◆エレ 31:3 【主】は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」
◆神は遠くにいると感じていても、あなたに愛を注いでくださいます。
永遠に変わることなく、いつも途絶えることなく愛を注ぎ続けてくださいます。
私たちが心の目をイエスに向けるなら、この愛に満たされることができます。
◆エレ 31:3 【主】は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」
◆神は遠くにいると感じていても、あなたに愛を注いでくださいます。
永遠に変わることなく、いつも途絶えることなく愛を注ぎ続けてくださいます。
私たちが心の目をイエスに向けるなら、この愛に満たされることができます。
◆Ⅰヨハ 3:16 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」
◆キリストは十字架の上で、私たちのために命を捨てて大きな愛を注いでくださいました。
ですから周囲の人々のために、キリストに倣って、自己を犠牲とし、愛を与えていくように命じられています。
愛を与える人となれますように。
◆ロマ 8:37 「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」
◆34節に、苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣などが、私たちをキリストの愛から引き離そうとするかもしれません。
しかし、命をかけて注いでくださった神の愛から、私たちを引き離すことは絶対にできません。
すべてにおいて、勝利を取ることができます。
◆ロマ 5:8 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」
◆キリストが愛を示してくださったのは、私たちがまだ罪人だった時でした。
私たちが今どのような状態でも、たとえ罪人だったとしても、神は愛を注いでくださいます。
ここに神の大きない愛を見ます。
◆ロマ 5:5 「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
◆神の愛は、聖霊によって私たちの心にいつも変わることなく注がれています。
この愛は私たちを強め、失望を希望に変えてくださいます。
神の愛は何と素晴らしいことでしょう。
今週のテーマは、「神の愛」です。
◆ゼパ 3:17 「あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。
◆「安らぐ」ということばは、新共同訳では、「新たにする」と訳されています。
神は私たちに、愛によって安らぎを与えて、新たに造り変えてくださるのです。
◆黙 22:20 これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。」
◆聖書をすべくくる最後のみ言葉です。
やがてキリストが、この地上に再び来られる(再臨)ことが語られています。
その時キリストは、神の国と真の平和を実現してくださいます。
◆ロマ 1:4 「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。」
◆イエス・キリストは、死を打ち破って復活されました。
そのことにより、イエスこそ真の神の子であることを明らかに示されたのです。
イエスの復活こそ、私たちの天国への復活の希望です。
◆Ⅰヨハ 4:10 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
◆イエスは、私たちの罪の赦しのために十字架にかかって死んでくださいました。
それはどれほどの痛み、苦しみだったことでしょう。
ここに愛があります。
神はこんな愛をもって、私たちを愛してくださっています。
ああ、神は愛なり!
◆ヘブル 7:24 「イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。」
◆イエスは、永遠に存在される神であられるので、いつまでもどんな時にも変わることなく、
私たちのために執り成し祈ってくださいます。
この大祭司であるイエスに、いつも心の目を向けましょう。
◆コロ 2:17 「これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。」
◆食べ物や安息日などに関する規定は、やがて実現するものの影(ひな型)であって、
それらは新約において、キリストの上に実現しました。
キリストこそは、旧約の預言、戒めの実体(本体)です。
◆コロ 1:16 「なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。」
◆キリストが、天も地もすべてのものを、王座、主権、支配さえも造られたと記されています。
創造主であるキリストを心から礼拝しましょう。
今週のテーマは、「私たちの主イエス」です。
◆ヘブル 1:3 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
◆イエス・キリストは、ただ有名で偉大な聖人というだけではありません。
神の栄光の輝きそのもの(神であり)、天地万物を保持しておられる創造主です。
◆雅 8:6「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」
◆本当の愛は、自分のいのちさえ犠牲として与えつくす愛です。
キリストの十字架の愛こそ「市のように強い愛」です。
この十字架の愛に満たされ、燃やされることができますように。
