◆Ⅰコリ15:54,55「死は勝利に呑み込まれた。」「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
◆イエスは死を打ち破って復活されました。
すべての人に死は臨みますが、イエスを信じる者は死に勝利することができます。
死を恐れる必要はないのです。
◆Ⅰコリ15:54,55「死は勝利に呑み込まれた。」「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
◆イエスは死を打ち破って復活されました。
すべての人に死は臨みますが、イエスを信じる者は死に勝利することができます。
死を恐れる必要はないのです。
◆Ⅰコリ 15:45 こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
◆「最後のアダム」とは、イエス・キリストのことです。
キリストは、私たちに聖霊によって復活の命を与えてくださいます。
キリストを心から崇めましょう。
◆Ⅰコリ 15:22 「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。」
◆アダムによって、人間の心の中に罪(原罪)が入り込み、すべての人が死ぬ存在となってしまいました。
しかし、キリストによって、私たちは神の命に生きる者となることができるのです。
◆コロ 3:4 「あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。」
◆キリストが再びおいでになる時、私たちも栄光の体に変えられることができます。
これこそクリスチャンである私たちの希望です。
その日を喜びをもって迎えるために、今日一日を精一杯歩みましょう。
今週のテーマは、「復活の力」です。
◆Ⅱコリ 4:14 主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
◆イエスを復活させてくださった父なる神は、わたしたちをも天国の命に復活させ、み前で安らかに憩わせてくださいます。
復活の命にあずかることができますように。
◆マタ 28:20 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
◆イエスが天にお帰りになる前に言われたみ言葉です。
イエスは、世の終わりまで、私たちの最後の一息まで、つまりいつもどこでもどんな時にも、私たちと共にいて支えてくださるのです。
◆マル 16:15 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」
◆大宣教命令のみ言葉です。
イエスは「すべての人」に福音を伝えるようにとお命じになりました。
あの人にもこの人にも、受け入れてくれなさそうな人にも、あまり話したことがない人にも、苦手に思う人にも、すべての人に福音を伝えていくことができますように。
◆ヨハ 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
◆復活されたイエスは、ペテロに3度「わたしを愛していますか」と尋ねられました。
ペテロは3度「イエスを知らない」と言って主を裏切ったことを思い、心を痛めた事でしょう。
しかし、ペテロは、やがてイエスを極みまで愛し、子羊たちを養い、逆さ十字架で殉教しました。
誰よりもイエスを愛する者となったのです。
◆ヨハ 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
◆すぐにイエスの復活を信じることができず、不敬虔なことを口にしたトマスでしたが、イエスはこのトマスのために、もう一度来て彼に御声をかけてくださいました。
私たちも「私の主、私の神よ」と真の信仰告白をおささげし、見ないで信じる者となりましょう。
◆ヨハ 20:22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
◆復活されたイエスは、恐れのために部屋に閉じこもっていた弟子たちの前に現れ、聖霊の息吹を吹きかけられました。
イエスは、どんな障害があっても私たちに近づき、「聖霊を受けなさい」と御声をかけてくださいます。
◆ルカ 24:31 「すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
◆信仰を失いエマオ村に向かっていた弟子たちと共に、イエスが歩き始めてくださいました。
先を行こうとしておられるイエスを、彼らが「一緒にお泊り下さい」と言って引き留めた時、イエスは彼らと共に食事をし、彼らの心の目を開いてくださいました。
私たちの心の目も開かれることができますように。
今週のテーマは、「キリストの復活」です。
◆ルカ 24:6 「ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。」
◆婦人たちが、イエスの墓でみ使いから告げられた言葉です。
イエスの墓は、今も空です。
イエスが死を打ち破って復活されたからです。
(イースターオープンチャペル)
◆ルカ 23:45 「太陽は光を失っていた。すると神殿の幕が真ん中から裂けた。」
◆イエスが十字架にかけられている時、神殿の中の至聖所の幕が真ん中から2つに裂けました。
それは年に1度だけしか罪の贖いのために至聖所に入れなかったのが、十字架の贖いによっていつでも罪の赦しと愛の救いを得ることができることを表しています。
今日は、イエスが十字架にかかられた聖金曜日です。
◆ルカ 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
◆イエスは自分を十字架に付けた人々に、「彼らをお赦し下さい」と言われました。
それはまた、全世界のすべての人々、私たち一人ひとりにお語りになっておられます。
ここに主の大きな愛と赦しを見ます。
今日は、聖木曜日。
イエスが弟子たちと最後の晩餐をとり、ゲツセマネで祈られた日です。
◆マタ 26:39 それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」
◆イエスは人類の罪の杯を飲み干し、父なる神のみこころに一致してくださいました。
私たちも自分の願いではなく、神のお望みのままに歩む者となれますように。
