 「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」
◆私たちが新しくされたのは、永遠に朽ちず変わることのない生きたかみのことばによってでした。
今日も神のみことばを繰り返し唱え、味わい、愛読しましょう。
◆エゼ 36:26 「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
◆神は私たちを聖霊によって、石のように固い心を変えて、肉のようにやあわらかく血の通った心に変えてくださいます。
この新しい心となることができるように祈りましょう。
◆エレ 31:31 「見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。」
◆主はイスラエルと新しい契約を結ぶと約束されました。
主は私たちとも十字架の上で成し遂げてくださった新しい救いの契約を結んでくださいます。
愛と救いの新契約にあずかる者となりましょう。
◆イザ 41:15 「見よ。わたしはあなたを鋭く新しい両刃の打穀機とする。あなたは山々を踏みつけて粉々に砕き、丘を籾殻のようにする。」
◆打穀機とは、乾燥した米麦などの穂を叩き、実を取り出す道具のことです。
神様は私たちを、聖と悪を分ける打穀機、サタンの攻撃や問題を打ち砕く者としてくださいます。
イースターオープンチャペル
~イースター賛美歌物語~ 「めぐみといやしのことば」
新しい生活になって不安や疲れを感じたり、寒暖差に
体調不良を感じて憂鬱な日々を送っている方もあるかも
しれません。
キリストの生涯を歌った6曲の賛美歌を聖歌隊が歌い、
皆さんと数曲ご一緒に歌いたいと思っています。
また、聖書の恵みといやしのことばを紹介いたします。
どうぞ普段着で、お気軽にお越し下さい。
◆イザ 40:31 「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」
◆主が新しい力を与えて下さり、走っても弱ることなく、歩き続けても疲れないように強めてくださると約束されています。
主を心から待ち望みましょう。
ただ主にのみ真の希望があります。
◆詩 103:5 「あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。」
◆神様が私たちの心も肉体も、鷲のように力付け、新しくしてくださいますように。
あなたがの生涯が、祝福に満ちたものとなりますようにお祈りいたします。
今週のテーマは、「新たにされる」です。
◆Ⅰサム 10:6 「【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」
◆聖霊が豊かに注がれる時、神の言葉を与えられ、新しい人に変えられると約束されています。
主の霊の注ぎを心から求めましょう。
◆Ⅱペテ 1:2 「神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」
◆私たちの日常生活には、様々な不安や困難が襲って来ます。
それらを乗り越え、恵みと平安を得る力は、主を知ることです。
今日のオープンチャペルにおいて、主を知ることを求めましょう。
◆コロ 2:2 私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。
◆パウロは、キリストを知ることができるように苦闘していると語っています。
そのために神は、愛によって私たちと結びつき、心を励ましてくださり、理解力を与えて確信を与えてくださるのです。
◆ピリ 3:8 「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」
◆キリストの徳、本質、神性の富を知ることに比べれば、他の一切のものは私にとって損、ちり、あくたのようだと語っています。
もっと深く親しくキリストを知ることができますように。
◆エゼ 20:44 「わたしが、あなたがたの悪しき生き方や、腐敗した行いによってでなく、ただわたしの名のためにあなたがたに報いるとき、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしが【主】であることを知る──【神】である主のことば。』」
◆罪の報いではなく、主の御名のために、神はご自身の栄光を私たちに知らせてくださると語られています。
罪を悔い改め、主の御名を心から崇めましょう。
◆ホセ 6:3 「私たちは知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。」
◆1節にあるように、私たちは今こそ主に立ち返って切に主を追い求めましょう。
その時、主が光のうちに確かに現れ、恵みの大雨のように私たちに臨んでくださいます。
◆申 4:35 「あなたにこのことが示されたのは、【主】だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。」
◆民は、出エジプトにおいて、神の数々の素晴らしい御業を見ました。
それは、【主】だけがまことの神であり、他の神は人間が造った神にすぎないことを知るためでした。
今週のテーマは、「主を知る」です。
◆エレ 24:7 「わたしは、わたしが【主】であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。」
◆「わたしが主である」ことを、信じ体験的に知る心を、神が私たちに与えてくださると約束されています。
神に立ち返って、私たちの心の目を主に向けましょう。
◆Ⅱ列王 2:14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、【主】はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。
◆エリシャは師であるエリヤの外套を握りしめて、ヨルダン川を打つと水が両側に分かれる御業が起こりました。
外套はエリヤが持っていた神の力、神の使命の象徴です。
