今週のテーマは、「聖霊」です。
使 1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
聖霊が注がれたとき、弟子たちは全く変えられました。
聖霊の注ぎを受けて、私たちも新たにされることができますように。
今週のテーマは、「聖霊」です。
使 1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
聖霊が注がれたとき、弟子たちは全く変えられました。
聖霊の注ぎを受けて、私たちも新たにされることができますように。
今日の礼拝で、♪ひとつの希望 という賛美歌を歌いました。
♪暗い闇の中に差し込んできた光 たったひとつの希望
神は来てあなたを救われる
今コロナという不安の闇が私たちを覆っています。
空気感染するということで、通勤、通学、病院、買い物、どこで行くにも
不安があります。
学校が始まりましたが、子供たちは大丈夫かと思わされます。
しかし、キリストは私たちの希望の光です。
希望の光、命の光に照らされながら、毎日を歩んでいくことができますように。
ホセ 6:3 私たちは知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。
大雨のように私たちに臨んでくださる主を知ることを、心を尽くして求めていきましょう。
ルカ 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
父の財産を遊び呆けて使い尽くした放蕩息子を、父である神は赦してくださるとのたとえ話です。
父である神様の愛と赦しは、何と大きいことでしょうか。
詩42:1-2 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。
神の御顔、現存の光こそ、私たちの救い、力、いのちです。
切に渇いて、神の御顔を求めていきましょう。
ゼカ 3:4 御使いは、自分の前に立っている者たちにこう答えた。「彼の汚れた服を脱がせよ。」そしてヨシュアに言った。「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」
主が罪のために法廷でサタンに訴えられていたヨシュアを赦し、清い礼服を着せてくださいました。
ここに神様の大きな愛と赦しを見ます。
ああ、神は愛なり!
今週のテーマは、「信仰復興」です。
詩 130:4 しかしあなたが赦してくださるゆえにあなたは人に恐れられます。
キリストは愛の神様ですから、わたしたちの過ちも失敗も罪も、赦してくださいます。
神の前に、正しく歩みましょう。
ヨハ 8:12 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
ある教会学校の先生が、「イエスは世の光」であることを教えるため、教会学校の部屋の遮光カーテンを閉めて生徒に「聖書を出してください」と言いました。
生徒たちは、真っ暗な中、何とか手探りで聖書を手に取りました。
次に先生が「聖書を読んでみましょう」と言うと、生徒たちは「暗くて読めません」と答えました。
すると、先生は、「真っ暗で目が見えないということは、これほど何もできなくて、とても危険だということです。
心の目が見えないと、大変です。
今日世の光であるイエス様の命の光を求めていきましょう。」
主の命の光、希望の光、愛の光が、あなたを照らしますように。
ヨハ9:7 「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。
今日は、シロアムの池で起こった神の業を学びました。
主人公である盲人は、見るべきものが見えない、やりたいことが何一つできない、生まれつきの盲人でした。
しかし、イエスは彼に、「シロアム(遣わされた者)の池」へ行って目を洗うように言われました。
これは、「神から遣わされたこの私はだれか」というヒントだったのです。
彼は池へ歩いていく途中で、このヒントに気が付き、イエスが救い主キリストであることを知ったのではないでしょうか。
「神から遣わされた方、キリストの言葉だから、必ず治る。」
男は池へ着くと、信仰をもって目を洗いました。
その時、神の力が働いて、彼は見えるようになりました。
私たちの心の目が開かれる秘訣も同じだと思います。
イエスを救い主キリストを信じる信仰です。
その時、イエスの真の姿を見、見るべきもの、なすべきことを示されるでしょう。
「あなたは、生ける神の子キリストです。」(マタイ16:16)
神は愛なり!