◆ルカ 22:19 それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
◆十字架にかかる前夜、最後の晩餐でイエスが語られたことばです。
イエスは弟子たちにパンを与えられましたが、このパンはキリストご自身を表しています。
これは聖餐式のことで、キリストを心に迎えることを意味しています。
◆マタ 21:13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
◆イエスが宮清めをされたときに語られたことばです。
悪徳商人たちが両替やいけにえで法外な利益を得ることによって、神殿を「強盗の巣」にしていました。
私たちは、私たちの心の神殿から神に喜ばれないすべてのものを追い出すことができますように。
今週のテーマは、「十字架」です。
◆ヨハ12:12,13 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
◆礼拝で学んだみことばです。
この群衆たちのように、王であり主であるイエスを、喜びをもって賛美しましょう。
ホサナ、どうかお救い下さい と祈りつつ、信仰をもって心にイエスをお迎えしましょう。
◆ピリ 1:27 「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」
◆パウロは、自分が福音にふさわしい生活をしてこう語りました。
実生活において、福音を証しする生活を送る事、これが非常に難しいことだと感じます。
しかし、できるかぎり誠実に歩む者となれますように。
◆Ⅱコリ 4:10 「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。」
◆私たちの自我が十字架に付けられて死ぬとき、キリストの命に生きる者となることができます。
その時、私たちの存在を通して、キリストの命が現れるようになるのです。
受難週、イースターが近づいてきました。
キリストの十字架と復活にあずかることができますように。
◆ガラ 5:16 「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」
◆自分の考え、能力に頼り、自我で歩むとき、私たちは失敗してしまうかもしれません。
神は、聖霊に依り頼み、聖霊に助けられながら歩むようにと命じておられます
◆ガラ2:19,20 「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
◆私たちの古き人がキリストとともに十字架に付けられて死ぬとき、キリストが私たちの内から生き働いてくださいます。
いつもキリストのいのちの内を歩むことができますように。
◆ピリ 1:20 「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」
◆パウロの願いは、様々な成功を収めるよりも、自分の存在を通してキリストがあがめられることでした。
これこそ、パウロの宣教の秘訣だったのです。
私たちのことば、行為、存在を通して、少しでもキリストの愛の香りが放たれますように。
今日はチャペルティータイムです。
◆マタ 11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
◆神であったイエスが、この地上でへりくだった生活を送られました。
どんなくびきや試練があっても、柔和でへりくだった信仰生活を送りましょう。
今週のテーマは、「霊的生活」です。
◆ヨハ 15:5 「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」
◆実を結ぶ霊的生活とは、いつもキリストを思い、キリストから離れないことです。
その時、多くの実を結ぶことができます。
キリストにいつもつながっていましょう。
◆Ⅰペテ 1:23 「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」
◆私たちが新しくされたのは、永遠に朽ちず変わることのない生きたかみのことばによってでした。
今日も神のみことばを繰り返し唱え、味わい、愛読しましょう。
◆エゼ 36:26 「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
◆神は私たちを聖霊によって、石のように固い心を変えて、肉のようにやあわらかく血の通った心に変えてくださいます。
この新しい心となることができるように祈りましょう。
◆エレ 31:31 「見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。」
◆主はイスラエルと新しい契約を結ぶと約束されました。
主は私たちとも十字架の上で成し遂げてくださった新しい救いの契約を結んでくださいます。
愛と救いの新契約にあずかる者となりましょう。
◆イザ 41:15 「見よ。わたしはあなたを鋭く新しい両刃の打穀機とする。あなたは山々を踏みつけて粉々に砕き、丘を籾殻のようにする。」
◆打穀機とは、乾燥した米麦などの穂を叩き、実を取り出す道具のことです。
神様は私たちを、聖と悪を分ける打穀機、サタンの攻撃や問題を打ち砕く者としてくださいます。
イースターオープンチャペル
~イースター賛美歌物語~ 「めぐみといやしのことば」
新しい生活になって不安や疲れを感じたり、寒暖差に
体調不良を感じて憂鬱な日々を送っている方もあるかも
しれません。
キリストの生涯を歌った6曲の賛美歌を聖歌隊が歌い、
皆さんと数曲ご一緒に歌いたいと思っています。
また、聖書の恵みといやしのことばを紹介いたします。
どうぞ普段着で、お気軽にお越し下さい。
◆イザ 40:31 「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」
◆主が新しい力を与えて下さり、走っても弱ることなく、歩き続けても疲れないように強めてくださると約束されています。
主を心から待ち望みましょう。
ただ主にのみ真の希望があります。
◆詩 103:5 「あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。」
◆神様が私たちの心も肉体も、鷲のように力付け、新しくしてくださいますように。
あなたがの生涯が、祝福に満ちたものとなりますようにお祈りいたします。