(教区ジュニア大会のため、8月2日までお休みです。)
◆創 26:22 イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。
◆ゲラルの羊飼いたちが井戸について理不尽な文句を言ってきたとき、イサクは争うことを好まず、よそへ移って井戸を掘りました。
私たちも争い事からは身を避け、距離を置いて争いにならないように心がけましょう。
(教区ジュニア大会のため、8月2日までお休みです。)
◆創 26:22 イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。
◆ゲラルの羊飼いたちが井戸について理不尽な文句を言ってきたとき、イサクは争うことを好まず、よそへ移って井戸を掘りました。
私たちも争い事からは身を避け、距離を置いて争いにならないように心がけましょう。
今週のテーマは、「争いをさける」です。
◆マタ 18:15 「また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。」
◆兄弟に忠告する場合、その罪や過ちを、人のいる前で告げたり言いふらしたりしないようにと勧められています。
配慮をもって、愛情をもって、忠告するとき、その思いは相手に届くのではないかと思います。
◆エペ 6:17 「救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」
◆神のことばは、聖霊の剣だと語られています。
剣のように、問題や試練、罪や悪意、自我に打ち勝つ力です。
みことばを握りしめて祈り行動しましょう。
◆詩 119:130 「みことばの戸が開くと光が差し、浅はかな者に悟りを与えます。」
◆「浅はかな者」とは、少し強い表現です。
浅はかで愚かで鈍い者にも、みことばが光を放って臨むとき、みことばを理解することができます。
みことばによって、真理の導きを与えられるのです。
◆マタ 8:8 しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。」
◆百人隊長は、イエスのみことばだけを求めました。
イエスのみことばは神のことばであるから、必ず癒されると信じていたからです。
神のことばの偉大な力を知ることができますように。
◆詩 33:9 「主が仰せられるとそのようになり、主が命じられるとそれは立つ。」
◆主が語られると、それはそのままその通り実現します。
なぜなら、それは神のことばであるからです。
◆Ⅰコリ 1:18 「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」
◆十字架のことばは、一言で言えば「愛」です。
私たちの心をとらえ、生かし強める愛のことばです。
十字架のことばを、今日も繰り返し唱え、味わいましょう。
今週のテーマは、「みことばの力」です。
◆マタ 7:24 「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。」
◆イエスのたとえ話のみことばです。
砂の上に建てられた家はすぐ倒れてしまいますが、岩の上の家は頑丈で決して倒れることはありません。
みことばを行う人も、決して倒れることなく、しっかり立ち続けることができるのです。
◆Ⅱペテ 1:16 「私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、…私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。」
◆彼らは自分たちが見たキリストの威光、神の栄光を宣べ伝えました。
私たちも救いの威光を見、神の栄光を体験して、そのすばらしさを伝えていくことができますように。
◆使 10:44 「ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。」
◆コルネリウスとその家族に聖霊が注がれました。
当時、ユダヤ人(選民)しか救われないと考えられていましたが、異邦人(外国人)であった彼らに聖霊が注がれました。
どのような人にも命が与えられる「救いの時代」が開かれたのです。
◆使 2:17 「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」
◆ペンテコステの後、ペテロが語った説教のみ言葉です。
終末の闇の時には、聖霊がすべての人に注がれると語りました。
その時、子どもたちは神のみ言葉を与えられ、青年たちは希望のビジョンを見、将来に不安を感じている年配の方々は夢を見るようになると約束されています。
◆ヨハ 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
◆イエスはペテロに、3度「わたしは愛していますか」とお尋ねになりました。
ペテロは3度「イエスを知らない」と裏切ったことを思い出したことでしょう。
しかし、イエスはペテロをお見捨てにならず、彼に再召命の御声をおかけになったのです。
◆マル 16:7 さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」
◆イエスの墓に来た婦人たちに、天使が告げたことばです。
「イエスは復活されて、ガリラヤで会うことができる」と天使は告げました。
ペテロをそれを聞いても信じることができませんでしたが、この不信仰なペテロたちにイエスは出会ってくださいました。
◆マタ 4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
◆イエスはペテロを、人々を神のために獲得する弟子、使徒としてあげようと言われました。
