今週のテーマは、「約束された聖霊」です。
◆使 1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
◆イエスは弟子たちに、聖霊の約束を与えられました。
聖霊が注がれるとき、私たちは神の力を受けて、キリストの福音を証しするキリストの証人と変えられることができます。
今週のテーマは、「約束された聖霊」です。
◆使 1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
◆イエスは弟子たちに、聖霊の約束を与えられました。
聖霊が注がれるとき、私たちは神の力を受けて、キリストの福音を証しするキリストの証人と変えられることができます。
◆ロマ 4:16 「そのようなわけで、すべては信仰によるのです。こうして、約束が…アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。」
◆アブラハムは、死人を生かし、無から有を呼び出され神様を信じました。
私たちもアブラハムの信仰に倣う者となりましょう。
◆ヘブル 11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
◆真の信仰とは何かを、教えているみことばです。
まだ見ていないものを信じるのですから、信じ切れなかったり
不信仰との戦いは大変だと思います。
◆マル11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに言います。心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。」
◆イエスは、「そのとおりになる」と信じる信仰の素晴らしさを教えられました。
「そうなりますように」でも、「そうなればいいな」でもなく、「そのとおりになる」と信じる信仰を与えていただきましょう。
◆マル 9:23 イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
◆イエスは、「できるかな」「できるといいな」という信仰ではなく、「イエスさまにはどんなあことでもできる」との信仰を持つようにと言われました。
イエス様の全能の力を信じる者となれますように。
◆マタ 17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」
◆信仰の力を教えられます。
100%完全に信じ切ることは、非常に難しいことですが、信じられない者ではなく、信じる者とならせていただきましょう。
◆ヘブル12:1,2 「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。12:2 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」
◆私たちの人生には、罪、重荷、様々な試練や困難がまとわりついてくるかもしれません。
しかし、イエスから目を離さないで、イエスをずっと見つめながら歩むとき、困難な道でも最後まで歩むことができます。
今週のテーマは、「信仰を持って」です。
◆ヘブル 11:6 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」
◆真の信仰について、語られています。
真の信仰とは、神が存在しておられることを信じ、私たちの祈りに報いてくださることを信じることです。
◆ルカ19:5,6「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
◆イエスは、過剰に税金を取り立てて私腹を肥やしていたザアカイの名前を呼んで、彼を招いてくださいました。
ザアカイは、喜んでイエスを彼の家に、心に迎えました。
「降りてきて」とは、悔い改めて今の生活から離れることを意味しています。
◆ルカ 7:47 「ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
◆一人の罪深い女性が、イエスの足に香油を塗り、イエスへの愛を示しました。
イエスはこの女性の罪を赦されました。
◆ルカ7:14 そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
◆やもめの一人息子がなくなってしまいましたが、イエスがこの息子を生き返らせてくださいました。
イエスこそ、復活であり命である真の神様です。
私たちが弱り果て、生きているとは名ばかりでまるで死んでいるような状態になったとしても、イエスは私たちの心と体を生き返らせてくださいます。
◆マル 5:36 イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」
◆娘が病で亡くなったとの知らせを受けた会堂司に対して、イエスは「恐れないで」と言われました。
死を恐れ、様々な困難と問題に恐れる私たちにもイエスは、「恐れないで」と言われます。
そして、ただ真の救い主であり神である「わたしを信じていなさい」と励ましてくださるのです。
◆マル5:27 彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
◆出血が止まらない病を患っていた女性が、イエスの衣に触れました。
この病は汚れた病と考えられていて、イエスに触ることも触っていただくこともできなかったからです。
彼女が、衣に触るだけでも癒され救われると信じて触った時、見事に病は癒されました。
◆マタ 8:8 しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。」
◆家へ行ってしもべをいやしてあげようと言われたイエスに対して、百人隊長は「ただ、おことばをください」と答えました。
イエスの言葉は、神の言葉であって、必ず癒されると信じていたからです。
この生きた真の信仰を、イエスは喜ばれました。
今週のテーマは、「イエスに出会った人々」です。
◆マタイ 8:2 すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。
◆ツァラアトに冒された人が、イエスのもとにやってきました。
この病は汚れた病とされ、人々の近くに出てくるなら石打ちの刑になる危険性がありました。
しかし、この人はイエスは私を清くすることができる。治すことができると信じていたのです。
◆ヘブル 11:20 「信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。」
