マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
昨日のみことばからさらに進んで、敵を愛し、その人のために祈りなさいとイエスは命じられました。
有名なみことばであり、最もイエスの愛がどんな愛かをあらわしているみことばだと思います。
イエスはこのみことばを、十字架の上で実践されました。
マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
昨日のみことばからさらに進んで、敵を愛し、その人のために祈りなさいとイエスは命じられました。
有名なみことばであり、最もイエスの愛がどんな愛かをあらわしているみことばだと思います。
イエスはこのみことばを、十字架の上で実践されました。
マタ 5:39 「しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」
衝撃を受けるイエスのみことばです。
もし右の頬を打たれるようなことがあっても、怒らず、黙って左の頬を向けなさいと語られています。
確かにイエスは、このみことばを実行されました。
これは、とても人間の力でできることではありません。
主の愛の力によって強められながら、これを実践する人となれますように。
マタ 5:25 「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。」
イエスは、憎み合うのではなく、できるだけ早く和解するように命じておられます。
どうしてもゆるせないような理不尽に出会うこともあります。
どうか神の愛によって心溶かされ、和解できる力が与えられますように。
(今月は、リモート全国大会の準備のため、「日々のみことば」以外の書き込みができておらず、失礼いたしました。)
今週のテーマは、「神の国の教え」です。
Ⅰコリ 6:11 「あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」
6:9には、「正しくない者は神の国を相続できません」と記されています。
11節では、以前はそうだったかもしれないが、神の御霊(聖霊)によって心が洗われ、神の国にふさわしい者とされたことが記されています。
今の私たちがどのようであっても、後の私がこの御言葉通りになりますように。
4月1日は、ベタニヤ教会の創立記念日だったので、今日は創立記念礼拝でした。
教会の今までの歩みを振り返りましたが、改めてこの場所にベタニヤ教会が建っていること、一人ひとりがこの恵みの救いに導かれたことが、ただ主の愛の憐れみと救いであったことを再確認しました。
神は約束してくださいました。
Ⅱコリ 12:9 「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
弱い時にこそ助けてくださる神の愛に拠りすがりながら、これからも忠実に歩んでいけますように。
Ⅱコリ 9:7 「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」
マルコ12:41以下に、イエスが金持ちの多額のささげ物よりも、貧しいやもめのレプタ銅貨2枚を喜ばれたことが記されています。
神は、どれだけ与えたかではなくて、どんな心で与えたかをご覧になります。
喜んでささげる心を、神は喜んで受け取って下さるのです。
マラ 3:10 「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の【主】は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。」
神は、ささげ物に関しては「試してみよ」と語っておられます。
必ず天の窓を開いて、少しではなく、あふれるばかりに祝福を注いでくださるからです。