この招きに、ペテロは即座に船を捨てて従いました。
神はあなたも招いておられます。
今週のテーマは、12弟子のリーダーである「ペテロ」です。
◆ヨハ 1:42 イエスはシモンを見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」
◆最初の出会いで、イエスがペテロに語られたみことばです。
イエスは全知の眼差しで見つめて、ペテロの現在と過去、弱さ、粗野、失敗と罪をを知ったうえで、「ペテロ(岩)と呼ばれます」と言われました。
それは、岩のような不動の信仰を持つ使徒にしてあげようとの意味が込められていました。
イエスは、あなたにも「新しい人にしよう」と、同じみことばを語りかけてくださいます。
◆出エジ 32:16 「その板は神の作であった。その筆跡は神の筆跡で、その板に刻まれていた。」
◆「その板」とは、十戒が刻まれた板の事で、モーセではなく、神が石の板に十戒を刻まれました。
それは、この戒めが、間違いなく神の戒めであることを示しています。
◆申 5:16 「あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、【主】があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。」
◆神は、父と母を敬うように命じておられます。
その時、神の祝福と幸せが注がれると約束されているからです。
また、父、母である人は、子から尊敬される歩みをすることができますように。
◆申 5:12 「安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、【主】が命じたとおりに。」
◆安息日(日曜日)を聖別するようにと、神は命じておられます。
それは神を礼拝し、体を休め、私たちの心を神様によって癒し強めていただくためです。
神様を第一とすることができますように。
◆申 5:11 「あなたは、あなたの神、【主】の名をみだりに口にしてはならない。【主】は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。」
◆主のみ名を聖とし、崇めるように命じられています。
みだりに唱えるのではなく、心を込めて真心をもって唱えていきましょう。
◆申 5:10 「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」
◆神を愛し、神の教えを守る者に、恵みが豊かに注がれる、後の子孫にまで注がれると約束されています。
まず神を求め、神を第一とし、神を心から愛する者、大切にするものは、何と幸いでしょう。
◆申 5:7 「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」
◆偶像礼拝について禁じられています。
今も生きていて私たちを救い、助けてくださる真の神様だけに頼り信じるように命じられています。
この正統信仰をもって神に目を向けましょう。
今週のテーマは、「十戒」です。
◆申 5:3 「【主】はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれたのである。」
◆十戒とは、神がモーセを通して与えられた10の戒めです。
しかし、この戒めは、現代に生きる私たちにも与えられている契約です。
今週は、祝福の源泉である十戒をしっかり学ばせていただきましょう。
◆ロマ 12:5 「大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。」
◆世界中に80億人の人がおり、教会にも大勢の人がいるかもしれませんが、神様にとってあなたはキリストのからだの一部であり、大切な存在であるということです。
神はあなたに目を留め、愛しておられる。
そのことをいつも心に留めましょう。
◆Ⅰコリ 6:15 「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。」
◆あなたがたは、キリストにつながっているからだの一部であることを知らないのですか。忘れているのですが。見失っているのですか、と問いかけられています。
しっかりとキリストにつながり、キリストのからだの一部となることができますように。
◆コロ 1:24 「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」
◆使徒パウロのことばです。
パウロは、キリストのからだである教会のために、自分を犠牲にして苦しみを忍びました。
しかも、その苦しみを、教会の成長と力となることを思って「喜びとしています」と言っています
◆エペ 4:15 「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」
◆愛をもって誠実に歩んで行く時、私たちはかしらであるキリストのように成長していくことができます。
キリストに信仰の目を向けて、日々歩みましょう。
◆ヨハ 15:5 「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」
◆ぶどうの木であるキリストにとどまるなら、いつも思い共に歩むなら、多くの実を結ぶと約束されています。
自分の力や自我で頑張っても、失敗するかもしれません。
キリストに依り頼みながら、日々歩みましょう。
◆使 9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
◆クリスチャンを迫害しているサウロにイエスは、「なぜわたしを迫害するのか」と言われました。
クリスチャンは、キリストの体の一部であり、キリストが自分の事として、その痛みを感じておられることを現わしています。