使 15:26 私たちの主イエス・キリストの名のために、いのちを献げている、バルナバとパウロと一緒にです。
使徒たちは、命をかけて福音を伝えました。
彼らのうちに燃えていた愛が、わたしたちをも燃やしてくださいますように。
使 9:28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。 サウロ(パウロ)は主の御名によって、福音を宣べ伝えました。
私たちも、もっと主の御名の素晴らしさを教えられ、崇めていくことができますように。
使 5:20 「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」と言った。私たちが聞いたのは、人間の言葉ではなく、神からのいのちのことばです。
コロナ禍にあっても、このいのちのことばが伝えられていきますように。
使徒4:29-30「 主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」
今週のテーマは、「使徒の働き」です。
使 3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
ペテロが持っていた、内住のキリスト、イエス・キリストの御名、神の偉大な力に満たされることができますように。
ヨハ 20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
この御言葉は、救いの方程式とも呼ばれ、永遠の命、天国の命を得るための方法が記されています。
第1に、イエスを神、救い主と信じること。
第2に、イエスの御名を呼んで祈ること。
これだけで、永遠の命が与えられると約束されています。
これは神の約束ですから、必ず実現します。
さあ心からイエスを信じ、御名によって命を祈り求めましょう。
神は愛なり!
今日はお盆でしたが、お盆とは本来、先祖を供養する日というだけでなく、
今生きている自分自身を顧みる日という意味があるそうです。
聖書が示す「死」とは何でしょうか。
イエスは言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」ヨハ 11:25
また、ある聖人は言いました。「わたしは死ぬのではありません。命に入るのです。」
神の永遠の命を受けた者にとっては、死は終わりではなく、命、天国への通過点なのです。
神の命、永遠の命をいただくことができますように。
ヨナ 4:11 「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」
神は、神から離れて堕落したニネベの人々にも、心にかけてくださいました。
神の愛とみ思いが、心に迫ってきます。
ヨナ 3:3 ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。
一度は主に背いたヨナでしたが、主のことばに従ったとき、素晴らしいリバイバルがニネベに起こりました。 神の言葉に従う人になりましょう。
【新共同訳】ヨナ2:8,10 息絶えようとするとき/わたしは主の御名を唱えた。…救いは、主にこそある。
ヨナは魚の腹の中で、主の御名を唱えて祈りました。
真の救いは、主にこそあります。
ヨナ 2:2 「苦しみの中から、私は【主】に叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。よみの腹から私が叫び求めると、あなたは私の声を聞いてくださいました。
苦しみ、試練の時には、主に助けを求めて叫びましょう。
主は私たちの声に、答えてくださいます。
ヨナ 1:12 ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」
ヨナは自分の秘密を明らかにし、潔く自分の過ちを認めました。
このヨナの姿にならう者となりましょう。
今週は、預言者「ヨナ」の生涯から学びましょう。
ヨナ 1:3 しかし、ヨナは立って、【主】の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。
ヨナは、自分勝手に行動し目的地とは反対の船に乗りました。
すると大嵐が襲ってきました。
神様の言葉に従う人となりましょう。
ヨハ 4:15 「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
私たちの心に、いつも命の水で満たされ、湧き上がることができるように、命の水を求めていきましょう。
「その水をください。」
イエスは言われます。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」「わたしがそれ(主)である。」
我は主なり!
ホセ 10:12 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が【主】を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」
福音の種、恵みの種を蒔きましょう。
私たちは多くの実を刈り取るでしょう。
ロマ 10:14 しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。
本当においしいものを食べたなら、黙っていられず、多くの人に話すことでしょう。
私たちに与えられている何よりも素晴らしい福音を、伝えていくことができますように。
Ⅱテモ4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
今はコロナ禍で、みことばをつたえるのに、難しい悪いときですが、神様が私たちを通して、みことばを伝えさせてくださいますように。現させてくださいますように。
イザ 52:7 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。
神が示してくださった素晴らしい喜びの知らせ、福音を、伝える人となりましょう。
その足は、、何と美しく、何と幸いでしょう。
今週のテーマは、「福音宣教」です。
マル 16:15 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」
喜びの福音が、全世界のすべての人に伝えられますように。
マタ 14:27 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
この御言葉は、荒れ狂う嵐の中で、イエスが弟子たちに語られた御言葉です。
この2週間、非常に忙しく、心に平和がなくて波風がたっているようでした。
しかし、突然この御言葉が、心に迫ってきました。
「安心しなさい!」
その時、私の心から、疲れやあせり、重荷が除かれて、心が凪となり、
非常に爽やかで安心した心にしていただきました。
どうぞこの御言葉が、皆さんにも働いてくださいますように。
「安心しなさい。わたしだ。」「わたしが主だ。」
神は愛なり