〇イザ11:1 「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に【主】の霊がとどまる。」
〇「エッサイ」とはダビデ王の父で、「若枝」とは救い主のことです。
救い主は、ダビデの子孫から生まれることが預言されています。
そして、その救い主イエスの上には、主の霊がとどまっていると語られています。
〇イザ11:1 「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に【主】の霊がとどまる。」
〇「エッサイ」とはダビデ王の父で、「若枝」とは救い主のことです。
救い主は、ダビデの子孫から生まれることが預言されています。
そして、その救い主イエスの上には、主の霊がとどまっていると語られています。
〇民 24:17 「私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。」
〇「一つの星」「一本の枝」とは、救い主イエスのことです。
イエスは、闇の世に輝く星であり、世を統治される平和の王です。
私たちも彼のように、救い主を感じ、いつも見つめる者となりましょう。
今週のテーマは、「約束されたメシア」です。
〇イザ 7:14 「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
〇預言者イザヤは、メシア(救い主)が赤ちゃんとなってお生まれになることを預言しました。
このメシアは、インマヌエル、私たち共にいてくださる神様です。
〇詩32:1,2 「幸いなことよ。その背きを赦され罪をおおわれた人は。幸いなことよ。【主】が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。」
〇罪をおおわれ、過ちがなく、その霊が正しく歩んでいる人は幸いだ! と語られています。
赦され、愛の御霊に満たされ、幸いな日々を歩むことができますように。
〇詩 51:7 「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」
〇大きな罪を犯したダビデが祈った祈りです。
彼は、自分の大きな罪を洗い清めてくださるように願いました。
神はこのような自分をも、雪よりも白く清めてくださると信じていたからです。
〇ルカ 15:18 立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。」
〇放蕩息子のたとえの中で、息子が語ったことばです。
財産を使い尽くした息子は、最後に自分の過ちを認めて父のもとに帰ってきました。
その時、父(愛の神)は息子を赦し、愛し、受けて入れてくださったのです。
〇ルカ 15:7 「あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」
〇このみ言葉の前に、100匹の羊のたとえが語られていて、迷い出た一匹の悔い改めと救いがどれだけ素晴らしいことか、どれだけ神様がお喜びになるかが語られています。
羊は迷いやすい動物だそうですが、私たちの心が迷うことなく、一直線に神様に従って行くことができますように。