私たちもエリヤが持っていた神の力に満たされて、目の前にたちふさがる障害を乗り越えていきましょう。
◆Ⅰ列王 18:38 「すると、【主】の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。」
◆エリヤが祈ると、天からの神の火が降り、いけにえやすべてのものを焼き尽くしました。
神の愛の火、聖霊の火が私たちに注がれますように。
そして、私たちの心にある不純物、罪や苦しみ、自我や悩み、不信仰をすべて焼き尽くされますように。
◆Ⅰ列王 18:30 エリヤが民全体に「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄って来た。彼は、壊れていた【主】の祭壇を築き直した。
◆エリヤはバアルの預言者との対決を前に、まず祭壇を修復しました。
私たちも困難や問題に立ち向かう時、祈りの祭壇を築き直すことが
大事だということを教えられます。
まず祈りから始めましょう。
◆Ⅰ列王 18:24 「おまえたちは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぶ。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
◆カルメル山上で、バアルの預言者と対決した時、エリヤは主の御名を呼んで火を呼び下しました。
その時、主こそ真の神であることがすべての民の前に明らかになりました。
神の愛の火が私たちの心にも注がれますように。
◆Ⅰ列王 17:22 「【主】はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。」
◆エリヤが世話になっていたやもめの息子が死んでしまいました。
しかし、神はエリヤの祈りに応え、その子を生き返らせてくださいました。
霊的に死んでいるような愛する人々、愛する子どもたちをも、主が生き返らせてくださることを信じます。
◆Ⅰ列王 17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
◆しばらくして、ついに川も枯れてしまいました。
しかし、神様は、やもめの家のかめの粉と壺の油が尽きない奇跡をもって、エリヤとやもめを養われました。
エリヤは身をもって、神の力を体験したのです。
今週のテーマは、「預言者エリヤ」です。
◆Ⅰ列王 17:4 「あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
◆数年雨が降らず、干ばつが起こった時、神は鳥に食べ物を運ばせてエリヤを養われました。
神は私たちがピンチに陥る時、考えられない方法をもって救うことがおできになるのです。
◆詩 86:4 「このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。」
◆「仰ぐ」とは、①上を見る、②尊敬する という意味があります。
現実でも小さな自分でも他人でもなく、神を見上げて求めましょう。
神を尊敬して崇め求めて生きましょう。
◆詩 63:1 神よあなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない衰え果てた乾いた地で私のたましいはあなたに渇き私の身もあなたをあえぎ求めます。
◆ダビデは、まるで砂漠において渇くように、神に渇くと語っています。
しかも、彼は心が渇くではなく、「私のたましい」が渇くと言っています。
もっと深い所から、あえぐように、ダビデは神と求めたのです。
◆詩 27:8 「あなたに代わって私の心は言います。「わたしの顔を慕い求めよ」と。【主】よあなたの御顔を私は慕い求めます。」
◆「神の御顔」とは、神の現存のことです。
ダビデは、敵、試練が襲い掛かって来た時、神の御顔を尋ね求めました。
「御顔こそ、わたしの救い」です(42:6 新共同訳)。
◆詩42:1,2 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは神を、生ける神を求めて渇いています。」
◆この詩の作者の神を渇き求める切実な願いが伝わってきます。
野生の鹿が谷川の水を求めるように、彼は神を慕いあえぎ求めています。
しかも、彼は今も生きておられる生ける神に渇いているのです。
◆詩 20:1 「苦難の日に【主】があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の御名があなたを高く上げますように。」
◆苦難の時こそ、私たちは落ち込むのではなく、何か他のものに頼るのでもなく、主に依り頼みましょう。
神の御名があなたを強め、守り、勝利を与えてくださるからです。
今日は3月11日、大震災で召されられた方々の方に、いまだに悲しみと寂しさを感じている方のために、心からお祈りいたします。
◆詩 13:1 「【主】よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」
◆主の御顔、主の現存を切実に求める渇きのみことばです。
多くの場合、神がその御顔を隠すよりも、私たちが神との間に様々な障害を置いてしまう場合が多いかもしれません。
すべての生涯を手放し、この詩の作者ダビデのように、切実な思いで、神を渇き求めましょう。
今週のテーマは、「主を求める」です。
◆詩 5:3 「【主】よ朝明けに私の声を聞いてください。朝明けに私はあなたの御前に備えをし仰ぎ望みます。」
◆この詩の作者ダビデは、朝明けに主を求め、仰ぎ望みました。
まず飽きたら、朝の時間に、主を求める祈りの時間を大切にしましょう。
それこそは、祝福を受ける秘訣です。
<9日(日)はお休みです。>
◆ヨハ 2:5 母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
◆カナの結婚式で語られたみことばです。
マリアの言葉通り、給仕の者たちがイエスのみことばに従った時、水はぶどう酒に変えられました。
神のために何でもするしもべとなりましょう。
