◆詩 34:5 「主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔は辱められることがない。」
◆主の御顔を仰ぎ見ると、主の光を仰ぎ見ると、まるで鏡が映すように、私たちも輝くことができます。
いつも私たちの心の目を、主の光に向けることができますように。
◆詩 34:5 「主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔は辱められることがない。」
◆主の御顔を仰ぎ見ると、主の光を仰ぎ見ると、まるで鏡が映すように、私たちも輝くことができます。
いつも私たちの心の目を、主の光に向けることができますように。
◆詩 119:105 「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。」
◆神のみことば、聖書のみことばこそ、私たちの歩みを照らす光、私たちの進むべき道を示す光です。
みことばに導かれて歩むことができますように。
◆詩 27:1 「【主】は私の光私の救い。だれを私は恐れよう。【主】は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう。」
◆主こそ私たちの救いの光です。
ですから私たちは、何も恐れることはありません。
主が私たちを照らし、砦となって守ってくださるからです。
◆黙 21:23 「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。」
◆来る神の国では、もはや太陽も月も必要ありません。
神の栄光が都を、人を照らしてくださるからです。
この神のみ国を仰ぎ望みましょう。
◆マタ 4:16 「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」
◆イザヤ書9章2節を引用されたイエスのみことばです。
当時ローマの植民地であったユダヤは、暗闇の中にありました。
しかし、イエスの出現は、人々の大きな希望の光、救いの光となったのです。
今週のテーマは、「光を求めて」です。
◆創 1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
◆神はひとことばをもって、天地を、光を、人間を創造されました。
天地の創造主は、私たちをも再創造することがおできになります。
◆マタ9:37-38 そこでイエスは弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
◆収穫とは、救いを待っている人の事であり、そのための働き手が少ないとイエスはお語りになりました。
愛する人々の救いのための働き手となることができますように。
また、多くの働き手が与えられるように祈りましょう。
◆Ⅱテモ 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
◆みことばを伝えるのに、良い時、悪い時、伝えにくい時があると思います。
主は、忍耐していつでも伝えるようにと教えておられます。
主が私たちを助けて、みことばを伝える者としてくださいますように。
◆Ⅰコリ 2:2 「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。」
◆パウロは、コリントの人々の間で、ただ十字架のキリストのみを知り、十字架の福音のみを伝えました。
キリストの十字架にこそ、愛があり、救いがあり、福音があることを誰よりも知っていたからです。
◆詩 126:5 「涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。」
◆涙と共に、みことばの種を蒔いていくなら、喜びをもって祝福の実、救いの実を刈り取ると語られています。
多くの困難があっても、涙の祈り、みことばの種まきをさせていただきましょう。
祝福の実を刈り取ることができますように。
◆ロマ 10:15 遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
◆良い知らせ(福音)を伝える人の足は、歩みは、何と美しいことかと記されています。
損人の歩みを、神はどれほど喜んでくださるかを感じさせられます。
福音を喜びをもって伝えていきましょう。
◆テトス 1:3 神は、定められた時に、みことばを宣教によって明らかにされました。私はこの宣教を、私たちの救い主である神の命令によって委ねられたのです──」
◆神は、宣教によってみことばを私たちに明らかにしてくださいました。
そうして私たちに、宣教を委ねておられます。
神の期待に応えることができますように。
今週のテーマは、「宣教」です。
◆マル 16:15 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」
◆このみことばは、「大宣教命令」と言われるみことばです。
この終末の迫る時、神様が福音を伝えるように、しかもすべての造られた者に伝えるように命じておられます。
愛する人々にこの素晴らしい福音を伝えることができますように。
◆Ⅱ列王 7:1 エリシャは言った。「【主】のことばを聞きなさい。【主】はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリアの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」
◆アラムの攻撃を受け、食料が尽きて飢え死にしそうな危機の中で、エリシャはこのように語りました。
そして、み言葉通り、勝利が与えられてパンの大セールが実現しました。
いのちのパンの大セールが、私たちに与えられますように。
◆Ⅱ列王 6:17 そして、エリシャは祈って【主】に願った。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」【主】がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
◆アラムの王が、神のことばによってイスラエルを助けているエリシャを大軍で攻めて来た時、エリシャを神の戦車が守っていました。
若者の目には絶望的状況でしたが、神の人の目は神の助けと救いを見ていました。