◆雅 6:3 「私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。」
◆花嫁(クリスチャン)はキリストを愛し、キリストは花嫁を愛している。
互いに自己を譲渡し合っている様子が歌われています。
自己犠牲として与え合う真実の愛をここに見ることができます。
◆雅 5:2 私は眠っていましたが、心は目覚めていました。すると声がしました。私の愛する方が戸をたたいています。「わが妹、わが愛する者よ。私の鳩よ。汚れのないひとよ。戸を開けておくれ。私の頭は露にぬれ、髪の毛も夜のしずくでぬれているので。」
◆キリストは、私たちの心の戸を叩いておられます。
その愛の声を聞いて心の戸を開けるなら、キリストは喜んで私たちの心の中に宿ってくださいます。
◆雅 4:12 「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。」
◆私たちの心は、神のみに開かれ、それ以外のものが入らないように心を守る時、
愛の花が咲く庭、いのちの水が流れ出る泉となることができます。
この水源が濁らないように、心を守りましょう。
◆雅 3:4 私は彼らのところを通り過ぎると間もなく、私のたましいの恋い慕う方を見つけました。私はこの方をしっかり捕まえて放さず、ついには私の母の家に、私を身ごもった人の奥の間に、お連れしました。
◆キリストを魂を尽くして恋い慕い、心の最も奥深い所に留めましょう。
そして、今握っているすべてのものを手放して、キリストを信仰の手でしっかり捕まえましょう。
◆雅 2:10 私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。」
◆キリストが私たちに、「わが愛する者」と呼びかけ、また「美しい人」と呼びかけてくださいます。
キリストに愛されるにふさわしい者、その心が美しい者となれますように。
今週のテーマは、「愛の歌」です。
◆雅歌1:2,3 あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく、あなたの香油は香り芳しく、あなたの名は、注がれた香油のよう。そのため、おとめたちはあなたを愛しています。
◆雅歌では、キリストと私たちの関係を、花婿と花嫁にたとえて歌っています。
キリストの愛は、ぶどう酒よりも麗しく、芳しい香りの香油よりも素晴らしいと歌っています。
このキリストの愛に満たされることができますように。
◆ピリ2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
◆キリストは神であられたのに、人間となってくださいました。
しかも、馬小屋で奴隷よりも低い姿で生まれ、十字架の死に至るまで従われました。
このキリストの従順と謙遜に倣う者となりましょう。
◆ヘブル 5:8参照
「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学ばれた。」
◆キリストは神の子であられたのに、人間となり、私たちと同じように様々な苦しみ、試練、痛みを経験さいてくださいました。
私たちもキリストの従順に倣う者となりましょう。
◆ヨハ 3:30 「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
◆バプテスマのヨハネのことばです。
多くの弟子を抱え、人々から尊敬されていたヨハネでしたが、
自分は衰えていき、神の子イエスがこれから盛んになり、
崇められていくことを望みました。
イエスはバプテスマのヨハネについて言われました。「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」。
◆エス 4:16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
◆同胞の虐殺の勅令が出されたとき、エステルは民に断食して神に願うように言いました。
そして、自己犠牲とし、いのちをかけて王のもとに嘆願に行きました。
私たちも周囲の愛する人たちのために、自己犠牲として祈る者となりましょう。
◆Ⅰサム 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、【主】にお渡しします。」
◆サムエルの母ハンナの祈りです。
ハンナは神殿で、長い間激しく泣きながら神の前に祈りをささげました。
その時、その祈りは神に聞き届けられ、サムエルが生まれたのです。
私たちも神のみこころを動かす祈りをおささげしましょう。
◆出 32:32 「今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。」
◆モーセがシナイ山で十戒を受け取っているうちに、民は偶像を作って神から離れてしまいました。
その時、モーセは破れ口に立ち、自分が滅びることをいとわないで民のために執り成し祈りました。
モーセに倣い、愛する人々のために祈る者となりましょう。
今週のテーマは、「ケノーシス(無、謙遜)」です。
◆ルカ 2:51 「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」
◆神であるイエスが、両親に、人間に仕えられた。
ここにキリストの謙遜な姿を見ます。
私たちも、人に謙遜に従う人とならせていただきましょう。
◆ロマ 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
◆私たちは聖霊によって、天国を受け継ぐ神の子とされると記されています。
その時、父なる神様に対して「わたしの父よと」親しく呼びかけることができます。