マル 15:31 「同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。『他人は救ったが、自分は救えない。』」
この嘲りの言葉が、イエスの愛のみ姿を示しています。
イエスが十字架にかかっているのは、全人類を救うためでした。
イエスはこれまで人々の迫害を逃れておられましたが、十字架の上で罪の贖いを成し遂げるために、自分を救うのではなく、犠牲となって死なれました。
まさに「他人は救ったが、自分は救えない」愛の神様なのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