今日は、創立者大槻武二牧師の記念礼拝でした。
大槻牧師も、京都綾部の田舎出身で、キリスト教とは縁もゆかりもない中で育たれました
しかし、お母さんを9歳の時に亡くし、本当に変わらない真実なものを求め始められました。
同志社中学に入学した大槻青年は、同志社奈緒創立者新島襄先生の話を聞きました。
熊本からの転入生が問題を起し、授業が継続できないくらいの状況になった時、この問題は学校長である私の責任だと
全校生徒の前で、杖を手に自分の手を思い切り打ちました。
あまりに強さに杖が折れてしまうほどでしたが、皮が破れ血がにじむほどに思い切り自分を罰したのです。
最初は知らない顔をしていた生徒たちも、新島先生の本気の姿に心打たれ、飛び出して行って心を入れ替えました。
この新島先生のうちに、キリストの大きな愛を見ることができます。
キリストは私たちの身代わりとなって十字架の上で罰を受け、代わりに私たちにゆるしと愛といのちを注いでくださったのです。
大槻青年はこの話に感動し、心に大きな感動を与えられ、やがて真の救いを経験していきました。
このキリストの愛による救いの喜び、救いの祝福が、皆さんの上にありますように。
「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。…ここに愛があります。…神は愛です。神は愛なり」
(Ⅰヨハ3:16,4:10,16)
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