◆エペ 6:7 「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」
◆神に仕えるように、すべての人に喜んで仕える人になりましょう。
イエスは神であられたのに、人間に仕える生涯を送ってくださったからです。
師にならう者となりましょう。
◆ロマ6:17,18 「神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となりました。」
◆私たちはかつて、神から離れ、怒り嘘をつき人を妬み、自分が願わない罪を犯してしまう罪の奴隷でした。
しかし、神の愛の教えは、私たちを義の奴隷としたのです。
「義」とは、単に一般的な正しさという意味ではなく、神の前に認められる正しさのことです。
◆イザ 53:11 「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。」
◆キリストは、十字架で激しい苦しみを受けて満足し、喜ばれます。
それは、私たちの咎を償い、義とする贖いのわざを成し遂げることができたからです。
◆詩 13:1 「【主】よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」
◆ダビデの賛歌です。
1,2節に、「いつまでですか」と4回記されています。
ダビデは、切実に神に求めました。
すぐに答えがありませんでしたが、それでもダビデは祈り続けたのです。
今週のテーマは、「しもべのかたち」です。
◆Ⅱコリ 6:3 「私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、むしろ、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しています。」
◆この個所は、大使徒パウロが語ったみことばです。
パウロは使徒職を力あるものとするために、「神のしもべ」として他人に自分を推薦できるほどに謙虚なしもべの生活を送っていました。
それこそ、パウロの宣教の力でした。
◆Ⅰコリ 13:2 「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。」
◆すごい才能や知識を持ち、素晴らしい信仰を持っていたとしても、愛がなければ無に等しいと語られています。
どんなにすごいことを成し遂げても、それが自分のためであるなら、無に等しい。
反対にどんな小さいことでも、神への愛をもって行うなら、神をそれを喜んで受けてくださるのです。
◆エレ 31:3 【主】は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」
◆神は遠くにいると感じていても、あなたに愛を注いでくださいます。
永遠に変わることなく、いつも途絶えることなく愛を注ぎ続けてくださいます。
私たちが心の目をイエスに向けるなら、この愛に満たされることができます。
◆Ⅰヨハ 3:16 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」
◆キリストは十字架の上で、私たちのために命を捨てて大きな愛を注いでくださいました。
ですから周囲の人々のために、キリストに倣って、自己を犠牲とし、愛を与えていくように命じられています。
愛を与える人となれますように。
◆ロマ 8:37 「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」
◆34節に、苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣などが、私たちをキリストの愛から引き離そうとするかもしれません。
しかし、命をかけて注いでくださった神の愛から、私たちを引き離すことは絶対にできません。
すべてにおいて、勝利を取ることができます。
◆ロマ 5:8 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」
◆キリストが愛を示してくださったのは、私たちがまだ罪人だった時でした。
私たちが今どのような状態でも、たとえ罪人だったとしても、神は愛を注いでくださいます。
ここに神の大きない愛を見ます。
◆ロマ 5:5 「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
◆神の愛は、聖霊によって私たちの心にいつも変わることなく注がれています。
この愛は私たちを強め、失望を希望に変えてくださいます。
神の愛は何と素晴らしいことでしょう。
今週のテーマは、「神の愛」です。
◆ゼパ 3:17 「あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。
◆「安らぐ」ということばは、新共同訳では、「新たにする」と訳されています。
神は私たちに、愛によって安らぎを与えて、新たに造り変えてくださるのです。
◆黙 22:20 これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。」
◆聖書をすべくくる最後のみ言葉です。
やがてキリストが、この地上に再び来られる(再臨)ことが語られています。
その時キリストは、神の国と真の平和を実現してくださいます。
◆ロマ 1:4 「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。」
◆イエス・キリストは、死を打ち破って復活されました。
そのことにより、イエスこそ真の神の子であることを明らかに示されたのです。
イエスの復活こそ、私たちの天国への復活の希望です。
◆Ⅰヨハ 4:10 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
◆イエスは、私たちの罪の赦しのために十字架にかかって死んでくださいました。
それはどれほどの痛み、苦しみだったことでしょう。
ここに愛があります。
神はこんな愛をもって、私たちを愛してくださっています。
ああ、神は愛なり!