◆イサクは、弟ヤコブより兄エサウに大きな祝福を与えましたが、それはえこひいきではなく、信仰によるものでした。
ヤコブの末より、神の民イスラエルが生まれ、メシアがお生まれになりました。
それが、彼の信仰の結果、実現したのでした。
◆創 26:28 彼らは言った。「私たちは、【主】があなたとともにおられることを確かに見ました。ですから、こう言います。どうか私たちの間で、私たちとあなたとの間で、誓いを立ててください。あなたと盟約を結びたいのです。」
◆イサクを追い出したアビメレクでしたが、再びイサクのもとを訪れて盟約を結ぶことを望みました。
それは、神様がイサクと共におられることを知ったからでした。
周囲の人に、「神様が共におられる人」との印象を与えることができる人は何と幸いでしょう。
◆創 26:25 「イサクはそこに祭壇を築き、【主】の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。」
◆イサクがアビメレクと井戸のことでもめたとき、彼は争いを避けて別の土地へ移りました。
そして、そこに祭壇を築いて主の御名を呼んで神に祈りました。
これこそは、平和に歩む秘訣、神に祝福される秘訣です。
◆創 26:12 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】は彼を祝福された。」
◆イサクが種を蒔くと、百倍の実を結びました。
神の祝福を受ける時、何と多くの収穫を得ることができることでしょう。
主の祝福を祈り求めましょう。
◆創 24:58 彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。
◆神様の導きで、イサクの花嫁に選ばれたリベカは、すぐに「行きます」と答えました。
リベカの姿に、真の従順、愛、信仰を見ます。
神様の計画は、いつも神のことばにすぐ従う人たちによって実現していくのです。
◆創 22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
◆アブラハムは、神から愛するひとり子イサクをささげるように言われたとき、み言葉に従がおうとしました。
それはアブラハムが、主を無から有を呼び出される全能の神と信じていたからです。
この素晴らしい信仰に倣う者となりましょう。
今週のテーマは、「イサク」です。
◆創 21:3 「アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。」
◆イサクは、父アブラハムが100歳の時、生まれた子どもでした。
人間的には不可能に思えましたが、神様に不可能はありません。
神は、不可能を可能にする全能の神様です。
(オープンチャペル)
良ければご覧ください。
◆マタ 6:33 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」
◆私たちは、マルタのように様々なことに煩わされて心が散漫になりがちかもしれません。
まず神様を第一とし、神様に心の目をいつも向けてすべてをお委ねしましょう。
神様が私たちの必要を満たしてくださるでしょう。
◆マタ 6:20 「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。」
◆「天に宝を蓄えなさい」とイエスは命じられました。
私たちは、この限りの朽ちるものに心を奪われたり、思い煩っていることもあるかもしれません。
しかし、それらはこの限りのものであることを再認識し、朽ちず変わることのないものに心の目を向けましょう。
◆マタ 6:9 「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。』」
◆弟子たちが祈りを教えてくださいと願った時、イエスが教えられたのが主の祈りです。
後半に、日毎の糧、罪の赦しが祈られていますが、最初に父なる神へと御名に対する賛美と礼拝から祈りが始まっています。
自分の願いを祈りよりも、まず主への礼拝と信仰告白を祈りましょう。
◆マタ 6:6 「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」
◆「祈り」についての教えが語られています。
誰が見ていなくても、神は私たちの祈りを聞いていてくださいます。
また、「奥の部屋」とは、五感を閉じ、すべてのものから離脱して静まり、
神と一対一で祈ることを示しています。
この神に喜ばれる真の祈りをおささげしましょう。
◆マタ 5:44 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
◆自分に対して敵対し、いじわるをし、理不尽に攻撃してくる人を心から赦し祈ることは、人間には不可能です。
しかし、イエスは、十字架の上でこのみ言葉を実行してくださいました。
私たちは何と大きな愛で愛されていることでしょう。
私たちも神の愛によって強められ、少しでも赦し祈る者となれますように。
◆マタ5:23 「ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。」
◆兄弟や周囲の人々と、人間関係を良好に保つように命じられています。
人と仲良くすること、優しく接すること、ゆるすことは難しいことですが、
神様の愛によって互いに愛し合うことができますように。
今週のテーマは、「神の国の教え」です。
◆マタ 5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
◆「貧しい」とは、物を持っていないということですから、「心が貧しい」とは、この世の物を心に持っていない、執着していない人のことです。
その人こそ、天国に近い人、天国が与えられる幸いな人です。
◆ロマ 8:11 「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」
◆キリストの霊、神の霊、聖霊をうちに宿しているなら、やがて朽ち果てて死んでしまうこの体もよみがえることができることを教えています。
ここに私たちの希望があります。
◆コロ 2:12 「バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。」
◆キリストと共に神の命に生きる秘訣は、復活されたキリストとキリストを復活させられた神の力とを信じることです。
心からの信仰をもって、キリストと父なる神を信じましょう。