私たちを神を信頼することができますように。
◆Ⅱ列王 5:14 「そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」
◆ナアマンは、ツァラアトの病に冒されていましたが、神の人エリシャのことばの通りにすると彼の体は癒されました。
私たちも神の言葉である聖書のみことばを行う人になりましょう。
生ける水が私たちの心も体も清め強めてくださいますように。
◆Ⅱ列王 4:5 「そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。」
◆預言者の仲間の妻が、夫を亡くして借金に困っていた時、エリシャは近所から空の器を集めてくるように言いました。
エリシャは、油の壺一つを用いて、集められたすべての器に油を注ぎ、救いの業を行いました。
私たちも愛する人々に、祝福の油、聖霊の油を注ぐことができますように
◆Ⅱ列王 2:21 エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「【主】はこう言われる。『わたしはこの水を癒やした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」
◆エリシャは、汚れていた水の源を清くしました。
私たちの心の奥底を清めていただいて、透明ないのちの水が流れ出ることができますように願います。
◆Ⅱ列王 2:9するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。
◆エリシャは、彼の内にあった霊の2倍の分を祈り求めました。
それは、エリヤの後継者として、立つために必要だと考えたからでした。
私たちも、師の2倍の霊を、豊かな聖霊の満たしを求めましょう。
今週のテーマは、「エリシャ」です。
◆Ⅰ列王 19:21 「それから彼は立ってエリヤについて行き、彼に仕えた。」
◆エリシャは、神よりの召命に答え、師であるエリヤに仕えました。
その生涯は困難でしたが、神のために生涯を通じて全身全霊をかけて働きました。
エリシャの献身が心に迫ってきます。
◆ヨハ 7:38 「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
◆イエスが語られたみことばです。
イエスを神、救い主と信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水、聖霊の水が流れ出るようになります。
心からイエスを信じる者となりましょう。
◆ヨハ 4:14 「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
◆イエスがサマリアの婦人に語られたことばです。
この世の水は、いくらそのとき美味しく感じてもまた渇きます。
しかし、イエスが与えてくださる生ける水は、私たち御心で泉となって沸き上がると約束されています。
◆エゼ 47:9 「この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。」
◆生ける水の川が流れるところでは、汚れているものも清くなり、死んでいるような者の生きることができます。
そのとき、命に生き生きと生かされた多くのものが群がってくるようになります。
このみ言葉が私たちに実現しますように。
◆イザ 43:19 「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」
荒れ地に川が流れることはあり得ないことですが、神様にはおできになります。
終末の時、暗闇の時代になればなるほど、神はこの新しい御業を行ってくださいます。
その実現のために、祈る者となりましょう。
◆詩 46:4 川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。
◆いのちの水の流れは、神の都を、神ご自身を喜ばせることができます。
周囲の愛する人々も喜ばせることができます。
私たちの心の内から、いのちの水が流れ出ますように。
今週のテーマは、「いのちの水」です。
◆エレ 2:13 「わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。」
◆民はいのちの水の泉である神を捨てて、他のものを信じて頼り、それに夢中になってしまいました。
それらは壊れた水溜めで、いのちの水を蓄えておくことができないものです。
いのちの水の源である主を信じ、信頼しましょう。
◆黙 22:1 「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。」
◆天使がヨハネに、いのちの水の川を見せました。
それは水晶のように輝く生ける水の川、聖霊の川です。
今夏私たちの内から、いのちの水の川が流れ出ますように。
◆ルカ 12:58 「あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときは、途中でその人と和解するように努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行き、裁判官はあなたを看守に引き渡し、看守はあなたを牢に投げ込みます。」
◆争っている人と和解するようにイエスはお語りになりました。
そうでなければ、結果的に最悪の状況になりかねないからです。
和解できないこともあると思いますが、和解できるように努めましょう。
良ければどうぞご覧ください。
◆ヤコブ 1:19 「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」
◆人間は誰しも、人の話を聞く前に語り、反論したくなり、怒ったりイライラしたりしやすい存在です。
どうかしっかりと人の話をまず聞き、怒るのに遅い人となれますように。
◆ヤコブ 4:1 「あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。」
◆戦いや争いの原因は、人間の心にある欲望からくると語られています。
人間関係の修復、真の平和は、人間の心に平和が訪れることによって実現します。
それは、人間の力では不可能であって、神様にのみ可能なことです。