〇エペ3:18 「すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」
〇キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知ることができますように。
人間の考え、常識を超えたキリストの愛、神の満ち満ちた神性の充満に満たされることができますように。
〇エペ3:18 「すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」
〇キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知ることができますように。
人間の考え、常識を超えたキリストの愛、神の満ち満ちた神性の充満に満たされることができますように。
〇エペ1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
〇神の望み、受け継ぐ栄光、神の大脳の力がどれほど素晴らしいかを、心の目が開かれて見えるようになるようにと語られています。
今日私たちの目から、すべてのヴェールを除いていただいて、神の力と望みを見ることができますように。
今週のテーマは、「聖霊の祈り」です。
〇ロマ 8:26 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」
〇私たちが弱り、どのように祈れば分からなくなる時、聖霊が私たちを助けてくださり、私たちのためにとりなしてくださるのです。
何と心強いことがではないでしょうか。
〇使 5:12 「さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。」
〇使徒行伝時代には、使徒たちの手によるすばらしい神の業がおこなわれていきました。
現代のこの不信仰の時代にも、主が恵みの業を私たちの手を通して行ってくださるように。
〇使4:29,30 「主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」
〇弟子たちは、多くの困難や迫害の中で、イエスのみ名によって立ち上がりました。
その時、彼らは聖霊に満たされ、彼らの手を通して癒しと不思議な業が行われていきました。
私たちも御名を握りしめて、リバイバルために立ち上がりましょう。
◆使 4:20 「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」
◆ペテロとヨハネが捕らえられたとき、彼らは迫害を受けたにもかかわらず、大胆に証しをしました。
その目で見た福音、聞いた感動を語らずにはおられなかったのです。
私たちも喜びの福音を語る者となりましょう。
◆使 4:12 「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
◆イエスの御名こそ、私たちを救う唯一の名であると語られています。
イエスとその御名以外に、私たちの救いは他にありません。
◆使 3:19 「ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。」
◆素晴らしい使徒行伝のリバイバルは、聖霊の働き、イエスのみ名に対する信仰と、「悔い改め」によって起こりました。
「悔い改め」とは、方向転換という意味で、今までの歩みを新たにすることを意味します。
◆使 3:16 「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」
◆ペテロは、生まれつき歩けなかった人が歩けるようになったのは、イエスのみ名を信じる信仰の力だと言っています。
今週のテーマは、「使徒の働き」です。
◆使 3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
◆ペテロが生まれつき歩けなかった男に御名によって命じると、彼は躍り上がって歩き出しました。
ペテロは、聖霊の力を持ち満たされていたので、御名によって彼を立ち上がらせることができたのです。
◆ゼカ 12:10 「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」
◆恵みと嘆願の霊の注ぎ、十字架のキリストに対する回心の預言です。
この預言が、速やかに実現するように祈る者となりましょう。
◆民 21:9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。
◆民が犯した罪の故に、蛇が多くの人をかんで死に致らせました。
しかし、青銅の蛇を仰ぎ見た者は生き延びることができました。
これは、キリストの十字架の型です。
十字架を信仰を持って仰ぎ見る人は、誰でも救われることができます。
◆レビ4:28,29 または、自分が陥っていた罪が知らされた場合には、その人が陥っていた罪のために、ささげ物として傷のない雌やぎを連れて来る。そして、その罪のきよめのささげ物の頭に手を置き、全焼のささげ物の場所で罪のきよめのささげ物を屠る。」
◆旧約時代、罪の赦しのために動物をいけにえとして屠っていました。
キリストは、全人類の罪の完全な赦しのために、血を流し、いけにえとして死んでくださったのです。
その贖いの故に、私たちは赦され、清められ、変えられることができます。
◆出 17:6 「さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」
◆モーセが神の言葉通り、岩を打つと水が湧き出ました。
この岩は、キリストの型です。
イエスの十字架のみ傷から、血と命の水が流れ出たことを想起させます。