◆ヘブル 7:24 「イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。」
◆イエスは、永遠に存在される神であられるので、いつまでもどんな時にも変わることなく、
私たちのために執り成し祈ってくださいます。
この大祭司であるイエスに、いつも心の目を向けましょう。
◆コロ 2:17 「これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。」
◆食べ物や安息日などに関する規定は、やがて実現するものの影(ひな型)であって、
それらは新約において、キリストの上に実現しました。
キリストこそは、旧約の預言、戒めの実体(本体)です。
◆コロ 1:16 「なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。」
◆キリストが、天も地もすべてのものを、王座、主権、支配さえも造られたと記されています。
創造主であるキリストを心から礼拝しましょう。
今週のテーマは、「私たちの主イエス」です。
◆ヘブル 1:3 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
◆イエス・キリストは、ただ有名で偉大な聖人というだけではありません。
神の栄光の輝きそのもの(神であり)、天地万物を保持しておられる創造主です。
◆雅 8:6「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」
◆本当の愛は、自分のいのちさえ犠牲として与えつくす愛です。
キリストの十字架の愛こそ「市のように強い愛」です。
この十字架の愛に満たされ、燃やされることができますように。
◆雅 6:3 「私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。」
◆花嫁(クリスチャン)はキリストを愛し、キリストは花嫁を愛している。
互いに自己を譲渡し合っている様子が歌われています。
自己犠牲として与え合う真実の愛をここに見ることができます。
◆雅 5:2 私は眠っていましたが、心は目覚めていました。すると声がしました。私の愛する方が戸をたたいています。「わが妹、わが愛する者よ。私の鳩よ。汚れのないひとよ。戸を開けておくれ。私の頭は露にぬれ、髪の毛も夜のしずくでぬれているので。」
◆キリストは、私たちの心の戸を叩いておられます。
その愛の声を聞いて心の戸を開けるなら、キリストは喜んで私たちの心の中に宿ってくださいます。
◆雅 4:12 「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。」
◆私たちの心は、神のみに開かれ、それ以外のものが入らないように心を守る時、
愛の花が咲く庭、いのちの水が流れ出る泉となることができます。
この水源が濁らないように、心を守りましょう。
◆雅 3:4 私は彼らのところを通り過ぎると間もなく、私のたましいの恋い慕う方を見つけました。私はこの方をしっかり捕まえて放さず、ついには私の母の家に、私を身ごもった人の奥の間に、お連れしました。
◆キリストを魂を尽くして恋い慕い、心の最も奥深い所に留めましょう。
そして、今握っているすべてのものを手放して、キリストを信仰の手でしっかり捕まえましょう。
◆雅 2:10 私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。」
◆キリストが私たちに、「わが愛する者」と呼びかけ、また「美しい人」と呼びかけてくださいます。
キリストに愛されるにふさわしい者、その心が美しい者となれますように。
今週のテーマは、「愛の歌」です。
◆雅歌1:2,3 あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく、あなたの香油は香り芳しく、あなたの名は、注がれた香油のよう。そのため、おとめたちはあなたを愛しています。
◆雅歌では、キリストと私たちの関係を、花婿と花嫁にたとえて歌っています。
キリストの愛は、ぶどう酒よりも麗しく、芳しい香りの香油よりも素晴らしいと歌っています。
このキリストの愛に満たされることができますように。
◆ピリ2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
◆キリストは神であられたのに、人間となってくださいました。
しかも、馬小屋で奴隷よりも低い姿で生まれ、十字架の死に至るまで従われました。
このキリストの従順と謙遜に倣う者となりましょう。
◆ヘブル 5:8参照
「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学ばれた。」
◆キリストは神の子であられたのに、人間となり、私たちと同じように様々な苦しみ、試練、痛みを経験さいてくださいました。
私たちもキリストの従順に倣う者となりましょう。
◆ヨハ 3:30 「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
◆バプテスマのヨハネのことばです。
多くの弟子を抱え、人々から尊敬されていたヨハネでしたが、
自分は衰えていき、神の子イエスがこれから盛んになり、
崇められていくことを望みました。
イエスはバプテスマのヨハネについて言われました。「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」。
◆エス 4:16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
◆同胞の虐殺の勅令が出されたとき、エステルは民に断食して神に願うように言いました。
そして、自己犠牲とし、いのちをかけて王のもとに嘆願に行きました。
私たちも周囲の愛する人たちのために、自己犠牲として祈る者となりましょう。
◆Ⅰサム 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、【主】にお渡しします。」
◆サムエルの母ハンナの祈りです。
ハンナは神殿で、長い間激しく泣きながら神の前に祈りをささげました。
その時、その祈りは神に聞き届けられ、サムエルが生まれたのです。
私たちも神のみこころを動かす祈りをおささげしましょう。
◆出 32:32 「今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。」
◆モーセがシナイ山で十戒を受け取っているうちに、民は偶像を作って神から離れてしまいました。
その時、モーセは破れ口に立ち、自分が滅びることをいとわないで民のために執り成し祈りました。
モーセに倣い、愛する人々のために祈る者となりましょう。
今週のテーマは、「ケノーシス(無、謙遜)」です。
◆ルカ 2:51 「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」
◆神であるイエスが、両親に、人間に仕えられた。
ここにキリストの謙遜な姿を見ます。
私たちも、人に謙遜に従う人とならせていただきましょう。
◆ロマ 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
◆私たちは聖霊によって、天国を受け継ぐ神の子とされると記されています。
その時、父なる神様に対して「わたしの父よと」親しく呼びかけることができます。
◆使 19:2 彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。
◆エペソの人々は、聖霊について知りませんでしたが、パウロが手を置いて祈った時、彼らに聖霊が注がれました。
私たちの心に、大切なことを悟る力が与えられて、聖霊に満たされ、神とともに歩んで行くことができますように。
◆Ⅱコリ 3:6 「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」
◆「文字」とは、旧約の律法のことです。
律法・掟は、人間にしてはいけないことを教えますが、
聖霊は人の心を新たにし、生かすことができます。
◆エペ 1:13 「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。」
◆このみことばから、聖霊は、救いの福音、救いのことばを信じることによって与えられることが分かります。
そして、聖霊は証印のように、私たちの心に神のみ名を印します。
純粋な信仰が与えられるように祈りましょう。
◆使 16:7 「こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。」
◆パウロは、ビティニアに行こうとしましたが、聖霊が違う目的地へ行くように示されました。
パウロは自分の考えよりも、神の導きを優先したのです。
独りよがりの思いで行動する前に、まず聖霊の導きを求めましょう。
神のみ心に添って歩むとき、私たちの道は祝福されるでしょう。
◆ガラ 4:6 そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
◆このみことばの中に、三位一体の神が記されています。
父なる神は、私たちの心にみ子キリストの御霊を注いでくださいました。
ここに希望があります。
今週のテーマは、「聖霊」です。
聖霊とは、三位一体の一つでありしっかりみことばを通して知ることが大切です。
◆使2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
◆ペンテコステの日、120人の弟子たちに聖霊が注がれました。
その時、弟子たちは全く変えられたことが聖書に鮮やかに記されています。
弟子たちを新たにした聖霊を求めて祈りましょう。
◆ピリ 2:16 「いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
◆いのちのことばを握って歩むとき、私たちは人々の前に神の光を輝かせることができます。
そのために、たとえ多くの困難を通っても、それは無駄にはならず、天国でキリストより報いを受けることができるのです。
◆Ⅰヨハ 1:1 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」
◆ここで語られている「いのちのことば」とは、ヨハネの福音書1章1節と同様にキリストのことです。
キリストは永遠の初めからそんざいしておられた真の神様です。
ヨハネのように私たちも、このお方を心の目で見、いつも意識を集中し、信仰の手で触れて親しく知ることができますように。
◆ロマ 10:8 「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。
◆神のことばが、私たちの近くに、口に、そして心にあると語られています。
絶えずキリストを思い、みことばを唱えましょう。
そのとき、神のことばは、私たちの心に働いてくださいます。
◆使 5:20 「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」と言った。
◆今年の標語のみことばで、獄に捕えられ助けられた弟子たちにイエスが言われたみことばです。
困難な中にあっても、いのちのことばを語る者とならせていただきましょう。
◆ヨハ 6:68 すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」
◆多くの弟子たちが、イエスのもとを去った時にペテロが語ったことばです。
周りがどうであろうと、何が変わろうと、キリストのうちに永遠のいのちのことばがあります。
祈りを捧げながら、キリストの元に近づきましょう。