◆出 12:13 「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。…わざわいは、あなたがたには起こらない。」
◆出エジプトの時、過越の小羊を屠ってその血を入り口の鴨居に乗った家は災いを免れました。
想像するとかなりグロテスクな光景ですが、イエスはこの過越の小羊として十字架の上で尊い血を流してくださいました。
その犠牲の故に、わたしたちは赦され救われることができるのです。
◆創 22:12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
◆アブラハムは、神の言葉に従い、ひとり子イサクをささげようとしました。
神が、ひとり子イエスを十字架にお渡しになったことの型です。
それは、イエスを信じる者が永遠のいのちを得るためでした。
今週のテーマは、「受難の型と預言」です。
◆創 22:6 「アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。」
◆神はアブラハムに、モリヤの山に登るようにお命じなりました。
この山は、後に神殿が建てられたシオンの山で、イサクはこの山に薪を背負って登って行きました。
イサクは、十字架に付けられたキリストの型です。
◆詩 124:8 私たちの助けは天地を造られた【主】の御名にある。
◆困った時、倒れそうになる時、私たちは何に助けを求めるでしょうか。
聖書は、「助けは天地を創造された主のみ名にある」とはっきり語っています。
主の御名に拠り頼んで歩んで行きましょう。
◆ヨエル 2:32 「しかし、【主】の御名を呼び求める者はみな救われる。」
◆ペテロがペンテコステの日に、引用して語ったみことばです。
主の御名を呼び求めて、彼らはペンテコステの聖霊の注ぎを受けました。
主の御名を呼ぶことこそ、彼らの力の秘訣だったのです。
◆ゼパ 3:12 わたしはあなたのただ中に、へりくだった、貧しい民を残す。彼らは【主】の名に身を避ける。
◆「主の名に身を避ける」という表現が、心に響いてきます。
私たちは、困った時、つらく悲しい時、現実逃避をしたくなります。
しかし神は、わたしの御名に逃げ込んだらよいのですよとお語りくださるのです。
◆詩 99:6 「モーセとアロンは主の祭司たちの中に、サムエルは御名を呼ぶ者たちの中にいた。彼らは【主】を呼び主は彼らに答えられた。」
◆モーセとアロンとサムエルは、主を呼び求めた。
サムエルは、主の御名を呼んだと記されています。
ここに彼らの偉大な働きの秘訣があります。
◆民 6:27 「アロンとその子らが、わたしの名をイスラエルの子らの上に置くなら、わたしが彼らを祝福する。」
◆「名をその上に置く」とは、そこに神がおられるということ、神と御名をすべてにすることを意味しています。
私たちの生活の中に、心の中に、いつも御名を置き、神がそこにおられますように。
◆出 3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
◆「わたしはある」という御名で、神はモーセにご自身を示されました。
神は、いつも、どんなときにも私たちと共におられます。
私たちのうちにおられます。
今週のテーマは、「神の御名」です。
◆創 17:1 さて、アブラムが九十九歳のとき、【主】はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」
◆神はアブラムに、「全能の神」との御名によって出会われました。
その時彼は、新しい人アブラハムに変えられました。
全能の神を信じて、神の前に歩んで行く人となりましょう。
◆ガラ 3:14 「それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。」
◆11節に、「義人は信仰によって生きる」と記されています。
アブラハムに約束された祝福が、イエスを信じるすべての人に及ぶことが語られています。
イエスを真の神、救い主と信じる人は何と幸いでしょう。
◆ヨハ 16:13 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。」
◆聖霊が、「真理の御霊」と呼ばれています。
聖霊が注がれるとき、私たちに真理を悟らせ、真理の道へ導いてくださいます。
真理の御霊の光が、私たちを照らしますように。
◆ヨハ 16:7 「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」
◆イエスは、昇天して弟子たちのもとを離れるが、その時聖霊が遣わされると語られました。
この聖霊は「助け主」であるとイエスは言われ、私たちを試練や困難から助けてくださるお方です。
◆ヨハ 14:28 「『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。」
◆肉体をもったイエスは、天へ帰って行かれるが、ペンテコステの日に聖霊によって弟子たちのところに戻ってくると約束されました。
イエスは私たちの心にも、聖霊によって来てくださるのです。
◆ルカ 11:13 「ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
◆悪い者でも、子どもが熱心に求めるなら良いものを与えます。
そうであるなら、まして神様は、私たちが熱心に渇き求める時、聖霊を必ず注いでくださるのです。
◆使 2:21 「しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。」
◆ペンテコステにおいて聖霊が注がれたとき、ペテロが語ったみことばです。
彼は、主の御名によって聖霊が注がれたと証ししました。
神様は、主の御名を呼び求めるなら、皆、誰でも、すべての人が救われると約束しておらられます。